第二章 レイとアルマ

 記憶障害なんて都合の良いことは明らかに何かしらの巨大な力による影響だと知っていたカラスは、その少女に対し警戒心をむき出しにして、問いかける。
「この状況で記憶喪失なんて、いささか都合が良すぎないか?」
 カラスの上着を羽織ったことである程度隠すということが出来た少女は自分がこの二種の武器を持った男に疑われているということを察し、少し悩んだ後に応える。
「その警戒心こそ、経験によって培われた本能というものだよね。それならこのように幼少期を省かれた僕たちはどうやってその時の流れから得る本能を獲得すると思う?」
 質問に対し、質問で返すという行為をした少女に対し、カラスは今まで必要としていなかった言語に対する意識を巡らせる。
 この世界でこそカラスは無口な男であったが、それはこの世界にある灰によって呼吸器が侵されているからであり、下手に口を開くことをしなくなっていたためであった。本来彼は相当な皮肉屋でおしゃべりな男であり、何度もその口の悪さで口論になったもので――といっても灰に覆われた世界という現実を前に、その多い口を閉ざすことが出来るくらいには考えが至る男でもある。
 しかしこの空間には生憎その皮肉屋の口を塞ぐことのできる灰はなかった。
「それならば質問に対し、質問で返すということが失礼に当たるということを知らないと踏まえて優しくその問いに応えよう。あれだけ仰々しい機械だ。睡眠学習及びそれに似た形で経験を脳に投影するんじゃないのか? その技術は自分も経験が合ってな。まあ裸にひん剥かれていて、誰かの上着を拝借するなんて手間は取らなかったが――」
「その通りだよ」
 少女はカラスの言葉が終わる前に告げる。
「機械によって頭に記憶や経験を焼き付けるんだ。だが誰かがその途中でその機会を壊してしまったから。そして僕が裸であるのは貴様が壊した容器こそ貴様で言う母の子宮であったからだ。貴様は母の膣から生まれ出た時から衣服を身に纏っていたというのか……?」
 その言葉の後にカラスの頬が赤くなるほどに可愛げのある笑顔を見せた少女はカラス以上の皮肉屋だった。



「知識はあるけど記憶はないということでいいんだな? だから名前も何でここにいるのかも、自分が何者かもわからない。だけどこの機械がどういう仕組みで動いていて、ここはどういうところで、この上にある機械都市についても全て知っていると」
 かなり刺々しい問答の末、二人ともによる謝罪が行われ、少女の現状、カラスの現状を共有した。
「浄化装置の根城か人の暮らせる環境はこの座標にあると思って、ここまで来てマチとダイチを見た後、僕を見つけたと」
 少女は掃除屋を浄化装置と呼び機械都市をマチ、今いるこの空間をダイチと呼んだ。
「ああ、その通りだ。忘れていたが俺の名前はカラスだ。有馬烏だ」
「アリマが姓、カラスが名ね。今そんな形式の名を使うなんて珍しい生を生きてきたのだな。僕の名は……。そうだ、わからない」
「不便だしあだ名という形で本名がわかるまでの仮の名を付けるとしないか?」
「それは妙案だ。所謂愛称と言う奴だろう? それなら愛のある名を付けてくれ」
「それを言うなら名案だろう? そしてお前の名前はオーだ」
 たまに似た言葉を間違える。それこそそのミスは機械的な言動が多い彼女が見せる人間らしさのようなものでカラスからしたら有難かった。
「おお。そのオーというのはどのような意味があるのだ?」
 オーは嬉しそうにその愛称を問うが、カラスはオーが眠っていた容器の機械部分壁面を指差す。
「まる……」
「オー」
「ゼロ……」
「オー」
「オメガ……」
「オー、ってか流石にオメガは無理があるだろ」
「いやだとしても、オーとはあのエイゴと呼ばれる言語を構成していた二十四分の一だろう? それが名前なんて……」
「俺は仮の名と言ったのであって、愛称とは言ってないぞ? そしてアルファベットは二十六個だ。しかも名前なんてものはどうでもいいんだ。結局のところその名前を良い名前にするか悪い名前にするかはお前自身なんだから。現状お前の名前についての良し悪しなんてせいぜい語感程度だ。いいじゃないか呼びやすくて。オー」
「カラスの名前もそうなのか?」
「ああ、有馬烏は本名じゃない。だがいつかこんな名前を使っていた気がするんだ。お前と一緒だよ。過去の一部の記憶が俺もないんだ」
「ふむ、それは都合の良い過去だな?」
「そうこんな都合の良いことはあるわけがないんだ。別にどこかに頭を打ち付けたわけでも、何か重いトラウマを抱えているわけでもない。だがそのせいで思い出せない人がいるんだ。今もいつかにいるはずの誰かを。だが記憶がないながらも確信があるんだ。記憶がないのは誰か第三者にココを弄られたからだ」
 カラスは頭を指差しながらオーに告げた。
「カラスの思い出せない人も、過去もどうでもいいし、知るつもりもないが今の言葉で僕とカラスの共通項を見つけることが出来た。お手柄だぞ」
 オーの言葉にカラスはクエスチョンマークを頭の上に浮かべる。
「僕が作られていたあの機械を作っていたのは? カラスたちが掃除屋と呼ぶ浄化装置を統制しているのは? カラスの頭を手術痕も無しに弄繰り回し記憶を改変させたのは?」
「世界システム……」
「そうだよ。何でもお任せ世界システム。生憎今の人間には恩恵を与えていないようだけど、世界システムに作られた僕はその恩恵を受けることが出来るんだ」
 そう言うとオーはその華奢な手をすっと伸ばし、カタカナ言葉で何かを呟いた。するとオーの手元に白い光の粒のような物が集まり始める。それは大小様々であるが、最後にはオーの手の前に膨らんでいく光に統合され、その光を大きくさせる。そしてその光を握りつぶすようにオーは手を畳み、さながらマジシャンが突然物を出すように、その手を開くとそこにはいくつかの衣服があった。

「魔法なんてものは久しぶりにみたな……」
 カラスがそう呟くとオーは否定する。
「君たちが魔法と呼んでいるものは全部世界システムの恩恵に過ぎないんだよ。かつての人類は僕みたいに世界システムの恩恵を受けるためのエネルギーみたいなものを蓄える器官を持っていたみたいだけどね。世界樹の花粉にそのエネルギーに似たものがあって、それを吸い込んで瞬時に恩恵に変換するなんて奇妙な技を使った人類もいたみたいだけど、結局のところは世界システムへの申請と世界システムの受理だ」
 衣服のいくつかをオーはカラスに見せびらかしながら話す。するとオーはその衣服を今立っている草の生えた地面に置き、カラスに羽織らせてもらっていた上着をあっさりと脱いだ。突然露になる素肌にカラスは視線を逸らす。
「どうしたんだ? 女の裸だからか? でも僕は世界システムに作られた機械も同然だ。子宮や膣口だってあるけど、流石に機械の穴に興奮はしないだろう?」
 と、股を広げ、本来人にやすやすと見せるべきでない部分を露にしたオーに対し、カラスはたどたどしくも注意する。
「いくら作られた存在だとしても見た目は人間だ。そんな真似二度とするなよ……」
 カラスのその言葉にオーは笑いながら下着をつけた。それこそ少女であるために胸部用下着は身につけず緩い衣服をそのまま羽織る。
「からかっただけだろう? 機械にも優しんだな、紳士殿は」
 カラスはからかうなら普通胸を使うものだろうと思うが、それを口に出すとまた面倒臭いことになる予想ができたため、苦笑いでその場をやり過ごす。
 それからオーは厚手のブーツにパンツ、上着を羽織り、外の灰除けのためのゴーグルをとりあえず額に当て、身なりを整えた。
「そうそう、さっきの続きだが、この服だってかつて世界システムを作り上げた人間が考え出した申請コードを告げて、体内にあるエネルギーを使って送信しただけなんだよ。かつては機械でもない人間がそんなことをやっていたとは驚きだろう? だけど何にでも理由はあるんだよ。魔法の因果はこういうことだ」
「遺術。外の人間はそう呼んでいた……。だから全て過去と言う話ではないみたいだが」
 オーはブーツの靴ひもを今一度きつく結びながら話す。
「隔世遺伝って奴だよ。誰だってそのかつての人間の力を継いでるんだから、小さなエネルギー器官がある子供が生まれてもなんらおかしくはない。だけどそれこそ混じってるわけだから僕みたいに物の空間を超越させたりなんてことはできなくて、大体やれるのは占いとか手品とかそんな胡散臭いモノ程度だろうけどね」
「ここまで知っていて自分のことがわからないなんておかしな話だな」
 カラスの言葉にオーは溜め息をつく。
「だから僕はおかしいんだってば。誰かさんが成長途中で無理矢理この世界に誕生させたんだからさ。未熟児と同じわけだよ」
 その言葉に引け目を感じたカラスは表情に影を落とし謝罪を述べる。するとオーはにやりと笑いカラスの近くに駆け寄った。そして小さな声で言う。
「そんだけ申し訳なく思ってるんだったら、もちろん僕の記憶探しの旅には付き合ってくれるんだよな? それこそ目的は一緒なんだからさ?」
 オーのその言葉に一瞬戸惑うカラスは口を開くが、それを遮りオーが続ける。
「生憎利害は一致してるんだよ。知識はあるって言ったろ? 僕は世界システムがこの広い世界のどこにあるか知ってるんだ。両親たる世界システムの元へ行けば僕の記憶の鍵は見つかるだろう。そしてカラスの記憶の鍵も。誰が、なぜ、人類を『掃除』する兵器をばらまいたのかも、ね?」
 全て相手に対し一つの答えしか許さないための会話運び。その言葉巧みな彼女にかつての自分の面影を見たカラスは笑い、その案を了承する。
「じゃあ改めてよろしく頼むよ。オー」
「ああ、任せてくれ給えよ。カラス」
 人間と機械は一時休戦を誓い、今絆を手と共に固く結んだ。



 さて、と言いつつカラスは自由に部品を取って良いと言われたオーの培養槽を解体し、使えそうな部品をいくつか拝借した。今となっては追跡装置やドローンなどは必要ないため駆動装置に取り付ける変換機に代わるものを探した。しかしそんな代物が簡単に見つかるはずもなく、収穫はゼロであった。
「さすがに駆動装置を自分の技術で改造しただけあるね」
 オーは言う。
「不幸なことに怖い怖い機械兵器たちが闊歩してるからな。自然と身につくだろう」
「そんなこともないんじゃない? 駆動装置を駆動装置だと認識してるからこそ身につけられる技術だよそれは。駆動装置なんて知識どこで手に入れたんだ?」
 オーはヘアゴムで一纏めにした綺麗な黒髪を弄びながら尋ねる。
「流石のオーさんでも他人の過去を知っているわけではないんだな」
 カラスは機械を弄びながら言う。
「馬鹿言わないでくれよ。僕が知っているのはこの世界の真実で、君の真実じゃないんだ。と、言ってもそれも不具合のせいで断片的なんだ」
 そう言うと、座っていた機械の上から飛び降り、ぱんぱんと尻の埃を払い歩き出した。
「カラスの準備ももう終わったろ? まずは知識集めと称して図書館へ赴こうじゃないか」
「図書館? そんなものもうこの世界にはないだろう」
「そうだよ。この世界に図書館なんてものあるはずないんだ。じゃあなんでそんなものを君が知ってる?」
 先ほどまで優しい瞳をしていたオーの目は一変し、獲物を捕らえた獣の眼光のように鋭くカラスのことを貫いている。その気迫とも言うべき圧にカラスは気圧され、言葉を紡げない。
「あはは。そんな警戒しなくていいよ。ちょっとからかっただけだからさ。でも少し君に興味が沸いたよ。歴史家技術者で武器の異名を持つカラスのことをね……」
 言葉の後ろについた不自然な間にカラスを恐怖を抱かざるを得ない。これほどまでに表情の読めないオーは記憶を失っているフリをしていてもおかしくないと。
「は……ハハ。心臓に悪いからやめてくれよ。駆動装置に至っても興味本位で研究していただけさ」
 先ほどまで信頼しきっていたオーに対し、自分の過去を知られないこと、これがなによりも重要な一手だと思い、カラスは嘘をついた。世界についての知識、遺術、駆け引き、そして未だ測り知れない能力を持っているであろうオーに対し、自分の手札をなるべく悟られない。それが今カラスにとって一番重要なことだった。
「図書館はあるよ。だってカラスは見て来たんでしょ? マチを」
 そういえば、そうであったとカラスはオーの言葉に納得する。銀行や病院など街を作り上げるために必要な構造物が多くあるマチに図書館があるのも当然だろう。
「と、いってもまずは所謂RPGの冒険への手引きみたいなものをしないといけないんだ。図書館に行くのは主人公が一通りチュートリアルイベントを終えた後、情報収集のために街を自由に歩けるようになってからかな」
「突然何を言ってるんだ?」
 にやりとオーは笑いながら続ける。
「とぼけても知ってるんだろ? まあいいや。要するにあのマチは僕が忘れた目的のために外に出るまでの準備をする場所なんだよ。焼き付けた記憶だけだとボロを出すかもしれないから、ちゃんと経験するためにね?」
「オーの常識を培うために街を……。じゃああの掃除屋たちはお前のために住人を演じていたのか」
「まあ演じるって言うよりプログラムされるってのが正しいかな。人型を用意してくれたらいいのに、コストが高いから適当な奴等ばっか置いてさ。ケチなんだよ世界システムって」
 不満そうに首を振りながらオーはダイチから出るための扉へ向かって歩き始める。
「はは。文化は違えど事情は似たものだな」
 オーに背後を取られることを恐れつつ、案内を任せるという体でオーの後ろを歩けるということに安堵した。そしてそのオーの歩く道をカラスは辿る。

 ダイチの扉から外に出ると暗い階段にがらんどうの城が続いて――いなかった。
 目を覆いたくなるほどのランプは艶やかな絨毯を照らし、その絨毯は物寂しい石造りの階段を優しく包んでいた。灰塗れの靴で踏むのが申し訳なくなるほどに繊細な装飾が施された絨毯は階段の上まで伸びている。階段の先も溢れんばかりの光に満ちており、登り詰めると、そこには数十の掃除屋たちが待ち構えていた。
 その異様さにカラスは疑似駆動銃ではなく、駆動装置を手に取ろうとするが、オーは「大丈夫だ」と告げ、手を伸ばした。
「彼らは僕の目覚めを見届けに来ただけだ。これは頭に入っているんだ。良しと言えば自分の持ち場に戻るって」
「本当に君のために集められた者たちなんだな」
「ああ、健気だろう? お前らもう良いぞ。持ち場に戻れ」
 オーが言うと掃除屋たちは皆ぞろぞろと城門を通り、マチへ抜けていった。
「それに忠実な様で」
「良い子たちだよ」
 掃除屋たちがいなくなった城は変わらずがらんどうであったが、やはり入ってきた時とは違い艶やかな装飾が施されている。これらは全て掃除屋たちが行ったことなのか、カラスにわかることではないが、彼の心を不安定にさせた。

 オーは城の中にある一つの扉を開けて、その中に入っていく。
「おいおい、図書館に行くんじゃないのか?」
「だから言ったろ? 図書館に行くのはチュートリアルが終わってからだって。だからこれはチュートリアルのイベントってわけさ。最初の武器選びだよ」
「最初の武器ってもう既に遺術と言う最強とも言える武器を持ってるじゃないか」
 オーはカラスの発言に呆れるたような表情を浮かべると、腕輪型の駆動装置を取り、それを手に付けながら言った。
「もちろんあれでもいいんだけど、あれは所謂緊急のアクセスコードなんだよ。だから普通に扱うよりラグが大きいし多くのエネルギーを使用する。だけどこの駆動装置を使えばこいつが恩恵をくれる」
 腕輪を指差しながらオーは続ける。
「遠い世界システムに何かを頼むより、小型化された世界システムに申請した方がラグが少ないのは当然だろう? もちろんオリジナルよりかはできることは限られるけど、この世界を旅する程度には十分だ」
 カラスさえも生きることが大変なこの世界を、旅という難易度の高い行いを添えたうえで、程度と言ってしまうオーは異常だが、それでも世界システムの恩恵を最大限に受けたオーからしたらこの程度なのだろうなと思ってしまう。
「それが小型の駆動装置と言うことか」
「そうだよ。他にも剣型とか、カラスが背負っている銃型とかあるけどやっぱり目に見える武器のような物はいざ誰かに捕まった時とか不便だしね。それにこっちの方がスタイリッシュだ」
「なんか、見栄えとか気にするんだな……」
「これでも僕だって女の子だからな」
 オーはにっと可愛らしく笑いながらブレスレットのような駆動装置を左手に取り付けた。
「じゃあ次のチュートリアルは何なんだ?」
 次に早く進みたいカラスは急かすようにオーに尋ねるが、オーはまた笑った。

「武器を選んだんだぜ? 次は勿論戦闘訓練じゃないか」
 瞬間、足元が光り輝き、気が付くと先ほどまでいたがらんどうではなくなった城のホールへ飛ばされていた。しかし城のホールは先ほどとは違い、一体の機械兵器が佇んでいた。
 初めて見る完全な人型の掃除屋だった。今まで見たことのないこの型をなぜ人型とすぐに認識できたかと言うと、カラスは前にも人型のような形の掃除屋を見たことがあったのだが、それらは全て人間でいう頭部を欠損していたりと人型としては何か欠けた形の型が多かった。しかし目の前に現れた掃除屋は機械体でありながら、頭部があり目とも呼べる部分や鼻、口などがしっかりと存在しており、人型と言われれば十分納得できる形をしていた。
 それと対面し、咄嗟にカラスは散弾銃タイプの疑似駆動銃を取り出し、構えを取るが、その射線をオーが手を伸ばし遮る。
「なっ。手を退けろ!」
「馬鹿言わないでくれよ。これは僕のチュートリアルだ」
 オーがそう言った瞬間、オーはその場から消え、既に掃除屋の元へ肉薄していた。掃除屋は右腕に付けられた丸鋸をオーに振り下ろそうとするが、オーはそれを華麗に躱し、掃除屋の腹部へ優しく触れた。
 丸鋸は耳が痛くなるほどの駆動音を鳴らし、その脅威という刃を剥き出しにしていたはずだが、その音は既に止まっている。人型は不自然だった。
 さながらカラスは時が止まったのではと錯覚するくらいに、オーは人型より速く動いているように見える。高速で動いている何かは度々停止しているように見えると言われるように、丸鋸はその形を留めている。

 カラスの錯覚は正しかった。錯覚を正しいということはいささか語弊があるが、その名の通り、人型はその戦意、敵意関係なしに動きを停止させていた。
「止まっているのか……。どうして」
 オーはその疑問に答える前に、もう一度人型の胸部に触れた。その時すらも音はなかった。しかしオーが触れた人型の胸部からは城の壁を見ることが出来た。胸部には拳大の穴が空き、そして人型は気付いたようにその身体を地面へ力なく伏せた。
「いくら人型で作ったからって、心臓の部分にエネルギー炉を置いておくなんて愚かだよね。弱点を自ら教えちゃうなんてさ」
 オーが述べていたチュートリアルが終わったということを、カラスはオーが口を開いたという事実から認識した。
「お前、何をしたんだよ……」
「物体の時間の停止と、物体の転送だよ」

 火を熾す、水を生み出す、風を作る、光を発する。全て人間が駆動装置を手にする前から科学的に確立されていた技術であり、遺術はそれらを応用したテクノロージーの一部であったのだが、オーが扱った遺術は明らかに人類が辿り着くことのできなかった術であった。
「人が作り上げられなかった? 違う、作り上げたんだよ。時間を戻したり、止めたり。遠くに瞬間移動したりさせたり。元を辿れば世界システムだって人類が作り出したものなんだからさ」
 カラスの言いたいことを予想していたかのようにオーはそう応えた。いくらここで押し問答をしようとも科学に対して分解と修復程度の知識しかないカラスはそれ以上の追及を諦めた。
 今はこれほどまでに強力な戦闘能力を持つオーが味方であるということに感謝し、それとなく会話を続けた。
「はは、強い味方がいてくれてこっちとしては有難いよ」
「まあ僕は人類の科学の結集みたいなところあるからねぇ。でも驚かれるのってなんだか不本意なんだよ。なんてたって結局のところ僕は君たちの先祖に作られたんだからさ。自分たちが成し遂げた栄光を忘れてしまうなんてさ。人類ってちょっぴり愚かかもね」
「多分お前が言いたいのは結晶か? まあ何度もその歴史の歩みを止めていたら遥か昔のことなんて忘れてしまうだろうさ。人は忘れる生き物なんだから。いつかは大事な約束だって忘れてしまうものなんだよ」
 カラスは虚空を見つめ、表情に影を落とす。その顔をオーは覗き込む。可愛らしい顔が突然視界に現れたカラスは、なんだか照れ臭くなり、その目を見ることが出来ない。
「女?」
「いいんだよ、お前はそんなこと気にしなくて! さあ次のチュートリアルはなんだよ!」
 オーはにひひと笑い、何か良いことを知ったと言った様な表情のまま続ける。
「戦闘が終われば続きは簡単、『体力の回復の仕方』だね。でも生命力を使って発現する申請と受理は全てにおいて食事と睡眠の体力回復によって賄われるから、これは飛ばしだ。結局簡単にワンアップなんてできなくて、地道に体力を付けろってことなんだよな。世知辛い世の中だぜ」
 困った様に首を振るオーを横目に、カラスは「レベルアップだろ」と訂正した。



 本、書物、書籍、文書。言い方なんてどうでもいい。紐や糊などで閉じられた紙の束がそれも束のように棚にずらっと並べられている姿は荘厳で、言葉にしがたい何かがあった。その量は区や市で建てられている図書館とは比べ物にならない。国立図書館を見たことのないカラスはそれこそ比較できないが、その量からして国立図書館よりも大きいのではないかと思われるほど本が立ち並んでいた。
「これ、何万、いや億の単位じゃないか……?」
 そう告げたカラスはその膨大な数よりも地震が起きたら大変だなと、突拍子もないことを考えていた。
「十億行くか行かないかかな。いつのどんな時代でも人って本を書きたくなるんだよ。日記だったり、小説だったり、自伝だったり、記録だったり。一時期若者の本離れなんてこともあったみたいだけど、人と本ってのは結局切っても切れない関係だったみたいだね。皆覚えていてほしんだよ。自分が自分たちがいたって言う事実をさ」
 記憶がないはずのオーは物悲しそうにそう告げた。培養槽で作られたということは誰かのクローンかもしれないオーにその誰かの記憶が宿るということはあるのだろうか。それとも彼女の人間的本質か。そんなことを考えながらカラスは「結構あるな……」と呟いた。
「僕は多分日記でもすぐ飽きちゃうと思うな。生まれてまだ数時間だけど、そんな風に弄られてる気がする」
 と笑いながら自分の頭を優しく小突いた。
「俺も本を書いてたんだ。これだけあれば俺が書いたのがあってもおかしくなさそうだな」
「へぇそうなんだ。どんなのを書いてたの?」
「『旅行記』っていうルポを少しな。俺は結構夢見が良い方で、想像力が高いのか、色んな世界を夢の中で旅をしたことがあるんだ。そこで経験したことを本にしてみたら案外ヒットしてな」
 オーは目を瞑りながらもカラスの話を聞いていた。カラスはまたオーに嘘をついたことを多少申し訳なく思いながらも、オーの様子を見守った。
 少しするとオーは目を開け、一つの棚から一冊の本を取り出した。
「それは――」
「旅行記だね。ここにはある時点からの世界中の本が納められているんだよ。カラスの本は後に残すべきだって認められたみたいだね」
 と、オーはぱらぱらとページをめくりながらカラスの旅行記を眺めた。
「自分の書いたものを目の前で見られるって言うのはなんだか気恥ずかしいな」
「不思議だ。カラスが書いたものは全て過去に実在していた都市ばかりだよ。カラスは頭を世界システムに弄られただろうって言ってたけど、その話は本当だろうね。だってそうじゃなきゃ、記録なんて概念がなくなりつつあるこの世界で、これら多くの過去に存在していた都市の詳細をこんなに知識として持ち得ることは不可能だよ。しかもそれを夢で見たなんておかしなはなしだ」
 カラスの『旅行記』には大小様々な国や都市のルポが描かれており、その数はゆうに三百を超えていた。それらすべてが過去に存在していたとすると、カラスの夢の中でかつての世界を旅していたということになる。しかしカラスはそれほどまでの驚きを見せず、「やはりそうか」とだけ述べる。
「あんまり驚かないんだな」
「いや、まあおかしいと思ってたんだよ。その夢はやたらとリアルで、気味の悪い程だったよ。だがそれの元凶が時すらも超越する世界システムだって言われたら普通に納得せざるを得ないしな」
 そう言いながらカラスはオーの持っていた『旅行記』を取り上げ、出版年が見られる前に本棚へと仕舞い込んだ。そして話を逸らすようにカラスはオーに尋ねた。

「これだけ膨大な量がある図書館でお前は何を読みに来たんだ? 書物を読むより培養槽で頭にインプットされた方が効率が良かったんじゃないか?」
「いや、いくら形式的な情報を教えてもらっても自分で体験しなければ意味ないんだよね」
「体験?」
「うん。僕がここでするべきことは過去の人間に恋をすることだ」
「恋?」
「ああ。魚じゃなくて恋愛の恋だよ?」
 カラスは、世界システムは訳の分からないことをするものだなと思いながら、オーの後を追う。するとちょうど本を読むための机の上に、二冊の本が置いてあった。先ほどまで誰かが呼んでいたかのように置かれているそれらはオーが読むべきその本であるということが分かった。
「二冊とも『英雄伝』というのか」
「そう二冊とも英雄伝だけど、中身は全く違うんだ」
 左側の本を指差しながら言う。
「こっちは、世界システムを作る切っ掛けを作って、人類に英知を齎した人物の話」
 右側の本を指差しながら言う。
「もう一つは、ある時世界システムのコントロールを奪われ、世界改変が行われてしまった時に、その元凶を打倒し世界をあるべき姿に戻した人物の話。その名の通り、両方とも今僕たちが生きている世界の英雄の話だよ」
「そういうことか。その本も要するに俺の旅行記のようにフィクションの様でノンフィクション。その二人の英雄はかつて世界に存在して本当に世界を救って見せたと」
「うん。左の本の英雄の名前がレイで、右の本の英雄の名前がアルマっていうんだ」
 その名前を聞いてカラスは一瞬表情を崩すが、すぐに元に戻し、話を続ける。
「俺の通り名と同じだな」
「そうだね。やっぱりカラスは世界システムの計画しているなにかの根幹にかかわってるのかもしれない」
「ただの傭兵だぞ?」
「これだけの共通項を踏まえて、もう一度その言葉を言えるかい?」
「どちらにしても俺は世界システムの元へ行かなければならないみたいだな」
「そのためのチュートリアルだ。ラッキーなことにこれは世界システムが書き上げた本なんだ。だから最新鋭の技術が扱われている。さあ物語の中に行くとしようか?」
 オーは静かにカラスの手を取る。カラスは訳も分からずにオーと共に本に触れた。瞬間カラスとオーの頭の中に膨大な量の情報が流れ込んでくる。
それはさながら全身でその小説を体感するような感覚――。



 焦りだ。今この現状をすぐに打破しなければ死んでしまうかもしれないという焦り。
 ふと顔を上げると、多くのビルを覆う硝子は散り散りに砕け、ところどころから火を噴きだしている。車は電柱に突っ込み、バスは横転し、多くの人々は死に道端に転がっている。
 その人々の身体からはだんだんと植物の枝のような物が生え、手や足の皮膚も樹皮のように固くなっていく。そして最終的には、死にながらも立ち上がり、正常な人間を襲い始める。子供を産むということが出来ない彼らは、感染という力を使って、種を増やしていく。
そのうちの一人が自分のことを追いかけていた。そんな奴等に対して本来でれば恐怖や気味悪さなど負の感情を抱くはずだが、なぜか自分は気になっている。逃げたいけど、逃げるわけにはいかないような。全速力で走って逃げたいのに、後ろを振り返りたくなるような。
自分を同じ異形に成り下がらせようとしている者は――かつての友だった。そして自分の手には銃が握られている。

 ゾンビパンデミック、ウイルスパンデミック。彼らにとってそんなことはどうでもいいことであった。生きるか死ぬかの大騒動は人に塗れた世界を簡単に恐怖に染めていく。感染した者の体液――血でも唾液でも何でもいい――を自分の体内に取り込んでしまったら自分もリビングデッドに成り果てる。
二〇一七年に起きたことであった。

 自分は走りながら考えに、考えその足を止めた。自分は振り向き、銃を構え、友を狙った。心の中でゆっくりと三つ数える。

 三。二。一。

 本来自分のために友を殺すとなれば、謝罪や悲しみの言葉が口から出るのであろうが、自分の場合は違った。
「俺の生を邪魔するからだ」

 ――ズドン――

 と、一つの銃声が辺りに鳴り響いた。銃口から放たれた弾丸は散弾であるために、異形に成り果てた友の頭部を粉砕させた。友の血液すらも感染源となり得ることを知っていた自分はその死体を、それこそ地面に転がるゴミのような目で蔑み、ただ無心に銃の再装填を行った。
 冷酷に、冷静に、冷淡に。この死に始めた世界で、他はどうでもいい――自分がただただ未来を見るために、自分は友すらも銃とナイフの錆にする。



「――!? はぁはぁ――」
 一瞬で呼吸を乱したカラスは机に手を付いた後、近くにある椅子に座り込んだ。ふと思い出したのはレイという少年がパンデミック後に初めて友を殺した記憶だった。だが見たのはそれだけではなかった。パンデミックが終息した後の孤独や絶望。新たな生との対面による悩みや殺意。そして彼の愛や慈悲の心も。
 遺術と称される駆動魔法や駆動装置の前身を作り上げたのも彼であり、その名の通り彼は英雄であり、新人類に父と敬われていた。

「言わなくてもわかるだろうけど、彼の名前はレイ。傀儡と呼ばれた樹に成り果ててしまった人から生まれた、植物と人のハイブリットである新人類種をまとめ上げ、新たな世界を作り上げた男の名前。僕の身体の中にある駆動装置を使うためのエネルギー器官も彼の子供ら新人類種からあるものなんだ」
 オーは淡々と述べながらレイの英雄伝を本棚のあるべき場所にしまう。カラスは先ほどのダイチの川で汲んだ水を口にして、乾ききった口内を潤した。
 そして口を開こうとするが、もう一度その口を閉じてしまう。
 レイという旧人類――樹と交わる前の人間――最後の男の孤独な人生を、本をヨむということで追体験したカラスは、簡単に感想を述べることが出来なかった。
「記憶投影式の本は初めてだっけ? さっきこういうのは経験あるって聞いたけどそんなこともないのかい?」
「いや、本では初めてかな。だが凄まじいものだったな。英雄とは……英雄は――」
「そうだね、僕も少し疲れたかな。図書館では御法度かもしれないけど、コーヒーでも淹れようか」
 オーはそう言いながらまたカタカナ言葉を呟き、光の中からポットと二つのカップを取り出し、カップに黒い液体を注いだ。
「なんでもありだな。世界システムは。これはもうずるの域だ」
「レイの気迫を見たからわかるだろうけど、これは全て人間が作り出した技術なんだぜ? だからその恩恵を忘れてしまった君たちが悪いんだ。それよりも僕が気になるのはそれより君がコーヒーを知っているってことなんだけどな」
「オーが言いたいのはレイの『記憶』か?」
 と、カラスはオーの疑問を誤魔化した。
「そうとも言うかな? まあゆっくりやろうよ。どうせもう一冊も読まなきゃいけないんだ。前知識からすると、恐らくアルマの英雄伝の方が苛酷だからさ。レイの英雄伝はカラスにとってのチュートリアルかもね」
「はは、そりゃ大変そうだ――」

 もう一度本の中に自らが入り込むような感覚を味わう。この脳の回路がショートしそうになる感覚は二度目としても慣れる気がしなかった。そしてカラスはアルマを体験する。



 手に握られている銀色の短剣は彼の象徴であり、彼が昔から所持していた武器であった。正面に立つのは人であり、その手には剣が持たれている。白銀の甲冑に身を包んだ正面の男は自分と敵対関係にある者であり、その男の背後には人族の兵士が備えている。
 それに対し自分の背後に備える者たちは異形の形をしており、この世界で所謂魔族と称される者たちであった。頭から狼の耳を、腰から狼の尾を生やし、左腕を金属の外骨格で覆っている自分もかつては白銀の甲冑を身に纏う人族の一員であった。しかし自らの内に秘められていた力を使うにつれ、身体は人ならざる者に変わり果てていき、自分は人の道を生きることを捨てざるを得なかった。
 本当の過去を知る者は数少なく、今目の前に立つ人族の男ですら、自分を異形と蔑み、今にも剣を振り下ろさんと構えている。

 ――だが私は王だ。人から生まれた異形の王だ――
 自らが作り上げた平等の楽園を守るために仮面をつけ、自らの元に歩み寄ってきた異形の仲間のためにかつての人族の仲間すらもこの短剣の錆にする覚悟であった。

 白銀の甲冑に身を包んだ男は人族の中で一位、二位を争う実力を持った戦士であった。人族の統治下を広げるために新参者である自分の元を訪れ、国を明け渡せと言う。しかしそんなことを受け入れるはずもなく自分は一対一の決闘を申し込み、自分に勝てれば国を明け渡すという約束をした。

 そして男はその剣を自分に向かって振り下ろす。この身体に成り果ててから、魔法は使えなくなってしまった自分であったが、それと同時に異形としての身体を手に入れたのも変わらなかった。そんな自分にこの男が勝てるはずもなく、振り下ろされた直剣は鮮やかな短剣の弾きによって、宙を舞い、男の後方の地面に突き刺さる。
 剣を失っても尚拳で向かってくる男に対し、自分は金属の外骨格を取り付けられている左腕を用い、激しい殴打を行った。
 こんな男が自分に勝てるはずがないのだ。
 ――だって私は人族の最大の英雄であったのだから――。



 二人の英雄は似ていた。今のために過去を捨てることが出来る人間が、英雄伝には描かれていた。そしてアルマの英雄伝を読み終わったカラスはその二人の英雄の共通点に気付き、オーに告げた。
「過去を捨てることのできる人間が、英雄になるのか? そんな浅はかな――あッ――」
 突然不自然な声を上げたカラスに驚き、オーは本棚にしまうはずであったアルマの英雄伝を手放し、カラスの方へ振り返った。その先には頭を抱え悲痛な声を上げるカラスの姿があった。
「カラスッ――」
 カラスの元に駆け寄り、オーはカラスの身体を支え、どうしたの、何があったのと訴えかけるがオーの声は届くはずもなく、カラスは未だに痛みに耐え兼ね声を上げる。それはだんだんと絶叫のようになっていき、喉が焼き切れんばかりの叫びをあげたと同時にカラスは地面に伏した。
 遥か彼方でオーが自らを呼んでいるような気がした。



 夢でも見ているような感覚であった。夢は記憶の整理のために見るものと言う謂れがあるが、本当に自らの記憶の整理をしているような夢だった。
 これはそうアルマの英雄伝だ。世界システムの掌握によって書き換えられた世界を元に戻すために『足掛かり』とされた英雄。多くの人間の能力を世界システムの力によってメモリー化し、それを全て一人の人間に統合させる。そのうちの一人がアルマだった。
 ――これはアルマの記憶か?
 そうアルマに一生を添い遂げる伴侶はいなかった。それはいつしか失った誰かを探しているからだった。記憶から消されたはずの誰かを。
 ――記憶を消された? これはアルマの記憶だ。
 その誰かの名前は何だっただろうか。アルマは思い出すことはなく一生を終えた。『足掛かり』のベースとなった者が求めた誰かを、次の『足掛かり』も生きる糧にしていた。本来は別人であった彼らは何の因果か、共に同じ誰かを求め、その者のために戦った。
 そして彼らは一つとなり、世界を元の姿に戻したのであったのだが――。
 ――これは俺の記憶か……?
 そう私が追い求めた彼女は、薄っすらとであるが機械が作り出した少女に似ていた気がする。オー、君は本当に誰なんだ。
 ――俺の記憶だ。アルマの記憶は――



 ふと意識が覚醒したカラスは薄っすらとその重い瞼を開くと、正面には瞳に涙を浮かべた少女の姿があった。彼女の姿はどこかあの誰かに似ていて、どうしようもなく愛おしい。
 カラスはこれまた重い腕を持ち上げ、彼女の涙を優しく拭い、名前を呟いた。
「リッカ――」
 その言葉を聞いた少女は不満げな表情を浮かべ、カラスの腕を払った。
「僕はオーだって自分で言ったのになんだよ。他の女と名前を間違えるなんてさ」
 腕の痛みで確かに覚醒したカラスは首筋を擦りながら上体を起こした。そこまで首が痛くないこととオーが正座でいることを見たカラスはオーの優しさを感じた。そして少し照れつつ言う。
「いやすまない。まだ寝ぼけていたみたいだ。ありがとうオー」
「ふん、謝るなら痺れの無い足を返して欲しいね。今では立つのもやっとだよ。生まれたての小馬鹿みたいだろ」
「俺も何が何だがわからなかったから、本当にすまない。あと馬と鹿ではなく子馬、若しくは子鹿じゃないのか? 生まれたての小馬鹿ってのは纏め過ぎているだろう」
「ふむ、それもそうか。まあそうとも言うって奴だよ。して、急に気絶なんてどうしたんだ? 流石に僕とて驚きを隠せなかったかな」
 その言葉に対しカラスはアルマの記憶と自身の記憶の一致についてを告げる。
「なんだか、過去にアルマと同じような体験をした気がするんだ。世界システムに封じられた記憶を呼び起こした際に起きる強烈な頭痛。これは少なくとも今回を含めて二度以上、受けたことがある気がする」
「そんなに何度も世界システムに頭を弄られたということかい? その頭痛は何度もあったかもしれないけど、アルマとの過去の一致はあまりにも不自然だろう。恐らく二度も物語を追体験したから一時的な記憶の混濁が起きているだけだと思うな」
「そうか、まあそうだよな。アルマはもっと遥か昔の人間なんだろう?」
「あの物語を見ればわかると思うけど、人間とは言い難い人間だったよ。それも遥か数千年前のね」
 その言葉にカラスはこの世界の果てしない年月を感じ、ふとまた頭痛を感じ、椅子に座り込む。
「次にすぐ行きたいだろうけど、少し休ませてもらっていいか? 俺のが年をとってるからか脳の容量が少ないみたいだ……」
 オーはやれやれと首を振りながら、カラスの提案を承諾した。
「休憩が必要ならもう一度コーヒーでも淹れるとしようか。生憎数時間ここで時間を潰したとしても世界が滅んでいることに変わりはないからねえ」
「なんかその話を聞くと申し訳なくなるな……」
「別に皮肉で言ったわけじゃないさ。本当のことだ。灰もない、浄化装置もないこのマチでちゃんと休んでおくとしようよ。外に出てしまえばこんな安寧は得られないんだからさ」
 それもそうだな、と言いつつカラスはオーの淹れてくれたコーヒーを口にして、少し渋いなぁと呟いた。



 少しの仮眠と、多くの食事、多くの休息を取った後、カラスとオーは装備の準備を整えてマチを出る。といっても、この先にはただひたすらな洞窟が続いており、未だに地上までの道は遠いはずだった。
「なんだよ、この階段は……」
「なんだよって、地上への階段だろ? そんな驚くことはないじゃないか。だってさこの設備もマチもダイチも全て世界システムが作り上げたものだぜ? もう驚くのも面倒臭くなってくるんじゃないか?」
 オーは階段を登りながら言う。カラスはもう飽き飽きだなと思いつつ、笑みを浮かべオーの後を追った。
 地上に出るとこれまた変わり映えのしない灰色の世界が二人を待っていた。灰に塗れ、灰が舞い、灰が肺を侵す。そしてそこに留めと言わんばかりに掃除屋が闊歩する。どうしても変わってくれないこの世界にため息をつきつつ、カラスはオーに聞き忘れていたことをマスクとゴーグルと付けながら尋ねる。
「忘れていた。世界システム、俺たちの目的地とするべき場所はどこにあるんだ?」
 それを見たオーも気付いたようにゴーグルとマスクをつける。
「おっと察しの良くて頭のいいカラスさんならもう気付いていたと思ってたよ」
「それは予想が外れたな。こちらとしては全くさっぱり?」
「はは、ここまで清々しい開き直りは初めて見たよ」
「初めても何もお前はまだ数時間しか生きてないだろう」
「それもそうだね。そう、僕たちの目的地はかつて人間に幻を与え、今、人の命を脅かしている世界樹――――その下だ」

  • 最終更新:2019-04-28 22:04:31

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