伝説の始まり

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前話


本編

 ルイーズが猪を狩り、見習いと認められてから早五年。彼女は十七歳へと成長し、村一番の美女になっていた。狩りの腕は当初こそ同年代の子供達の中で一番であったが、十七歳にまでなってしまえば、男女で大きく力の差が現れ始め、ルイーズの狩猟の腕も埋もれがちになっていた。特に一人前として認められる遥か遠きものの狩猟を行えずにいた。
 すでに周りの男たちは自らの心に決めた|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》を狩り、一人前として認められ始めているというのに。ルイーズは白き始源を目にしてからというもの、常に白き始源を求め、あの白い|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》と一体になると心に決めていた。
 幼い少女がいつか現れる王子様に憧れるように、少年が年上の美人の女性に心奪われるようにルイーズの心は白き始源の元にあった。しかし伝説的存在がそんなひょいひょいと目の前に現れることもなく、ただルイーズは自分の限りある時間を食い潰す生活を続けてしまっていた。
「よう、ルイーズ。今日もいくぞ」
 と声を掛けてきたのは、同年代のブレイクであった。ブレイクは現状ルイーズの同期の中で、一番大きく、一番綺麗な毛並みの|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》を狩った優秀な男であった。彼が背負っている|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》の毛皮は鮮やかな灰色に薄っすらと青みがかっており、山の空のような輝きを持っていた。身体はそこまで大きくないものの、|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》の確かな意思を宿したブレイクのその見た目は、さながら山を守護する狼のようであった。

 未だ見習いであるものの、狩猟の腕は未だ同期で一番であったルイーズと、その次に実力を持つブレイクがタッグを組んで山に入るのは必然であり、若き二人の狩人の成果は明らかにこの村の支えとなっていた。
 かつて主だった近接戦闘は危ないと長物である槍と弓のみを与えられていたルイーズの装備は大いに変化している。例えば弓は遠距離を狙うためのロングボウと近距離の戦闘ために速射を扱えるコンポジットボウの二種を持っていた。他にも柄に色を入れた動物の皮を編み込んだナイフや、ククリナイフを腰に差している。
 狼の毛皮を被らない代わりに、ルイーズはその鮮やかな黒く長い髪の一部を白い染料で染め上げ、黒と白と灰の入り混じった狼のような長髪をしていた。またルイーズの戦化粧は特徴的で瞼を黄色く塗り、その周りを黒く縁取ることで狼の黄金の眼を再現している。
 毛皮を被らずともルイーズは狼であった。

「ルイーズ、見ろ。|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》の糞だ。まだ温かい」
 ブレイクは普段使っている獣道に転がっていた糞を拾い上げ、そう言った。
「|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》がまだ近くにいるってことね。でもそれが白き始源かどうか」
 俯き加減でそう呟いたルイーズに向かって、ブレイクは不満げに悪態をつく。
「お前の実力があればすぐに一人前になることが出来るだろう。なんでそんなに伝説なんて不確かなものに固執するんだ」
「だって実直に信じ続ければ、また現れてくれるって聞いたから」
「身体だけ大人になって、頭ン中は子供のままってか。まあいい。一生で狩って良いと言われている|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》は一匹だけ。こいつを追いかけても無駄になるだけだから、他の獲物を探しに行こう」
「そうだね。今日はなるべく早く村に帰りたい」
「なんで?」
「風に何か不快な匂いが混ざってる気がするんだ」
「そうか、なら今日は一匹だけでも仕留めてさっさと帰ろう」
「うん」
 悪態をつくブレイクも、ルイーズの技術や勘を信頼していた。だからこそ数年ずっとタッグを続けてきていた。ブレイクもルイーズもその体躯から山を速く走ることを得意とし、猪や熊より、鹿やウサギを狩ることがうまかった。
 ブレイクの装備はルイーズとは少し違う。ロングボウと直剣。それと金属と皮を合わせて作った小盾を左手に装備していた。
 それにも理由があり、今ルイーズの左の首筋から肩にかけて三本の傷跡が走っている。その傷が出来たのは一年ほど前、ブレイクとルイーズが熊と遭遇した時であった。警戒しながら獲物を追っていた二人であったが、熊の縄張りに入ってしまい、奇襲を受けたことがあった。熊という強大な獣に対峙したブレイクは、あろうことか熊の目の前で腰を抜かしてしまったのだ。本来であれば死ぬはずだった熊の引っ掻きをルイーズはククリナイフの弾きと自らの身体で防ぎ、ブレイクを救って見せた。
 ルイーズの鮮血を顔に浴びたブレイクは腰に差していた剣で、熊を攻撃し、なんとかその場を凌ぐことに成功する。それもルイーズのククリナイフは獲物を狩るためではなく、自らの身を守るために帯びているものであるために、その刃にはトリカブトなどを調合した劇毒が塗られており、その毒を浴びた熊は、本来の戦闘よりはるかに早く体力を消耗したということであった。
 その出来事を切っ掛けにブレイクは狩人でありながら戦士のような装備を身に着けるようになったのだ。もう二度と彼女を傷つけさせないために。
 狩猟民族である彼らは普段から弓の鍛錬に勤しむがブレイクは一人剣の鍛錬に勤しんだ。その姿を見てルイーズは別に気にしなくていいと言っているようだが、ブレイクのプライドはそんな一言で治るはずもない。
 しかしそんな経験があったからこそ二人は、他のグループとは比べ物にならない程の信頼関係を築けていたし、剣士と狩人という異質なコンビは山で出る多くの獲物と渡り合うことが出来た。

「さあ最低限だが今日のノルマは達成だ。戻ろう」
 腸の除去と血抜きを終えた鹿を抱えながらブレイクとルイーズは山を下り始める。
 降り始めて数分経った時だった。ルイーズが何か変な匂いがすると言い始め、ブレイクに一旦獲物を降ろさせ、その変な匂いを辿り始めたのだ。そしてその先には黒焦げた鹿の死体が転がっていた。
「なんだよこれ」
「わからない。雷かな?」
「いやおかしいだろう。雨なんて数日降ってないぞ」
「そう言われてみたらそうだ。ずっと晴れてた。じゃあ山火事?」
「どちらにしても明らかなのは他の樹や土が焦げていないってことだ」
 ブレイクはしゃがみ、鹿の死体を調べるが、鹿の寝転がっている地面以外、火が着いたような形跡がある部分は見つからない。
「どういうこと?」
「雷でも山火事でも、絶対に木や葉が燃えて、それが鹿に燃え移るはずだ。いや雷の場合は違う可能性があるだろうが、これだけ高い樹がある山で鹿だけに当たるなんてことはほとんどないはず」
「嫌な予感がする」
「俺もだ」
「早く村に戻ろう!」
 ルイーズのその言葉に二人は獲物の鹿に申し訳なさそうにお辞儀をした後、凄まじい速さで下山を始めた。

 二人の中にあるのは焦りであった。数時間も山を歩いてきてしまった。直線距離にしたらそこまでではないだろうが、ここは山だ。まだ冬というには早いが陽が落ちるのも早くなってきているし、夜もかなり冷え始めてきていた。強く走れば、肺がきりきりと痛くなるくらいには、外の空気の冷たさは鮮烈だ。しかも山を走るための装備ではなく、狩りをするための道具を多く手にしているため、如何せん走りにくい。それを捨てるという選択肢もあったが、もしあの鹿が人為的にやられたものだと考えると、皮を剥ぐためのナイフだとしても武器を一つでも少なくするというリスクを負うことはできなかった。

 「ハッハッ」と小刻みな呼吸で肺を傷めないように、草を掻き分け、二人は山を走り続けていた。枯葉や露出した木の根で足元をすくわれることが多々あったが、それを華麗な体捌きで受け身を取り、ほぼロスタイム無しで走り続ける。この時点で二人は気付いていた。度々明らかな斬撃痕がある枝や叢があることに。恐らくあの鹿の死体からほとんど一直線に村へ向かって人が向かっているということだ。もしこのまま直進すれば、その村へ向かっている何かに追いつくことはできるだろうが、その者たちが敵意ある者たちであれば、返り討ちに会う可能性がある。
「ま、待って!」
 それに気付いたルイーズはブレイクを呼び止める。突然足を止めた相棒を心配し、ブレイクもほぼ同時に足を止めた。
「どうした?」
「はぁはぁ――。獣たちが一匹もいない。鳥も」
 喋るために大きく息を吸い込んだブレイクの肺は、突然の変化に咳き込む。
「ごほっ、ごほっ。そうだな。明らかに人が村に向かっているから急がないと」
「そうなんだけど、このまま行ったら、鹿をあんな姿にした奴と鉢合わせることになる。だから少し時間がかかるけど、頂上を迂回していくルートを使おう」
「なんでそんな。時間がないんだぞ!」
「見えなかったの!? さっき走ってきた道の植物が何か鋭利な刃物で切り裂かれた跡があった。この人たちは多分武装している。私たちが持ってる狩猟用の道具じゃあ敵わない。不意打ちを狙わない限りは……」
 ブレイクは焦っていた表情から落ち着きを取り戻し、一旦一息つく。
「そうか。それは気付かなかった。だったら迂回ルートで行こう。他部族との戦闘についてはまた後で考えるって言うことでいいか? 頭ではおさえようとしても身体が言うことを聞かない」
「それで大丈夫、行こう!」
「ああ!」



 そこから走り始めて小一時間と言ったところであろうか。日は落ち、辺りはすっかり暗くなり、月の灯りが森へ差し込んできていた。二人はある程度夜目が利くため、変わらず走り続けていたら遠くの方でぼぉっと火がついているのが見えた。それを見た二人は足を止め、姿勢を低くする。
 ゆっくりと近づいていくとそれは甲冑を着込んだ人間だということが分かった。
「人だ」
「ああ。人だと思うが、銀色のなにかを着てるな」
「多分あれは鎧の一種だと思う。腰に差しているのは剣だし、足元には盾が置いてある」
 ブレイクはゆっくりと姿勢を上げ、人数を数える。
「一、二、三、四。四人だな。一人は寝てる。他の三人も酒を飲んでるみたいだ」
 ルイーズは近くにあった木に登り、矢を弓に番える。
「起きてるうちの一人をやる。ブレイクは二人、いける?」
「ああ、まあ恐らく」
 彼らが行ってきたのは四足歩行の獣に対する戦闘であり、対人戦闘ではない。いくらブレイクが剣と盾を持っていたとしても、金属で身を包んだ人間に勝てると言い切ることはできなかった。だがこの先進んでいくには、敵であろう彼らを後方に置いておくことは危険だ。だからブレイクはここでやらなければならない。
 ルイーズはとんとんと木の上を渡り歩き、狙いが付けやすいところで、待機する。

――殺すなら頭か心臓。狩りと一緒……。でも心臓は鎧で貫けないから頭……目を狙う……!――

 ブレイクが奇襲の掛けやすいところまで移動し、アイコンタクトによる合図と同時に、ルイーズは矢を放つ。放たれた一矢は闇夜を突き抜け、焚火を囲み、うつらうつらしていた兵士の眼球に吸い込まれるように突き刺さった。凄まじい痛みが衝撃と共に兵士を襲うが、脳髄をも貫通させられたため、叫びにならない声を上げ、兵士は焚火に覆い被さる形で倒れ込んだ。
 それと同時に、ブレイクがもう一人の兵士の首を剣で引き裂いた。起きている二人のうちの一人は、敵襲に気付き、盾と剣を手に雄たけびを上げた。しかし寝ていたもう一人はルイーズの二つ目の矢によって、二度と起き上がることはない。
「敵しゅ――! くそ、やれる!」
 兵士はブレイクの剣による強打を盾で防ぎ、その剣を横へと受け流し、シールドバッシュでブレイクを攻撃する。大の男の、訓練された者の打撃は重い。だが、熊ほどではない。初の対人という状況に呑まれていたブレイクはその事実に気付き、兵士のように同じく雄たけびを上げた。
 体重を乗せ振り降ろされた剣は、兵士の脳天を狙っている。その剣を防ぐために盾を掲げた兵士はそれと同時に自らの剣による突きによってブレイクの腹部を狙うが、それをやすやすと行わせるルイーズではない。剣を狙った矢は、瞬時に弓を離れ、狙い通り剣の芯を捉え、兵士の腕から弾き飛ばす。
 盾によって防がれたブレイクの剣は、熊と戦うためなどの今までの使い方も相まって、ぽっきりと折れてしまう。しかし野性として生きてきたブレイクの心は剣が折れた程度では折ることはできない。
 折れた故に鋭く尖った部分を、兵士の露出している首元へ、逆手に持ち替えた後に突き刺した。先ほどとは違い、するりと刃は入らない。
 断ち切るように、抉り取るように、突き破るように、噛み千切るように。そう、それは月下に吼える狼のように。

 兵士の命を食い千切る。

 首元から吹き上げる血は、雨のように一匹の「|遥か遠きもの《インデ・ルナエ》」を濡らした。獲物を狩ることに成功した狼は再度勝利の咆哮を放った。



「これを拝借していこう」
 今まで使っていた剣の鞘を、地面に置き、兵士が持っていた剣を拾い上げ、それを腰に括り付ける。盾も持って行こうと思ったが、これが意外と重い。慣れていない武器をこれ以上持つのは愚策だと考えたブレイクは、兵士の盾を諦め、ルイーズと合流する。
「火を消して」
 ルイーズは冷静にブレイクに指示する。
「そうだな。暗闇に目を慣らさないと」
「うん。それに火がついてたら周りに気付かれる」
 ブレイクは焚火の上に覆い被さっている兵士の死体を横へ避け、焚火へ近くにあった水樽の水をかけ、火を消した。先ほどまで火の元にいたブレイクは、目を瞑り三十を数える。そして目を開き、ルイーズと目を合わせた。
「よし」
「じゃあ村へ向かおう」
 と、走り出そうとするブレイクをルイーズは止めた。
「どうした?」
「なんで彼らはここで野営していたの? もし村の財や女の人を狙っているならここに残ってるのはおかしい」
「そう言われてみればそうだな」
「村を襲いに来ている人たちが、全員こんな鎧を着こんでいたら。その数が百や二百がくだらないとしたら?」
「略奪が目的じゃないってことか?」
「わからない。こんな事初めてだから。でも村の周辺に沢山野営している人たちがいるとしたら、それは逃げる私たちを捕まえるため……」
「それなら村に行く前に、もう二、三個野営地を潰して、逃げ道を確保しておかないか?」
「それが良いと思う。ブレイクは大丈夫? 近接戦闘はブレイクに任せることになるかもしれないけど」
 ブレイクは腰に提げた剣を握り、応える。
「いい剣も手に入った。それよりルイーズにこれ」
 と言って、ブレイクはルイーズに矢束――矢十本程度――を手渡した。
「いざって時に援護がないときついからな」
「ありがとう。でも私も一つ持っておこう」
 そう言ったルイーズは死んだ兵士の腰から剣を抜き取り、自らの腰に差した。
「近接は――」
「盾と剣を持ってる人にククリナイフで敵うとは思わないから、自分のために」
「そうだな。じゃあ他は大丈夫か?」
「うん」
「よし。気を引き締めて行こう」
 ルイーズは決意の籠った眼差しでブレイクを見つめた。
「月の加護があらんことを……」
「……月の加護があらんことを」

次話

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  • 最終更新:2020-05-21 23:03:48

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