世界は今日も火に焼かれている

エピソード一覧


本編

 鳴り響く怒号。舞い散る血飛沫。鼻に付く鉄の香り。そして鋭くも鈍重な痛みと共に光は消えていく。
 本当はこんなはずじゃなかった。平和な世界で、平凡に生きていたはずだった。

――どこかで間違えた? 違う、自分で選んだ。

 まだ巡り続ける輪廻の中で、微かに自分とは違う何かの鼓動を感じる。

――これが新たな力か。

 だがそれはいつもの如く、身体の奥底に封じられ、また消えていく。

――後何度。



 恐らくこれが最後だ。



 そう誰かの声が響いた気がした。






 人類三種族のうち人間種が持つ最大の都市、商業都市パレル。そこから数キロの「離れ森」に彼、かつて傭兵として名を馳せ、今は一人静かに森の奥深くで一人暮らす少年、アルマは住んでいた。



 木枠の窓からは、寝起きに眩し過ぎる朝日が差し込み、目を執拗に照らしていた。

 アルマは薄いブランケットを除け、冷たい木の床を足で捉えたが、やはり寝起きだからか少し足がふらつく。そんな脚を引き摺りながらも家の扉を開けた。


 先ほどとは比べ物にならない光が、彼の目に入り込んできたため手をかざし、外の明るさに目を慣れさせる。目が慣れてくると朝日に照らされ、緑に輝く悠然とした森が目の前に現れた。

 彼は清々しい森の空気を胸いっぱいに溜め、またそれを吐き出した。朝の少し湿った空気と草木の青臭い匂いが、起き抜けの体には心地良い。睡眠により肺に溜まった悪い空気が浄化されていくのを感じる。


 顔を洗うために、家を出て右方向にある湖に足を運ぶ。


 樹木が水面に反射し、そこに光が差し込む。木々に囲われた碧い湖の畔に小さな木の家。宮廷画家が見たら絶賛するような場所で、小鳥がさえずり、その風景をより一層美しく魅せる。


 彼はその湖のそばに膝をつき、顔を洗った。
 手から滴り落ちる水は宝石のように煌めき湖面に溶けていく。

 さっぱりとして滑らかな水は肌に染み込み、朝の緩んだ表情筋を締まらせた。それから少しの水を口に含み乾いた口を潤す。


 そして家の脇に立ててある簡易的な蔵から鎌鼬の肉を取り出し、家へと戻った。その肉を台所で適当に処理をして焼き、食す。

 乾燥肉とまではいかないが保存用にしてある肉は歯ごたえが凄まじく美味しいものとは到底言えなかった。

 その肉を食べながら蔵の中がすっからかんになっていたことを思い出し、今日は久々に狩りをすることを決めた。


 楽しむための物ではなく、単純に栄養補給するための食事を終え、クローゼットから適当な武器と防具を取り出し、身に着け、鎌鼬が多く出る森の浅い地帯へ足を運ぶ。



 アルマはある程度開けたところで、丁度良い間隔の二本の木を見つけ、そこにロープを括り付ける。ここで狩ってきた鎌鼬の血抜きをするために。

 しかしその時アルマはどこか森の中に違和感を覚えた。違和感と言っても鳥の鳴き声が少ないとか、見る魔物が少ないなどの状況から把握するものではなく、風が悪い気がするといった程度の直感であった。

 ここで何でもないという憶測で普段通り行動しても良いのだが、それは素人のすることだとアルマは考えていた。

 齢十五歳にして、多くの冒険者と渡り合ってきたアルマ=レイヴンは大抵の人間がその程度と投げ捨てるようなことを必ず重要視してきた。それ故に洞窟内の罠や突然変異体の魔物との遭遇も未然に防ぐことができた。



 それは|迷宮《ダンジョン》と呼ばれる魔物の巣窟ではないこの「離れ森」でも変わらない。アルマはその違和感の正体を確かめるために、一旦狩りを中断し、森の散策を始めることにする。後々固有技能でこの場所を察知できるように、括り付けたロープに魔力を流し込むことで自らの魔力をマーキングしてから森と平原の堺へと足を運んだ。

「あれは……」

 視線の先にいたのは一人の女性に連れられた多くの――大体アルマと同じくらいの年齢の――少年少女たちだった。
 おそらく森の近くにある都市、商業都市パレル内にある魔法学園の生徒たちだろう。


 この森と、森を抜けた先にある平原は鎌鼬などの下等魔物が多く戦闘初心者には持って来いの訓練場だった。だから学園も生徒たちの訓練としてこの森を選んだのだろう。

 運の悪いことだ。人嫌いでこの森に独りで住んでいたというのに、行動を起こそうとするとこういった嫌なイベントに巻き込まれてしまう。

 アルマはなるべく彼らに気付かれない様、森の奥へと進んでいこうとするが、学園の者がその歩を止めず、鎌鼬よりも強力なゴブリンがいる森の中層へと足を踏み入れようとしたため、彼らの安全を思い、これ以上先に進まない様、警告をしなければならなくなった。


 といっても、彼らの前に姿を現すわけではなく、樹々の魔力を通して。

 ここら一帯に生えている樹は全て命樹という魔力を多く有する樹であるため、その魔力の性質自体も酷似している。それを利用して命樹の魔力をアルマの魔力によって振動させることでその他多くの命樹の魔力も振動させる。

 魔力が扱えるのに魔法が使えないアルマが辿り着いたあまり知られていない魔力の活用法だった。

 結果樹々はアルマの声を大きくするメガホンの役割を果たす。

『これ以上は訓練には向かない、立ち去れ』

 森の中で木霊するアルマの声はまさに怪綺談出てきそうな不気味な声で学園の者たちを震え上がらせた。

『俺はこの森で生きる者。お前たちの安全を願って伝えている』

 もちろん人の命が失われることを危惧しているが、本当はここで人の命が失われ、ゴブリン討伐の命が冒険者の元へ届けられ、森を他の者に脅かされるのを防ぐためだ。

 その言葉に安心したのか知らないが学園の者たちは足を止め、来た道を戻り、少ししたところでキャンプを設営し始めた。

「まあそこら辺なら大丈夫だろ」

 そしてアルマは彼らから離れて狩りを始める。



 魔力を可視化することのできるアルマの固有技能の|紅魔眼《マジックセンス》で捉えた鎌鼬を|投擲短剣《スローイングナイフ》や弓矢で仕留め、首に血抜き用の切れ込みを入れた後、ポーチの専用の括りに付け、マーキングをしたロープの元へ行く。それを繰り返し、ある程度ロープの場所が無くなってきたら、最初に掛けた鎌鼬から解体の作業に入る。

 解体用のナイフを取り出し、最初に鎌鼬独特の外に露出している鎌を取り外す。

 この鎌は尻尾が進化したものであるため、背骨とくっついてしまっているが、付け根に特徴的な突起があり、そこにナイフを入れると簡単に取り外すことができる。そしてその取り外した鎌の切り口から背骨に沿って、皮を剥ぐためのガイドラインを首まで付け、首を一周する。
 ここまで来たら先ほど入れた首の切れ込みに指を入り込ませ思い切り引っ張ると皮が綺麗に剥ける。皮が禿げた状態になったら、腹部を切り開き、内臓を取り出し、頭も切り落とす。頭と内臓は命樹の元に食として頂くという感謝を込めて埋める。
 自然を巡らせることも、この森に住まわせて貰っている者として当然の責任だ。

 この時点で魔法が施された解体用のナイフを使った場合、ナイフに付与された魔法により、肉や皮、取り外した鎌などが薄茶色の綺麗な丸い石へと化す。
 これにより素材の腐敗進行を防ぐのだ。またその他にもう一つ鮮やかな紫色の、石というより宝玉のようなものが転がり落ちる。
 これこそ魔力が結晶化された魔晶石と呼ばれる石であり、魔物狩りや迷宮探索を行っている者たちの稼ぎである。これを換金することで冒険者は生計を立てているということだ。

 三十数頭、大体一週間分程度の肉が確保できたところでもう一度アルマは違和感を覚えた。

 先ほどと同じ違和感だ。あの学園の者たちが違和感の原因ではなかったということに気付くのにはそれほどの時間がかからない。寧ろそれに気付いてからだ。

「森に大勢の人が入ってきたことが違和感の原因でなければ、この違和感はなんだ」

 アルマはポーチをそこに置いたまま、|紅魔眼《マジックセンス》を発現させ魔力が多く集まるところに走っていく。

「不安の魔力……」

 アルマはその|紅魔眼《マジックセンス》によって魔力の波長を読み――ある程度ではあるが――その者が今どういうことを思っているかということを察することが出来た。
 そして先ほどそして先ほど学園の者たちが設営したキャンプ、そこから不安の魔力が流れ出ていた。

 キャンプの中にいた、生徒たちを先導していた教師であろう女性にアルマは話しかける。

「何かあったんですか?」

 女性は突然現れたアルマに警戒し、何も話そうとはしない。

「俺はこの森に住んでいる者。さっきあなた達が森の奥に入りそうになったのを止めたのも俺です」

 女性はその言葉にハッと表情を変え、その口をゆっくりと開く。

「私は商業都市にある魔法学園で教師をしているエリスと申します。私の生徒が森の奥のゴブリンの村に入ってしまったと他の生徒が……。助けに行きたいのも山々なのですが他の生徒の安全のためここから離れるわけには……」

 アルマの心にあるのは、この森で問題を起こすな、ただそれだけであった。だから問題として周知される前に片付ける。

「俺が協力しましょう。生憎魔法を使えない人間が魔法学園の生徒を助けるというのも変な話ですが、この森については熟知している。しかしこの森のゴブリンの数はかなりのモノだ……」

 ゴブリンという魔物自体の力は鎌鼬とほとんど変わらない。



 しかしそれは一個体についてであり、ゴブリンは基本村と呼ばれる集落を形成し、群れで行動するため、鎌鼬と比べゴブリンの脅威は圧倒的であった。

 しかも人間と同様二足歩行を覚えた生命であるため、かなり知性が高く、魔物という魔力の恩恵を多く受けている生命ということから、適応という進化が頻繁に行われる。

 ゴブリンはそれら多くの理由から驚異的な魔物として冒険者から恐れられていた。

 それらの情報をエリスが知っている前提でアルマは話す。

「ここの森の深層にはゴブリンだけでなく、|蜥蜴人《リザードマン》も生息している。|蜥蜴人《リザードマン》に狩られ続けたゴブリンは|蜥蜴人《リザードマン》の強靭な鱗を砕くための強力な筋力を手に入れている。いくら森を知っているとしても臨戦態勢の村のゴブリンを全滅させるのは無理です。だからあなた達は逃げる準備を。ゴブリンは縄張りを抜ければ追ってこないはずですが念のために」

 エリスはアルマの言葉を全て受け入れたものの一つの不安を言葉にする。

「あなただって子供じゃない……」
「あなたは他の生徒のためにここから動くことは出来ない。生徒をゴブリンの村に送るのもリスクが高い。ここにはあなたが負うべき責任の外にいる自分がいる。誰を利用するべきかは明確でしょう? 俺もこの森で騒がしくされるのは不愉快だ。誰かその村へ案内を」

 エリスが何か言おうとしたのを遮り、アルマは生徒がいるゴブリンの村への道案内を探す。ゴブリンの村はこの森の中にいくつも存在している。そのうちのどの村に生徒がいるのか知る必要があった。

「じゃあ私が――。あなたは……」

 そこには見覚えのある少女。赤毛に切れ長の目、赤い瞳、薄紫のローブにピンクのケープを羽織り、煌々と輝く紅い宝玉のついた杖を携えた少女サリナ=エースがいた。

 何かを言いたげなサリナを無視し、アルマは案内を催促する。

「早く!」
「は、はい!」



 サリナに案内されたゴブリンの村はアルマが嫌っていた――便宜上アルマがそう呼んでいる――三番の村であった。ゴブリンの強さは身体能力や進化もそうだが、手に持っている装備が大きく影響する。

 そしてこの村のゴブリンは特に棍棒系の装備を身に着けている者が多い村であった。

 直剣や斧を長時間振り回す筋力の無いアルマの装備は短剣。

 剣などであれば受け流しが可能であるが、棍棒系は受け流すにも衝撃が強すぎる。そのため分が悪いのだ。

 しかもこの村には鎌鼬を使役することができる名付き――強敵として冒険者のギルドに名前が付けられた魔物――である「飼育士」のゴブリンがいる村でもある。

 森に冒険者を入れないために、アルマが討伐を受け持った名付きであったが、実力不足で持て余していたのも事実であった。

 それもゴブリンだけでなく統率の取れた鎌鼬の群も相手にしなければならないという圧倒的多数の暴力。

 しかし悪いことを挙げていても仕方ない。今でも村の中心部では光の結界をゴブリンたちが取り囲んでいる。おそらくあそこに問題を引き起こした生徒がいるのだろう。

「サリナはここにいろ。俺がどうにかする」

 そう言い、隠れていた茂みから出ようとすると、サリナがアルマの袖を掴む。

「アル……。なんであなたは――」

 サリナの言葉を無視し、手を無理矢理引き剥がし、アルマはゴブリンの村へと侵入した。



 正面からやり合うのは愚かだろう。まずは飼育士を排除することで鎌鼬の統率を削ぎ、ゴブリンと鎌鼬の相打ちを狙う。

 指示系統を失った鎌鼬はパニックを引き起こし、ゴブリンを攻撃してくれるだろう。そこで数の減ったゴブリンを討伐し、生徒を救い出す。



 と、アルマは作戦を立てつつ近くの茂みに走り込み、徐々に飼育士との距離を詰めていく。

 下っ端であろうゴブリンたちが結界を攻撃する中、後方で木の棒を持ち吠えているゴブリンが飼育士だ。

 ある程度近づければ|投擲短剣《スローイングナイフ》で仕留められる。

 アルマは近くを通り過ぎたゴブリンを一匹静かに殺し、茂みに隠す。そして最後の直線を駆け、飼育士から一番近い茂みへと飛び込む。距離は十メートル。

 この距離なら|投擲短剣《スローイングナイフ》より弓の方が確実だ。アルマはばれるを覚悟して弓を引き絞り、飼育士へと矢を放った。鮮やかな一直線を駆けた矢は命中した。しかしそれは飼育士ではなく、なにか別のものに命中したようだった。

 飼育士のゴブリンを護衛していたゴブリンは手に鱗を纏った魔物、|蜥蜴人《リザードマン》の幼体を掴みそれを盾とした。

「食物連鎖の逆転だと……」

 ゴブリンの|蜥蜴人《リザードマン》捕食による森の魔力バランスの変化。それが先ほどまで感じていた違和感であった。

 驚異的な進化速度を持つゴブリンは|蜥蜴人《リザードマン》の幼体を捕食することによってその強靭な鱗を手に入れたようで、アルマの矢を受け止めたゴブリンの身体は薄緑の鱗に覆われている。

「ばれたのなら仕方ねえ!」

 アルマは愛用武器である銀の短剣と黒鋼のトレンチナイフを取り出し装備しようとするが、やはりあの時から魔封石によって作られた銀の短剣にはどこか嫌悪感を抱いてしまう。

 しかしこの状況でそんなことを言っている暇もなく、双方を装備し、鱗のゴブリンと対峙した。

 鱗のゴブリンは自ら攻撃しようとはせず、飼育士に指示をするような素振りをする。すると、飼育士は他のゴブリンに指示し鎌鼬が囲われていた柵の扉を開けさせ、そこから十数匹の鎌鼬をアルマの周囲へと放った。

「ここで、やるしかないか……。|紅魔眼《マジックセンス》!」

 アルマは|紅魔眼《マジックセンス》を左目のみに発現させる。

 今までは魔力の視野のみの発現であったが、この複数の魔物を相手にしない現状、魔力と物質の視野を両立するしかない。



 二つの世界の情報が同時に脳に情報を与えると、酷い酔いの感覚を引き起こすのだが、この二種を扱えるようになれば、肉体と魔力の情報二種を判断し、ある種一瞬先の未来視のような術が扱えるはずだった。



 この双眼を体得するか、鎌鼬に殺されゴブリンの糧になるか。選択肢は二つに一つ。アルマが進化するしかない。

「さあ、来やがれ。下等生物め」

 飼育士が吠えた瞬間に一斉に周りの鎌鼬が動き始める。

 突撃してきた鎌鼬の頭蓋骨をトレンチナイフの拳鍔で砕く。不快な音が辺りに鳴り響くがそれすらもアルマの糧となり命を燃やす。寧ろその音はゴブリンたちの士気を下げていく。

「一匹!」

 背後から突進してきた鎌鼬二匹を殴った反動を使い、身体を回転させもう一匹をトレンチナイフで串刺しにする。

 突き刺さっている鎌鼬の死体を、トレンチナイフを勢い良く振るうことで地面に叩きつけ、その死体に足が引っ掛からない様、蹴り飛ばす。

「二、三、四!」

 未だに勢いを止めない「五!」鎌鼬の群れに向かい、素早い動きで「六!」あらゆる方向から来る「七!」鎌鼬の攻撃を寸でのところで「八!」躱し、アルマは死体を「九!」量産していく。

「十ッ匹目だ!」

 その瞬間だった。一匹の少し身体の大きい個体がアルマの銀の短剣を弾き飛ばしてしまった。宙を虚しく飛んだ短剣はアルマの背後の地面に突き刺さる。
 迫り来る鎌鼬の群れを前にして、後ろの短剣を取りに行く余裕はなかった。

「くそっ。いけるかもって思った瞬間にこれか……!」

 そんな悪態を聞いていたのか、いなかったのか、無数の鎌鼬がアルマに向かって飛びかかる。八方塞がりの状況であるのだがそんなことも言っていられない。

 一瞬、行動が遅れた鎌鼬を見極め、その鎌鼬に肉薄し、アルマは拳鍔によって叩き落とし、突破口を見出したのだが、その影にはもう一匹の鎌鼬が備えていた。

「仲間の命を犠牲にしたフェイク!? 腕の一本くらい!」

 銀の短剣を失ったために空いていた左手を前に突き出し、身体を唸らせ繰り出そうとしている鎌を受け止めようと下刹那、鎌と左手の平数ミリの間から金属をぶつけ合った様な異様な音が辺りに鳴り響いた。

 それと同時にその鎌鼬の体が見るも無残に爆散した。

 紫の雨が辺りに降り注ぎ、アルマの火照っていた身体をゆっくりと冷やしていく。



 過信ではない。今まで感じたことのない、体の奥底から力が沸々と湧き上がってくるような絶対的な自信。

 一瞬で疲労困憊の体が軽くなり、自らの身体が風になったような錯覚をする。

 それこそ先ほどまで、|紅魔眼《マジックセンス》による、嫌な頭痛が、頭の芯で酷い存在感を放っていたが、それが心地よいほどにすっきりしている。

 故に、自分を後ろから見るような客観的視点で場の状況把握が行え、同時に飛びあがったように見える鎌鼬でも、筋肉量や魔力量の把握によって、どちらが先に自らの元に辿り着くかを判断することができる。

 異様な速度で身体を回転させながら敵を殲滅する姿はまさに竜巻。足元の土を抉り、森の綺麗な草花も容赦なくすり潰されていく。



 そして気付くとそこには酷い臭いを放つ紫の沼が形成されていた。その姿に恐れ戦く飼育士だが、鱗のゴブリンの指示によりアルマの前に立たされる。

「死にに来たか。くそ野郎が――っ!?」

 背後からの攻撃かと思い、目の動きだけでなんとか後ろを確認しようとするが、誰もいない。だが確かに感じたのだ。頭を誰かに強く殴られたような衝撃を。

 そして脳を揺らされてしまったのか、前方の視界が酷く歪み、その場に膝を付く。衝撃はアルマの頭の中に居座り、脳をぐちゃぐちゃにするような感覚を、強い痛みで与える。

「があああああああああ――」

 アルマの絶叫にゴブリンたちも怯むが、それが咆哮ではなく絶叫だと気付けばその距離をじりじりと詰めてくる。アルマは気絶しそうなほどの強烈な痛みと戦いながら、なんとか武器を手に取り、ゴブリンたちに威嚇を行うが、その願いが叶うことはない。
 
 飼育士は無慈悲に棍棒を振り上げ、アルマの頭を狙う。それを何とかやめさせようとアルマは頭を抱えたまま左手を振るった。

 何の奇跡か。その瞬間アルマの左手の甲に、明るい緑の紋様が浮かび上がり、左手は鎌鼬の鎌の柄のように黒く染まり、爪は全て鎌の刃のように白く鋭利に伸びていた。

 突如として現れた黒々とした刃は風の魔法を以て、飼育士のゴブリンを絶命させる。

 それと同時にアルマの頭痛は嘘のように引き、確かな気力の元、今一度地に足をついた。

 アルマは自分自身に何があったかわからないが、新たに獲得した武器はこの状況を打破するために授けられたもの、若しくは開花したものと信じて、鱗のゴブリンと対峙する。

『ギャッギャッギャ!』

 皿と皿を擦り合わせたような不快な声で吠える鱗のゴブリンはアルマの周囲に集っていたゴブリンたちを下がらせる。さながら俺がやるから下がっていろと言うように。

「ラウンドツーってところかい?」

 アルマは鱗のゴブリンの突進を避け、背中目掛けてトレンチナイフを振り下ろす。

 しかしそれを棍棒によって防ぎ、鱗のゴブリンは華麗な手捌きによって棍棒に突き刺さったトレンチナイフを弾き飛ばした。

 そしてゴブリンもその棍棒を捨て、アルマに対し挑発を行う。

「武器は無しってことか。上等じゃねえか」

 アルマは新たに手に入れた爪を使い、鱗のゴブリンに攻撃を行っていくがその爪が鱗を貫くことはない。どうにか、と攻撃を繰り返しているうちに鱗のゴブリンの殴打を腹部に食らい一旦引くこととなる。

「くそっ。どうすればあの鱗を貫ける? もう一度あの魔法を」

 そしてアルマは左手の甲の魔法陣に目を落とした。

 もしこれが装備に魔法の方陣を刻み込むことによって、武具に魔術を付与することが出来る装備魔法と同じ原理で魔法を放っていたとしたら。

 アルマは鱗のゴブリンの攻撃を躱しながら左腕に魔力を集中させる。すると今一度魔法陣は明るい緑に輝き、爪は高い金属音を鳴らし始める。

 そして自分の最大の力を振り絞り、鱗のゴブリン目掛けその爪を振るった。



 その風の刃自体が鱗のゴブリンに命中することはなかったが、その風の刃は着弾点から風を集め竜巻となり鱗のゴブリンを呑み込む。

 ゴブリンは竜巻の中で無数の斬撃を浴びていく。強靭なリザードマンの鱗を以てしても、その竜巻は耐えられないようで、だんだんと体の鱗が剥げていくのが見えた。

 そしてアルマはタイミングを見計らいもう一度、左手に魔力を溜め、竜巻から解放された鱗の禿げたゴブリンに対し貫手を放った。

 風の刃を纏ったアルマの左腕は、水の中に手を入れるかのような手応えの無さでゴブリンの体を貫く。汚いゴブリンの血液が降り注ぎ、アルマの体は紫の血に染まっていく。

 そしてその死体を地面に叩き落とし、周囲のゴブリンを見回す。

 鱗のゴブリンはこの群れのボスであったのだろう。他のゴブリンは鱗のゴブリンの敗北からアルマに対し敵意を向けなくなっていた。結界の周りにいたゴブリンたちを一言で退けさせ、アルマは魔法学園の生徒たちを救出した。

 左手の魔法陣は、魔力供給を普段と同じ量――意識しない程度――に戻すと灰色の刻印へと変わり、爪は緑色の光に包まれ弾け、その姿を消した。



「なんとお礼を申したらいいか」

 明らかにアルマが子供だと気付いていたエリスは敬語で深々と頭を下げている。

 それもそうだろう。あそこで取り残されていたのは、全能神の加護を受けた少年がリーダーを務めるパーティだったというのだから。

 全能神の加護を受けた少年、世間での呼び名はそう、「勇者」である。



 魔人種との戦争が停戦状態という、いつ戦争が起きてもおかしくない人間種にとって、魔人に対し特攻を持つ勇者を人間が匿っているのは理解できよう。

 そしてその勇者の実力を伸ばすために、魔法学園の生徒として教育を施していたのだろう。その矢先に、ゴブリンの村で孤立したということだった。



「お礼なんていいから、さっさとこの森から出て行ってください。疲れてるんだ」

 エリスは最後にもう一度「ありがとう」と頭を下げ、その森から生徒を引き連れ出て行った。



 家に着いたらまず血だらけの服を着替え、洗濯籠に押し込む。そしてその籠を持ち、湖へと向かい、自分の体を洗いながらその装備も洗った。その際、もう一度鎌鼬の爪を発現してみたらあの黒々とした爪が現れる。

 あの時だけでなく、いつでも使えるようだ。だが人体方陣――人間自体に魔方陣を組み込むことは――非人道的行為として、人間種の法律上違法とされている行為のため、意図的でないにしても公になればよくない待遇を受けるのは確かである。

 そこでアルマは倉庫に入れていた黒牛の革で手袋を作ることを決めた。



 そして家に帰り新たな服に着替え一旦ベッドに入る。寝てしまえばそれでという軽い気持ちで。

 その意識が曖昧な中、アルマは自分の身分証明に使う道具であるアイデンを取り出し、光魔法によるホログラムを起動する。自分の|特殊技能《スキル》欄を確認するとやはりあった。

 |紅魔眼《マジックセンス》とは別の新しい特殊技能「|大喰手《ビックイーター》」。

 |紅魔眼《マジックセンス》は魔力を可視化するだけの能力に対し、|大喰手《ビックイーター》は二種類の特徴がある複合技能――通常の技能より稀少な技能――であった。

 一つが魔力吸収。生物、無生物問わず魔力を吸い上げ、自らの中に吸収するという能力だ。生物の魔力の場合は、自らの魔力とするのではなく、別種の魔力として体内に留め、無生物から吸収した魔力は自らの魔力として還元するらしい。

 二つ目が複製。生物から吸収した魔力を自らの魔力で再現、複製することでその個体及び種族の固有魔法を使用する。



 これらの記述から考えるにアルマが先ほど使った風の斬撃は鎌鼬の固有魔法「風刃」であろう。

 本来鎌鼬はその乏しい魔力量故魔法を使うことができないとされているため、ほぼ伝説に近い魔法であったのだが、人間であるアルマが使うことになるとはアルマ自身も思っていなかった。

 魔法を使えなかったはずのアルマが手に入れた力は、魔物の魔法。

 しかし長らくの孤独を誓ったアルマは新たな力を手に、どこを目指すもなく、静かに森の中で暮らしていく。

次話


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  • テスト --- 管理者 (2020/04/16 00:04:50)
  • 状況が分かりやすく、面白かったです。 --- 藍露 碧 (2020/04/20 15:48:03)

  • 最終更新:2020-04-25 15:20:09

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