小指

エピソード一覧


前話


本編

 酒が廻り、少し体が温まり始めた時、店の扉が強く開かれた。
「アンジェロ! 新しい仕事があるって聞いたぞ!」
 左手にバタフライナイフをくるくると回しながら、怒鳴っているともとれる大声を上げたその者はおぼつかない足取りでカウンターまで歩いてくる。
「おっとぉ、この辛気臭いコートはぁ? やっぱり! アヌラーレじゃんかぁ!」
 そいつはブルーノの肩を叩きながら不気味に微笑んだ。|薬指《アヌラーレ》。ブルーノの所属するアルティファミリアは幹部に腕の部位を指すコードネームを与える。ドンは|腕《ブラッチア》。|若頭《アンダー・ボス》は|手《マーノ》。ブルーノ達、|幹部《カポ・レジーム》が与えられているのは手の指を表す言葉であり、|指達《ナンバーズ》と呼ばれた。
 そしてその中でブルーノは|薬指《アヌラーレ》の名を与えられていた。

 病弱を思わせる蒼白の肌、骨と青い血管が浮き出た細い腕、顔の各パーツも一つ一つ大きな主張はせずそこにいる。それ故、顔は整っているように見え、髪の毛も白に近い金髪で何にも染まっていない清純さを感じさせる。そしてその肌を隠すように、普段は濃い茶褐色のロングコートを好んで着ていた。ほうっておけば倒れてしまいそうなその風貌とは似合わない何かを秘めた狂気の表情は、レイニーブルー1のサイコパスと有名だった。
 彼こそ、五人いる|幹部《カポ・レジーム》|指達《ナンバーズ》のうちの一人|小指《ミーニョロ》を与えられた者。本名は知らない。知りたくもない。この見た目からは想像もつかない程、性格は残忍で卑怯で憎たらしい。
 その性格が故に、|幹部《カポ・レジーム》の中で、|小指《ミーニョロ》は捕虜の拷問を任されている男だった。

 |小指《ミーニョロ》はブルーノの左頬に顔を、異様なほど接近させる。呼吸が|小指《ミーニョロ》の口から生暖かい息が神経を逆撫でするように耳に吹きかかる。
「|薬指《アヌラーレ》。弱虫|薬指《アヌラーレ》。巷で噂の指切り。俺たちの匂いとは少し違うなァ。臭くねえ、なんでだぁ?」
 |小指《ミーニョロ》は一歩引き、後ろで大きく息を吐き、そしてもう一度首筋に鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ続ける。
「血だぁ。血が足りねえ。指切りしかしねえから大して匂いがついてねえんだな? 臭くねえ。でもお前の血は」
 |小指《ミーニョロ》は腰からバタフライナイフを取り出し、華麗に刃を露出させる。そのナイフ捌きはまさに蝶が羽ばたくが如く。そして刃をブルーノの首筋に宛がい、ゆっくりと引いた。
 血管にまでは到達しない、皮を切る程度の切り口だった。一瞬の痛みを感じた後、溢れた鮮血が首筋を流れ落ちるのを感じる。
「ほぉら。汚れてない」
 |小指《ミーニョロ》はナイフについた血液をなめとり、嬉々とした表情で首筋に舌を宛がった。
 傷口に沿って首を這いずり回る舌は不快の何物でもない。ブルーノはその痛みを、グラスを強く握りしめることで耐えていた。

 なぜ反撃しないか。
 |小指《ミーニョロ》は気紛れに行う、軽度な拷問に抵抗したファミリーのメンバーを簡単に殺してしまう。ただ戯れていただけなのに、自らに攻撃を与えようとした。その行動は血の掟に反すると。
 本来、|幹部《カポ・レジーム》というものはそういう理不尽を通せる位なのだ。
 だがブルーノは絶対にそのようなことをしようとは思わなかった。これ以上血と硝煙に染まれば、自らの目的を見失ってしまうかもしれないと。

 ブルーノは無言でアンジェロにタオルを頼み、隣に座る|小指《ミーニョロ》を横目に、濡らしたそれを傷口に当てた。
「弱虫の血だなぁ。青臭いガキの匂いだ」
 悪態をついたのち|小指《ミーニョロ》は高らかに笑う。一連の流れを見ていたファミリーの面々は笑うどころか顔を緩めることすらできない。ブルーノを憐れむように見、|小指《ミーニョロ》を恐怖の対象として見る。
 その強張った表情の彼らを見て|小指《ミーニョロ》は声を荒げる。
「面白いよなあ!?」
 |小指《ミーニョロ》の怒鳴り声の数秒後、乾いた笑いがちらほらと聞こえ始める。|小指《ミーニョロ》の歳はブルーノより三つも若い二十一。|小指《ミーニョロ》より一回り年上の奴らが恐怖におびえ飼い犬のように芸を見せる。
 この状況が彼の実力と残虐さを大いに表しているだろう。ブルーノの中で彼は一番敵にしたくないメンバーであった。

 ナイフをメインとして使い続けるブルーノですら|小指《ミーニョロ》のナイフ技術には敵わないだろう。いや、絶対に敵わない。そう確信が持てた。天才的な頭脳から導き出されるナイフの軌道、体の捌き方はそう。恐ろしい。その一言に限る。

 |小指《ミーニョロ》は未だブルーノの後ろで高らかに笑っている。タオルで首筋を抑えるブルーノを見ながらアンジェロは話す。
「なんで抵抗しない。いつも言わせて、やらせて。お前のその頭と腕があるなら他の|幹部《カポ・レジーム》にだって敵うだろう。だがなぜそれをやらない!」
 アンジェロはブルーノを思って話をしてくれる。しかしその気遣いは彼にとって無用だった。いや優しさと言おうか。
 ブルーノは一人で生きていくことを決めた。そしてブルーノはドンを殺すためだけに生きている。その目的を達成するのがブルーノの生きている意味。今誰に罵倒されようと、傷つけられようとその目的が達成できるなら関係はない。このブルーノの考えがアンジェロは気に入らないらしい。
 そうだろう。いくら口喧嘩をしたとしても、本当にブルーノはアンジェロの酒を美味しそうに飲んだ。仲の良い客を傷つけられるのは、長い間この争いの街レイニーブルーに住んでいるアンジェロにとって腹が立つのは当たり前だ。
「アンジェロ、大きな声を出すな。俺のことはいい」
 そしてブルーノは溶けた氷で薄まったラムを飲み干した。微かに匂うアルコールの匂いと血の匂いが酷く体を興奮させる。手が震え、底知れぬ怒りが沸々と湧いてくる。
 だがそれはいまではないと、衝動を何とか抑え込み、深く呼吸をする。すると後ろでしていた|小指《ミーニョロ》の笑い声が途切れ、こちらに歩いてくる足音が聞こえ始める。|小指《ミーニョロ》はブルーノの顔を覗き込んだのち隣のカウンターに座った。
「アンジェロ、メープルシロップだ! 早く出せ!」
 |小指《ミーニョロ》はアンジェロに対し怒鳴るように言った。アンジェロは小さなグラスに、酒棚の脇に置いてあったメープルシロップを注ぎ、|小指《ミーニョロ》に差し出す。
「そうそう、これだよ」
 |小指《ミーニョロ》はその恐ろしい目を、かっと見開きながら、まじまじと茶褐色の蜜を見つめる。そして、あろうことか、一瞬でそれを飲み干した。
「へへっ、口の中べたべただ。だけどそれがいいんだ」
 |小指《ミーニョロ》はグラスから垂れたメープルシロップを舌で舐めとり小さく笑う。口から出る長い舌は悪魔の舌の如くグラスを這った。
「さあ、アンジェロ。仕事の話をしようか」
 その言葉で、今までそこに座っていた人間がマジックで入れ替わったのかと錯覚するほどに|小指《ミーニョロ》の表情と身に纏う雰囲気が一変した。光る眼は次の獲物を狙う獣のように、微かに上がる口角は鬼のような余裕を見せる。恐ろしさの中に見える獣のような逞しさはとてつもない心強さを覚え、不覚にもその姿には惚れ惚れしてしまう。

 狂ったような行動をとってばかりである|小指《ミーニョロ》もこの若さで|幹部《カポ・レジーム》になっただけある。威厳といおうかファミリアの男としての重みは、年上であるはずのブルーノでさえ、計り知れない。
「|薬指《アヌラーレ》、なんで俺がここにいるかわかるか?」
 |小指《ミーニョロ》はブルーノに問いかける。静かに重く、先ほどとは打って変わって真剣そのもの。ブルーノはその重さに応えるべく、同じく真剣な眼差しで尋ねた。
「なにか重大な問題でも?」
「馬鹿か、お前は。アンジェロ、こいつに言ってないのか? 攻撃について」
「いや、それについては聞いている。それと拷問係のお前と何の関係がある?」
「関係も何もその切っ掛けを俺たち二人で作るんだよ」
「切っ掛け? なにか攻撃できる理由があったんじゃないのか?」
「理由はない、俺たちが作るんだよ」
「作る……」
「最近のテスタの行動は身に余る。俺たちが奴らを潰す時が来たんだ」
 攻撃の理由を作る。自らで理由を偽装し、それを理由に攻撃する。それこそそんな工作が周囲に知られればブルーノたちは他のファミリアから総攻撃を受けることとなる。
 この作戦がどれだけ重要なことか。
「それはどういうことかボスはわかっているのか。アンジェロ!」
 アンジェロは体を震わせて驚く。
「お前はこのことを知っていたのか?」
「いや、知らなかった⋯⋯」
「そうか⋯⋯。それなら」
「さすがの|薬指《アヌラーレ》も怖いか?」
「いや、そういうわけでは。重要な仕事だからを│幹部《カポ・レジーム》二人にやらせようってことか」
「ああ、よくわかってるじゃないか。二人で仕事だ。楽しみだろ?」
 |小指《ミーニョロ》は不敵に笑い、ブルーノの顔を見つめた。
「ああ、全然楽しみじゃない」

 アンジェロはブルーノのグラスにクラーケンを、|小指《ミーニョロ》のグラスにメープルシロップを改めて注ぐ。すると|小指《ミーニョロ》は徐に一つの書類を取り出した。
「これは?」
「女奴隷のリストだ。昨日テスタファミリアが買っていってな」
「女奴隷? 奴ら今更そんな商売を……」
「知ってるだろ? テスタファミリアが経営してる違法娼館」
「薬漬けにした女を高額で死ぬまで……」
「ああ、その娼館の新しい人材として買っていったんだ」
 |小指《ミーニョロ》の表情は鋭く険しい。|小指《ミーニョロ》はファミリア随一のフェミニスト。あんな狂った行動をとった|小指《ミーニョロ》でも女を前にすると誇り高き紳士となる。
 ナイフを使い血を愛でる行為は女にとって不快なものだとし、絶対にそのようなことはしない。そんな彼が違法娼館なんては許すはずがない。それこそこの話題が出るたびに|小指《ミーニョロ》は怒りを露わにしていたという。
 その怒りは炎のように熱く、そしてナイフのように鋭く、勢いは凄まじい。そしてそのテスタファミリアに一矢、いや一矢どころか、根から潰せるかもしれない。
 そのため|小指《ミーニョロ》はこの仕事にやたらとこだわりを見せているのだ。
「|小指《ミーニョロ》、作戦について教えてくれ」
「|薬指《アヌラーレ》、よく聞けよ」
 |指達《ナンバーズ》の中でも下から二人。
 しかしただの構成員にやらせるのではなく、|幹部《カポ・レジーム》を選出したということは、何かしら一般構成員では太刀打ちできないような状況が想定されるということ。今回の仕事は血の祭りになるかもしれないと、ブルーノは注ぎ足されたクラーケンを一気に飲み干した。

 |小指《ミーニョロ》の話では今女たちを運んでいる売り屋はその女たちをテスタファミリアに売る過程で、ブルーノたちのシマの辺境にあるホテルに向かっているという。そこで、テスタファミリアの手に渡る。
 もちろんブルーノたち、アルティファミリアのシマは大きい。だからと言って、彼らのシマで取引を行うなんてことは、明らかにブルーノ達を挑発しているとしか思えない。
 しかもその女たちは一度アルティファミリアが買った女。しかし売り屋がテスタファミリアに売るせいで彼女たちは今、実質向こうの手中にある。
 それを口実にその宿に押し入り、女たちの回収、その過程でテスタファミリアの者どもに攻撃を行う。自分たちの女を回収するという口実で。

「俺たちがなんで女を仕入れた? なぜその売り手はテスタに俺たちのモノを売ろうと動いてる?」
「間抜けか? このために女を買った。テスタに女を売らせようとしているのは俺だ」
 |小指《ミーニョロ》はその長い舌を出し、ブルーノを馬鹿にしながら言った。瞳孔は気味悪く開きナイフをちらちらと振り回す。
「元の売り手は?」
「へへ、へへへ」
 |小指《ミーニョロ》は茶色のコートの内側から一本のスローイングナイフを取り出しブルーノに見せた。そのナイフの刃には、どす黒い液体が乾いたものがべったりと付いている。もちろんこの世界が長いブルーノがそれを血だとわからないわけがない。
「これだ、これ。これで殺した」
「ちっ、無駄な殺生を……」
「無駄なんかじゃねえ! テスタを潰す一歩目だ! 名誉ある死だ! 喜んでもらわねえと……。一瞬でも女たちを利用しなきゃならねえんだ。犠牲は必要だろうが⋯⋯」
 上からの命令とはいえ、やはり│小指《ミーニョロ》もこの仕事内容には納得いっていないようだ。
 嫌な話だった。自らで作った理由で相手を攻撃するなんていうのは、いくら考えても愚かな行為としか言いようがない。本当にこのままこれを決行してしまっていいのか、とブルーノの中ではなんとかこの仕事を中止にできないかという願望と、血の掟の元、ドンから受けた仕事を断ることの重大さが、互いに反発し合い、どうしようもない葛藤を生んでいた。
 しかし|小指《ミーニョロ》にはもう既に消すことの出来ないほどに大きな火が付いている。
 一人殺してしまってる今、もう後戻りはできない。
「よし、概要はわかった。決行はいつだ?」
「今週末、五日後だ。遺書の準備も忘れずにな」
「|小指《ミーニョロ》……生きて帰ろう」

 ブルーノは一貫して、殺したいのはドンだけ。いくら性格が悪く、残忍な奴だとしても|小指《ミーニョロ》も前線を共にした戦友だ。しかも自らより若い彼には生きていてほしいとブルーノは強く思う。
「はっ、お前からそんな言葉を聞けるなんてな。俺が死ぬわけないだろ」
 その話を聞いていたアンジェロはブルーノのグラスにクラーケンを、|小指《ミーニョロ》のグラスにもクラーケンを。
「おいアンジェロ! 俺は酒は飲まねえぞ!」
 アンジェロは|小指《ミーニョロ》を鼻で笑い、ブルーノを見る。それはアンジェロなりの気遣いで、ブルーノに少しくらいは先輩風を吹かせてやろうという粋な計らいというやつだった。そしてブルーノは|小指《ミーニョロ》の肩を叩きながら言う。
「今日くらいは年長者を敬え、|小指《ミーニョロ》。同じ酒を飲む。これは大切なことだ……」
「そんな古臭い儀式的なことを好むなんてな。気味の悪ぃ奴だ」
 そんな悪態をつきながらもと|小指《ミーニョロ》はグラスを合わせ、共に酒を飲み干した。

次話


コメントを投稿するには画像の文字を半角数字で入力してください。


画像認証

  • 最終更新:2020-05-20 01:42:04

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード