勇ましい者

「とうとう戦争か……」
 イギルが|結晶都市《クリスタルバベル》に向かった時ぶりに集まった|強戦士達《モンスターズ》のメンバーを見てそう声を漏らした。その表情はただ暗いだけではなかった。もう身近な人の死に驚き、恐れおののくイギルはいない。誰が死のうとも、自分が死のうとも最後の最後の血の一滴まで敵を殺すために使う。覚悟と復讐が籠った瞳にはかつての英雄の姿があった。
「でも最後じゃない。私たちにはまだまだやることがある。サリナは覚悟を確かめるうえで最初で最後と言ったけど、最後にはさせない」
 リリィは腰に差しているエルノの細剣を強く握りしめ言った。
「そうだよね。私もまだ生きなきゃ。こんなに早くナディアちゃんには会いに行けない。私が皆を守るって決めたんだから」
 浮かんでくる涙を堪えながらセラは言う。ここにいる誰もが最愛を亡くしていた。仲間を友を愛する人を。それぞれの思いを胸に今日の|強戦士達《モンスターズ》はまた武器を取る。それは皆が口にした人間種としての誇り高い大義名分のためではない。
 かつて共に戦った仲間の仇を討つため。雪辱を果たすため。自らのために、敵を殺す。生憎そんなことを胸に戦場に出られるほど彼らは強かった。
「そう。私たちはこんなところで止まってはいられない。魔人大隊が今だ旧魔人種領を越えられていない今、迫り来る傭兵都市の軍隊を討ち、商業都市だけでなく傭兵都市も奪還する! 傭兵都市を確保できれば多くの武器や物資を取り戻すことが出来る。これは勝たなきゃいけない戦。既に敵を上手く誘導して商業都市に招き入れた。停止している物理結界を再稼働した後、孤立した部隊に奇襲を仕掛け、数を減らす! 皆準備は聞かなくとも出来ているよね? ここが正念場。私たちは昔のように甘くない。死んだとしても勝利を!」
『勝利を!』
 かつて生に縋った男の言葉はもう彼らに響かない。生きることを捨ててまでも勝利を手に入れる。そう思考する彼らに罪はない。それほどまでに彼らの世界は緊迫し、生き難い世の中であるのだから。

 だが、やはり簡単にことが上手く運ぶことはない。もう少しだった。あと数分この会議を早めていればシラーフの訓練終了時間とこの会議時間が重なることはなかったのだ。
 最大の誤算。シラーフがこの話を聞いてしまっていた。そしてその話を聞いたシラーフはサリナに認められたい一心でこう叫ぶ。
「それなら私がその人たちを倒してきて見せます!」
 幼い声だった。サリナ、リーシュ、セラ、イギルが振り向いた先には手に彼女用に調整された小さな木剣を持つシラーフがいた。そしてシラーフは四人が何かの行動をする前に王都の門へと走って行ってしまう。
「シラーフ!」
「シラーフ、待ちなさい!」
 リーシュやサリナの制止を振り切り、シラーフはその速度を遅くすることはない。



 シラーフの前には既に十数名の冒険者がいた。彼女の姿を見た冒険者は少し驚きながらも、人間は皆殺しと言う命を受けているが故に、シラーフすらも手に掛けようとする。
「冒険者っていうのはお前たちか……」
 シラーフの腹の底から響き渡るようなその声はどこから出ているのかと一瞬冒険者を怯ませるが、それだけであり冒険者の中で一番シラーフの近くに立っていた男はその剣を引き抜く。それと同時にサリナやリーシュが追いつき、シラーフの元へ駆け寄ろうとする。
「殺せって命令だ」

「シラーフ!」
 サリナが絶叫しかけた時、シラーフは声を上げる。

「お母様が言っていたんだ。冒険者たちが裏切らなければこんなに悲しいことにはならなかったって。お前たちのせいだ。お前たちがこんな悲しいことにしたから、お母様は悲しくて、悲しいから私に冷たくなってしまうんだ。もしお前たちがいなければお母様は悲しくならなくて私と一緒に笑ってくれていたかもしれないのに!」
 戯言を言う少女に冒険者の凶刃が迫る。
 地獄の業火と謳われた戦士の娘であったとしても、シラーフは齢五歳の少女に過ぎなかった。しかしそれと同時にシラーフは半人半魔の騎士の娘でもあった。かつてその騎士はダインスレイフと言う剣を持っていたとしても、齢七歳にして十数名の盗賊を皆殺しにして見せた。その血を受け継ぎし彼女にとって五歳という年齢は、彼らを皆殺しにするには十分すぎる年齢であった。
 その剣は地面にぶつかり鈍い金属音を慣らす。
 どういうことかと周りの冒険者は絶句し、シラーフに近づくことはできない。
「魔力の直接使役だと……」
 シラーフは右手を前に突き出していた。それに対しシラーフに対峙していた男は首を掻きむしりながらその身体を宙に浮かべていく。息が出来ていないようだ。
 サリナはかつてこの状況に見覚えがあった。それこそ、その時自分がこの技を受けていたのだが。
 そしてシラーフがその右手を横に振り抜くと、その男の身体は何かに引っ張られるように宙を舞い、崩れた瓦礫へその身体を激突させる。
 がらがらと男の身体に瓦礫が降り積もるのをみた冒険者たちはこの化け物をいち早く殺してしまおうと、全員一斉に武器を手に取り、襲い掛かる。
 が、シラーフが左手を右から左へスライドさせると、シラーフを中心に黒い瘴気が凄まじい勢いで放たれる。サリナやリーシュはリリィの結界によってその瘴気を防ぐことが出来たが、冒険者たちは皆その瘴気に侵され、地に膝を付く。
 膝なら良いが、息絶えそのまま地面に伏す者もいた。
「闇魔法……」
 半分以上の冒険者が残っている中、まだ数名の冒険者がダメージを負っていながらもシラーフを狙っている。既にシラーフは終わっていると勘違いしたのだろう。シラーフから放たれた瘴気は波のように広がっていた後、一定の距離を進み、魔力の主の元へとその踵を返した。
 大の大人である冒険者と言えど二度の闇魔法に耐えることはできず、周囲にいた冒険者は皆シラーフの周りで死に絶えたのだった。
「すごい……。ランスの力ってことよね?」
 リリィがサリナに尋ねると、サリナはその言葉を無視してシラーフの元へ歩み寄る。その凄まじい形相や否や、リリィはサリナを引き止めることが出来ない。
 サリナが自分の元に来たことに気付いたシラーフは嬉しそうな顔を浮かべ、自分のしたことを自慢しようと声を上げる。
「お母様! 私が憎き冒険者を――」
 サリナの上空に振り上げられた手が、シラーフの頬に打ち付けられ、シラーフの言葉を止めた。痛みと驚きに腰を突くシラーフの肩を持ちサリナは激昂する。
「なんて馬鹿なことをしたの! もしランスの――お父さんの力が使えなかったらどうするつもりだったの!? あなたはまだ子供なの! もし、もしあなたが奴等に殺されていたら――」
 絶叫の如く告げるサリナを遮り、シラーフは立ち上がって涙を浮かべながら叫ぶ。
「私はお母様が喜んでくれるとっ! いつも冷たいお母様でもっ――憎き冒険者を倒したらっ、褒めてっ、うぐっ」
 止めどなく流れ落ちる涙によってシラーフはもう言葉を紡ぐことが出来なかった。年相応の子供のようになくシラーフの姿は痛々しい傷をサリナの心に刻み込む。
 そのシラーフの頭を優しく抱き寄せ、サリナは頭を撫でた。
「ごめんなさい、シラーフ。私が悪かった――」
「お母様は悪くないっ!」
 シラーフは鼻水を垂らしながら叫ぶ。
「冒険者がっ! こんな世界にしたからっ!」
 シラーフはサリナに叩かれた時より酷く泣き始める。シラーフにとって愛する母から受けた痛みより、母が自分を卑下することの方がよっぽど悲しいことであったのだ。それに気付いたサリナはもう何も言うことが出来ず、強く強くシラーフを抱きしめ涙を流す。

「お前はもう下がってろ……」
 イギルがサリナの肩に手を添え、そう言った。彼の目線の先には無数とも呼べる数の冒険者が商業都市に流れ込んできていた。少なくとも先行した冒険者が皆傷もなく死んでいることを確認したことで突然襲ってくるということはなかったが、時間の問題だろう。
「いや、大丈夫。大丈夫――。リリィ。お願いがあるの」
 サリナは泣き続けるシラーフを抱きかかえ、リリィの元に歩み寄る。
「あなたは王都に戻って。この子を守って」
「リーシュやイレイスに任せて戻って来るわ」
「いや、あの二人も信頼できるけど、私はあなたにこの子を守ってほしいの。五年も私の傍にいてくれたあなたに。そしてこの中であなたが唯一、転移陣が書けるでしょう?」
 涙を拭いながらそう言ったサリナの真意をくみ取ったリリィは下唇を噛み締めながらもシラーフを受け取る。サリナから離れることを拒むシラーフにサリナは耳元で囁く。
「大丈夫。お母さん強いんだから!」
 そんなことを言うサリナをリリィは恨んだ。もし自分たちが死ぬことがあればリリィとシラーフだけでも逃げて、|結晶都市《クリスタルバベル》へ向かえということなのだから。
「命に代えても……」
 リリィはシラーフを抱きかかえトルム峠へと走って行く。そしてリリィが商業都市から出たことを確認したサリナは兵士に商業都市に物理結界を施すように指示する。

 突然退路を塞がれた冒険者たちは驚き戸惑うが、既に目の前に敵はいる。まずはそいつらからと武器を引き抜き、臨戦態勢に映る。
 傭兵都市魔人軍は総勢約五百名。それに対し、サリナ率いる王国正規軍は二百名にも満たない。それを目の前にしたサリナはこう言葉を漏らしたという。
「一人が二人やればいいだけの話しでしょう?」と。

 そしてイギルの雄叫びにより、王国軍と魔人軍が商業都市内で衝突する。魔法が飛び交い、剣が舞い、斧が躍り、槍が駆ける。
 イギルは大地斧を大きく振り回す。周囲に集まった冒険者の肉をその凄まじい刃によってこそぎ落とし、痛みによって心をへし折る。激痛に耐え兼ねた者たちの首をそのままの勢いで落としていく。
 人が周囲に多く集まり過ぎたら、大地斧を直角に地面に突き立て、自らの足元に大地斬を放つことで、地面を隆起させ、その場を脱する。そしてその隆起した地面から飛び上がり、身体を回転させながら一人の冒険者に刃を叩きつけ、それと同時に大地斬を放つことで、戦場を真っ二つに分断する。

 |強戦士達《モンスターズ》と言う部隊の中で、サリナは本来後方支援を任されていた。アルマやイギルを炎の魔法で支援する姿は凄まじく、味方の動きを読み、炎を迸らせるその姿は炎の踊り手と謳われていた。しかし今は違う。近接戦闘が行える者がイギルしかいなくなった|強戦士達《モンスターズ》の中でサリナが新たに武器を取った。
 烈火の杖を素材化し、それを使って作られた斧槍。烈火の|戦斧槍《ハルバード》。

 烈火の杖の先端に付けられた魔力を高める紅玉は|戦斧槍《ハルバード》の刃部分に使われ、それによって|魔法強化《エンチャント》の魔力を使わずとも炎が宿る武具となった。その長柄武器を振り回すサリナこそ、あの地獄の業火と謳われた戦場の鬼であった。

 サリナが|戦斧槍《ハルバード》を振るえば戦場に炎が迸り、冒険者の身体を焼いていく。サリナが|戦斧槍《ハルバード》によって冒険者を貫けば、体内に炎が駆け巡る。サリナが|戦斧槍《ハルバード》で冒険者の頭を叩き割れば、その頭は爆炎に包まれる。

 イギルの大斧とサリナの斧槍だけではない。誇り高き人間種として武器を取った王国軍の兵士たちもその数を減らしながらも冒険者たちの数をみるみるうちに減らしていっていた。



「所詮人対人であればこの程度か……」
 汚い赤のローブに身を包んだ魔人はイギルとサリナが猛追し、セラが後方で支援をするという圧倒的な戦況を静かに眺めていた。
「斧と斧槍と治癒、あの三人を崩せば一瞬だろう……」
 と呟きつつも魔人は動こうとはしなかった。それはその三人を倒すのなら自らの味方が存在しないすっきりとした戦場の方が彼らを蹂躙できるからと考えたからであった。そして魔人にとって冒険者は邪魔な存在でもあった。
 裏切りと言う行為によって仮初の勝利を手に入れ、はしゃいでいる屑の集団。そんな彼らが始末されてくれるというのなら、それは願ってもない話だった。

 そして最後の一人にサリナの|戦斧槍《ハルバード》が突き立てられ、商業都市第一戦が終了した。もちろんまだ商業都市の外に多くの冒険者がいるが三割ほどの数は減らせたはずだった。
 その時、サリナの視線の端で冒険者の死体が手にしていた武器が不自然に動いた、気がした。だがそれは勘違いではない。
「お、おい! これはどういうことだ!」
 一人の兵士が叫ぶ。その兵士の視線の先には宙に浮かんでいく武器たちがあった。槍でも剣でも斧でも槌でも地に転がっていた武器はその身体を宙に浮かべ、刃を兵士たちに向ける。
「俺たちを狙っている? 術者は!?」
 イギルがそう叫ぶと、彼らの目の前にあの汚い赤のローブを身に纏った魔人が宙に浮かんだ状態からゆっくりと地面に着地して現れる。
「なっ。これは貴様の魔法か!」
 サリナが尋ねると、魔人はにやりと笑い、「そうだ」と言った。
 瞬間、その武器は凄まじい勢いで放たれる。ただの武器であれどあれほどの勢いで喰らったら一溜まりもないと多くの兵士は思い、持っていた盾を構える。
 しかしサリナ、イギル、セラの三人は果敢にもその武器に向かっていき、自らの獲物でそれらを弾いて見せた。
「そうだよ。攻撃こそ最大の防御だ。俺の攻撃は最大の防御でしか防げない」
 魔人の攻撃を攻撃で防いだ三人は無傷であったが、盾で防いだ兵士たちは皆、その防御を打ち砕かれ、魔人が放った武器に体を貫かれてしまっていた。
「え……。あれだけいた兵士たちを一瞬で?」
 自分たちも行ったことであるというのに、それを味方にやられると絶句する。相手の一回の攻撃によって死に絶えた兵士の姿を見て、改めてサリナたちは魔人の恐ろしさを認識する。

――アルマもランスもいないのに……
――アルマ君……。ナディアちゃん……。

 サリナやセラがかつての戦争で散っていった仲間たちを走馬燈のように思い出す中、一人その魔人の異常に怯まず一歩前に、前にと歩を進める男がいた。

――次は俺が仲間を守る番だ。

「全員で掛かって来るべきだ。そっちの方が時間は稼げる」
「俺たちが負ける前提かよ。いつも相手が多かったからな。いつもサリナに頼っちまった。サリナに余裕がないのは、この世界もそうだが俺たちのせいでもある。な、お前はシラーフのところに帰らなきゃいけないだろう。魔人一人くらい俺に任せろよ……」
「馬鹿言わないで。なにか突出したものがないあなたに何ができるの?」
 非情な現実の中で選択を迫られてきたサリナの言葉は冷たい。
「隣で戦ってると気付かないかもしれないけど、俺結構強くなったんだぜ? まあ見てろよ」
 イギルはもう一度斧を握りしめ、魔人の元へと歩いていく。
「人間種王国軍独立遊撃部隊イギル=オルグレンだ」
「魔人種魔人軍魔人副将ガドロ。ただのガドロだ。たまにはこういうのもいいかもな。イギルよ。お前は俺を楽しませてくれるか?」
「楽しませる? 馬鹿にするなよ。真剣勝負だ。|感覚複製《イマジンハック》……」
 瞬間イギルは持っていた斧を大きく振りかぶり、それをガドロに叩きつける。凄まじい勢いだ。だがそれは速いからということではなく、圧倒的な力から。その凄まじさはかつて彼らの指揮官であったバロンを彷彿させる。
 得物は違えど、イギルの後ろにはバロンの姿があった。

 しかしそんな簡単に魔人がダメージを受けるはずもなく、その鋭利な大地斧をガドロは素手で受け止めてしまう。イギルもそんなことで驚きはしない。
 魔人が種族のうえで圧倒的だということはわかっていた。かつてのアルマと自分のように果てしない程の力の開きがあるかもしれない。だがこの目の前にいる敵は憧れた完全無欠のアルマではない。魔人には確実と言える弱点があった。

 魔人は全ての能力を魔術に割り振られたが故に、歩行どころか呼吸までも身体強化の魔法によって行っていた。そのため彼らが戦闘で扱う魔法は基本的に一種類だ。それこそ第二使徒であるエイヴィはその制限を超えた存在であったが、イギルの前にいるガドロは使徒でもなければ魔人軍将でもない。
 だからこそ彼がどのように適当な人の武器で、盾を砕くまでに至ったかを知る必要がイギルにはあった。だがまだ足りない。考えるのはもっともっとこいつを叩いてからだ。

 受け止められた斧の刃を視点に柄を回り、ガドロの腹部に強打を叩き込むが、手ごたえはない。そして脇腹であればと、身体を捻らせ、思い切り横振りによる強撃を放つがこれに対してもびくともしない。
「次は俺の番か?」
 そうするとガドロは手を握りしめ、イギルに向かって殴打を放とうとする。ガドロの殴打はアスレハのように鮮烈でも、アルマのように豪快でもない。ただの兵士が行うようなただの平凡なパンチであった。
 遅くもないが早くもない。だが鬼気迫るその拳は一瞬イギルの行動を止めさせた。反応に遅れたイギルは咄嗟に斧に添えていた左腕を盾にする。多少の傷を覚悟したものの、そこまでの怪我にはならないだろうと高を括ったイギルの左腕は簡単に小枝を折るように、その骨を砕かれてしまった。
「ぐああああああ!」
 痛みに叫んだイギルの顔目掛けてもう一度平凡な殴打は繰り出される。鼻骨は簡単に砕かれ、鼻腔からは二筋の鮮血が噴出された。そこまでの衝撃はなく、ただ一歩後ずさりさせられた程度であったが、その威力は強力であった。

「イギル君!」
 魔力の詠唱を行い、イギルの回復を行おうとしたセラの後頭部に、兵士の転がっていた兜が激突する。
「あの女が治癒術士であったか。これは名乗り合った男同士の勝負だ。邪魔はしないでもらいたい」
 既にその言葉はセラに届くことはなく、セラは気を失い地面に倒れていく。しかしそのセラの身体をサリナは咄嗟に受け止め、痛みに悶えるイギルに向かって叫んだ。
「イギル! 下がって! 後は私がやるから!」
 そう言われたイギルはサリナを制止する。
「来るんじゃねえよ! お前はシラーフの元に帰らなきゃいけないんだぞ!」
「二人でやれば勝てるかもしれないのに!」
「もし二人でやってお前が大きな怪我を負ったらどうする!? お前はアルマとランスを失って絶望しているみたいだが、まだセラがいるだろう!? リリィがいる、リーシュがいる、イレイスが、俺が! でもシラーフにはお前しかいないんだぞ!? 待ってろって。もうそろそろだからさ……」
 イギルは鼻血を拭いながら、もう一度ガドロの前に立つ。
「|感覚複製《イマジンハック》! 力でダメなら速さだ!」
 イギルは痛む左腕を庇いながらも、片手で大地斧を持ち、疾走する。大斧の刃の根元を持ち、大振りではなく小さな振りによって連撃を叩き込む。力任せな一撃ではなく、相手に攻撃する隙を与えない。
 憧れた身近な英雄、アルマの力。初めてイギルが|感覚複製《イマジンハック》を発現した時の力もアルマの力だった。
 しかしガドロはその攻撃を受けても尚、悠然と佇んでいる。攻撃を受けてはいるのだが、ダメージが入っていないのだろう。ということは硬化の魔法であろうかとイギルは考えるが、それだけではこの防御力はおかしい。
 硬化という魔法は一時的に皮膚を硬め、防御力を高める魔法だ。そのためこれほどの攻撃を受けてもまだ無傷と言うことはおかしい。

 だがそんなことを考えている暇なんてイギルにはない。
 もう一度右から放たれた殴打によってイギルの脳は揺らされ、目の前の視界がぐるりと回る。イギルは膝を付きつつ、切れた口内から出た血を吐き出し今一度立ち上がろうとする。が、ガドロはイギルの右胸を殴打し、また腹部を殴打する。二度、骨が砕ける音が鳴り響く。
「まだまだぁ!」
 痛みによってもう頭がおかしくなりそうであったイギルは最後の力を振り絞り、ガドロの首筋に向かって斧を叩きつけるが、それを難なく弾かれ、大地斧は見るも無残に砕け散った。
 虚しくなった金属音がイギルの中で残響していく。唯一のアルマとの楔であった大地斧が死に絶えた今、イギルは――。
「これで最後にしてやる。全力だ」
 ガドロは腕に力を振り絞り、左腕を振り上げる。先ほどとほとんど変わりはないが、その腕には明らかな魔力の集中が見られた。

 右目は潰れているのか、半分の視界が見えない。戦闘の序盤で砕かれた左腕は既に感覚がなく、自らでは存在すら確認ができない。肋骨が肺に突き刺さっているのか、呼吸が乱れている。喉の奥からは絶えず血が溢れる。溺れているようだ。あと一秒後に息が絶えるかもしれない。

――でも俺はまだ戦える。

 命が尽きるその時までイギルは戦い続ける。ここで倒れれば残った仲間が、アルマが遺してくれた仲間たちが――サリナが、セラが、リリィが、シラーフが、リーシュが、罪のない人々が殺されるだろう。
 イギルはわかっていた。絶対に自分は魔人には敵わないと。アルマのような強力な力はなく、|紅砲剣《エクスタシス》のような武器はなく、ランスのように魔人の血が混じっているわけでもない。
 だが戦わなければならない。アルマはどんな状況であっても最期まで戦い続けた。イギルはアルマの真似事しかできないが、それでも今は戦わなければならない。
 人類の英雄が、イギルの英雄がそうしたように。


「うおおおおおお!」
 振り上げられる左腕に向かって、イギルは右手を繰り出した。
 ガドロとイギルの拳がぶつかる。本来ならイギルの右腕が砕け散るだけで終わっただろう。彼の|感覚複製《イマジンハック》はその者の近くでその者の技術を盗み見ることで、自らの身体にその者の技術を複製する能力だ。その技術を複製するには途方もない時間が必要だった。だからこそイギルの命はここで終わるはずだった。
 しかしアルマに憧れてから血の決戦までの五年、イギルは途方もない努力を重ねてきた。訓練が終わった後も一人バロンと模擬戦闘を行い、アルマ、ランス、ロードと実力の突出している三人に助言を求めた。
 決戦から今日までの五年。その努力を絶えず、この日のために続けてきた彼に神が授けた奇跡であろうか。いや違う。奇跡と言うのは報われなかった努力がある一点に集中し返って来ることを奇跡と呼ぶ。
 このガドロと拳を合わせた瞬間、彼の|特殊技能《スキル》、|感覚複製《イマジンハック》は|固有特殊技能《ユニークスキル》、|感覚強奪《イマジンシンクロ》へと変化し、ガドロの能力を一瞬にして、完全にコピーして見せる。

――そうか、二重の硬化。本来何度か攻撃されてしまう硬化という魔法を、新たに硬化によって保護することで自らの身体ではなく、魔法を防御する魔法を生み出していた。そのことによってその外側の硬化にぶつけられた物体は凄まじい反作用によって破壊される。

「お前の能力は俺が強奪した!」
 イギルの腕に魔力が集中し、絶対防御と絶対防御がぶつかり合う。それによってガドロの二重硬化を剥がすことには成功したが、その代償としてイギルの右腕はその圧力に耐えきれず、肘から先がはじけ飛ぶ。だがまだイギルの覚悟はこんなものではない。
「まだまだあああ!」
 もう一度、ガドロの二重硬化を|感覚強奪《イマジンシンクロ》し、その吹き飛んだ右腕で彼の左胸を貫いた。
 心臓を貫かれたガドロは驚いた表情をした直後大量の血液を口から吐き出す。
「ガフっ。な、なぜ俺の……俺のオリジナルを……!」
 イギルの砕け散った右腕を握りしめ、なんとか身体から引き抜こうとするが、血液と魔力の供給を兼ね備えた心臓を潰されたガドロには、もう自ら断つ力すらない。ふっと意識が遠のき、そのまま倒れこむガドロと同時に、魔人が扱う魔法を二度も扱ったイギルも同様に気を失い、その体勢を崩していく。

 しかしこの時点で、イギルは初代光の勇者、アルマに続き三人目の魔人を倒した人間となった。

「おいおい、こりゃ酷いなあ」
 倒れかけたイギルのことを支えたのは、灰色のローブに道化師の仮面をつけた男、|鴉《クロウ》卿だった。
「|鴉《クロウ》卿……」
 サリナが彼の登場に驚き声を上げたところ、その言葉に対し|鴉《クロウ》卿は異を唱えた。
「|鴉《クロウ》卿? いや違うな」
 そう言って|鴉《クロウ》卿は仮面とローブを外す。それによって変声の魔術が解かれ、かつて聞いた友の懐かしい声が響く。
 しかしそのローブによって隠されていた左腕はもう人の手を模すことすらできていない金属腕が付けられ、それは左肩の深くまでに食い込んでいる。また左肩から一本の管が伸び、左顔半分もその同じ金属によって覆われていた。その金属にはびっしりと封印術式が刻まれ、その頭の上では一対の狼の耳が風によって揺れる。
 これが魔獣になった代償かと、かつての友の姿は心を酷く締め付けるが、その右半分の顔から覗く笑みは、昔を一瞬にして想起させる無邪気な笑顔であったという。
「今日の名は|鴉《クロウ》卿じゃなく、アルマ=レイヴン。守れなかった約束を今、果たしに来た」



 傭兵都市の軍勢。残り約百人。

  • 最終更新:2019-05-20 00:04:41

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