残酷すぎる事実

 木城都市スカイエンド、とある王宮の一室。
「あとは、これで。私の望みは叶う……」
 宰相のみが着ることを許された服を身に纏った男は、金色に光る珠を狂ったように見つめた後、複雑な仕組みが施された箱の中へ入れた。



 ベニは町の騒がしさに目を覚ます。
 普段は何度も声を掛けられても起きないベニだが、今日は違った。いや、それだけ町が騒がしくなっていた。
 その異様さに気付いたベニはベッドから飛び起き、外に飛び出る。
 多くの人が外に出て、小さく話している。何か悪い噂をしているような、そんな印象を受ける。ベニはあたりを見回し、場の状況をなんとか理解しようとする。そして聞こえてきた単語が三つ。

『ジュソ』、『カブト』、『死んだ』。

 ベニはその言葉を聴き、道場へと走り出す。体を動かしたからではない、冷たい嫌な汗が額と背中に滲み出たと同時に、身体が弾かれた。体力はかなりあるベニですら緊張だか、不安だかで、呼吸が乱れうまく走ることができなかった。
 転びながらもなんとか道場に着くと、そこには多くの警備兵が道場へ出たり入ったりを繰り返していた。神聖な道場の玄関も警備兵の靴で汚されており、その状況をみたベニの頭の中は一瞬のうちに真っ白になり、その場へ力無く膝を付く。

 ベニは力の入らない足になんとか喝を入れて、自らを奮起させ歩き始める。
「ちょっとどいてください、ちょっと」
 ベニは鬱陶しい野次馬の間を抜けていき、武道場へと近づいていく。
 今、ベニの頭の中は白一色。どうしようもない焦りと恐怖が尚白く塗りつぶしていく。野次馬が自分の道をわざと阻んでいるかと錯覚するほど、ベニは冷静さを失っていた。
「どけよ!」
 ベニの言葉が強く辺りに響き渡る。空気を震わせ、人々の耳に酷く残る声はベニの存在を明らかにし、自然とベニの前に道を拓かせた。

 野次馬は赤髪の少年を迷惑のように、不思議なもののように感じながらも、少年の発する覇気のようなモノに圧倒され、一歩下がらざるを得ない。
 その自然とできた道を少年は進む。
 人々がベニを見つめる中、ベニは一点。武道場を見つめ、その歩を進める。警備兵も彼の存在に気付き、警戒する。警備兵を警戒させるほどベニの周囲には殺意のような負の覇気が立ち込め、少年という容姿を見ながらも警備兵はもっと、それこそ魔獣に対したような恐怖感を覚えていた。

 ベニはこれ以上事を起こさないよう、警備兵を刺激しないよう、目のあった警備兵に言う。
「俺はここの門下生だ。関係者だ、中に入れろ……」
  刺激しないようにと意識していたのに口から出たのはこの言葉。思考と行動が合ってない。焦りと不安がベニの判断力を鈍らせ、それに対するベニの怒りが警備兵を突き抜けていく。警備兵はベニの言葉に目を丸くするが、そんな簡単に入れる訳はなく、未だ歩を進めるベニは数人の警備兵に取り押さえられることとなる。大の大人二、三人で一人の少年を押さえつける。その様子をを横目で見ていた、その場の管理者がベニたちに近づく。管理者が近づくと、警備兵たちの表情が強張り、ベニを拘束する力を弱めた。その管理者である男は静かに口を開く。
「中に入れ」
 その一言で警備兵はベニから手を離し、元の位置へと整列する。

 ベニは服のホコリを払いながら、立ち上がる。簡易な甲冑に身を包んだ男はベニのことを数秒見つめた後、武道場へと歩き始める。
 ベニはその状況に少し戸惑いはしたが、その男の「中に入れ」という言葉に従い、その大きい背中に黙ってついていく。
「隊長、部外者を中に入れるのは……」
 ベニが中に引き入れられた状況を見ていた兵士が駆け寄ってきてその男に告げる。
 甲冑の装飾からして、普通の警備兵ではない。この男と同様多少の位を持った者なのだろう。
 しかしこの隊長と呼ばれた男は、駆け寄ってきた男に視線を向けず、歩きながら返答する。
「この道場に通っていたのは三人。被疑者と被害者と赤髪の少年」
「それは……。失礼しました」
 駆け寄ってきた男はベニのことを一瞬見た後、隊長と呼ばれた男に一礼し、元いた場所へ戻っていく。
 
 隊長と呼ばれた男とベニは共に武道場に入る。
 土足で武道場に上がった隊長と呼ばれた男をベニはキツく睨み付ける。
「あの、靴くらい脱いでくれませんか?」
 男はベニの言葉に対し、無言という形で返事をした。
 その意味はもちろんノーである。ベニはイラつきを覚えながらも急ぎ靴を脱ぎ、武道場に上がる。
 何人の者たちが土足でここへ上がったのだろう。異様な不快感を覚えるほどに道場の床は汚れ、土に塗れていた。

 中に入ると、それは酷い有様だった。昨日ジュソが座っていた辺りを中心に赤黒い染みが広がっている。また窓を遮られているため道場内は暗く、血の匂いと暗さが相まって瘴気が立ち込めているような感覚に陥る程であった。ベニにはその光景が理解できなかった。いや正しくは理解したくなかった。脳が理解という行為を拒否していた。

 ふと、思ったのはこれが誰の”血”なのか、ということ。目眩がしていると錯覚するほど、視界が変形していく。壁が湾曲し、床がゆがみ、自らの体が風景に融けていく。
 何も考えられず、手から始まった震えが体中に伝染していった。小刻みに震える口から、ベニは何とか言葉を紡ぎだす。
「ここで……なにが……」
 隊長と呼ばれた男はベニの言葉を無視し、自分の話を始める。
「部下が手荒な真似をして済まなかった。私はこの事件の捜査を任されたノショウだ」
 自らノショウと名乗った男はベニに対し静かに手を差し出す。握手、信愛の証。相手に心を開くという意味。
 しかしベニはそれに応えない。応えるつもりは毛頭なかった。この男に対する第一印象の悪さからではない。自らの大切な友の、師の神聖な場所を穢していることに気付いていないこいつが憎くて堪らなかった。
「握手に応えて欲しければ、まず靴を脱げ。師の神聖な場を穢していることに気付け……」
 怒りに満ち溢れた言葉、声。空気を震わせ、ノショウの心臓を潰そうとそれは迫る。
 警備隊長として多くの犯罪者と対面してきたノショウでさえ、ベニのこの圧力には顔を強張らせた。言葉が背筋を不気味に這い、ベニの呼吸音が耳の鼓膜を不快に震わせる。ここの空気と相まって目眩が起きそうになるほど。

 しかしノショウは靴を脱ごうとはしない。震える右手をもう片方の手で押さえ、なんとか言葉を紡ぎだす。
「私は警備兵だ。職業柄いつでも行動できるようにしておかなければならない。だから靴は許してくれ」
 ベニはノショウの私という言葉にイラつきを覚える。無骨な態度、筋骨隆々の体、荒地のように手入れのされていない髭。それが似合っていない。ただそれだけでイラつきを覚える。それだけベニはこの男が気にくわなかった。

 また靴を脱がないという言葉に対しベニは酷く大きな舌打ちで応える。
「靴を脱がないなら握手に応える気はない。話を続けろ」
 失われた敬語、それはノショウに対する絶対的な敵対心からであった。

 ノショウは一つため息をつき、話を続ける。
「ここで死体として見つかったのは、ジュソ。ここの道場を切り盛りしていた者だ」
 ベニは脳天をぶん殴られたような衝撃を受け、それに耐えることが出来ず、そのままその場に膝を付く。何も考えられないのに、頭では色々と思い出やら過去の景色やらが廻りに廻って見る見るうちに頭が熱くなる。
 思考回路がショート寸前。目が飛び出るかと思う程顔が強張り、気管が焼き切れそうなほど熱い呼気が溢れ出る。でも涙は出なかった。
 師の死を悼まないからではない。頭の中で、小さな頭の中で考えうる最悪のシナリオを心が受け入れようとしなかったから。

 あと一人、未だ話題に上っていない者の名前。師より尊敬し、なによりベニが大好きだった者。ベニはその者の名前を口に出して、ノショウにその者のことを聞いていいのかわからなかった。
 だが、ベニのその葛藤はある意味で無駄に終わる。
 ノショウはベニのその状態を無視して話を続ける。
「ジュソは腹部を剣で刺されたらしく、腹に大きな穴を開けられた状態で道場の真ん中に」
 ベニの中にあった最悪なシナリオに現実が一歩近づく。道場の床の中心に傷がついているのはそういうことかと頭の片隅で理解するが、そんなことはどうでもいい。最悪のシナリオがベニの呼吸を乱れさせ、心の臓を貫く。
 この事件には加害者がいる。
 その加害者は……。
「そしてそれを行った人物はカブト……」

 ベニを襲うのは多大な虚無感。心が空になるというのはこういうことであろう。
思考回路がショートし現実にある何もかもを体が受け入れない。耳にはなにかが詰まったようにノショウの言葉を遮断し、視界はぼやけ歪み色が失われる。最後、ベニの中に残ったのはただ一言。

 「絶望」という文字だった。



 顔に感じるのは冷ややかなモノ。それを感じた瞬間にベニは覚醒し勢いよく体を起き上がらせる。薄らとぼやけた景色が形を取り戻していく。呼吸も整っており、音もよく聞こえる。
「あ、あれ……」
 ベニは辺りを見回すと、そこはまだ武道場だった。そしてこちらに歩いてくる影。
「こんな子供に重過ぎるよな。悪かった。目が覚めてよかったよ」
 ベニは伝えられたことの大きさに耐えられず気絶してしまったようだった。
 
 自分の晒した醜態に恥ずかしがりながらも、夢ではなかったことに落胆する。
 だが気絶していたときに体が気持ちの整理をさせたのか、現実を受け入れることが出来た。だからこそかもしれない。
 ベニの目からは大粒の涙が溢れ出た。目に溜まる涙は目尻から一筋に流れる。頬を辿り、顎から道場の床へと静かに、ゆっくりと。

 ノショウはそれを静かに見守る。ベニは声を上げて泣こうとも顔を伏せて泣こうとも、わざわざ涙を止めようともしなかった。ただ現実を、ジュソが殺され、カブトがその容疑をかけられているという現実をひたすらに受け入れた。
 涙と真摯に向き合うことで現実に立ち向かえる気がした。
 ひとしきり泣き、涙を枯らした後、ベニは全てを聴く覚悟を決める。
「じゃあここで、何があったか俺に教えてください」
 今、目の前にいる「知る」人間に対しベニは真っ直ぐな視線を向け、頭を下げた。

 そこから少しの間話していたが、知っていると言ってもノショウもほとんど知らないらしい。いや、知らないというよりわからないと言った方が正しいか。
 普段の様子からしてカブトはジュソに対し恨みがあるようには思えなかった。
 それはベニが一番知っている。しかしカブトは自分が殺したと罪を認めているらしい。自分が剣でジュソの腹を貫いたと。
 警備兵も町中を駆け回り関係者からの話を聞こうとしたがカブトは一人暮らしであの性格。ジュソは静かに道場を開いていた老人。世間とはほとんど関わりがなかった。結果、絶対的な証拠とできるような物はカブトの証言しかなかった。

 ノショウが言うには、このままいけばジュソ殺害の犯人はカブト。そしてこの国での殺人者の捌き方は”追放”。唯一ノ木の一番外側にある枝”世界ノ端”から手をロープで拘束したまま飛び降りさせる。
 結果は言わずもがな。
 手を拘束された人間はそのまま抵抗することなく地獄の地に叩きつけられ一生を終える。唯一ノ木からではなく、この世からの”追放”。
 その罰をカブトが受ける羽目になると。ベニはもう一人、大切な人を失わなければならないという事実にまた絶望した。

 ベニは重い足をなんとか持ち上げ、ノショウにお礼を述べた後、武道場の外に出る。絶望からか体が重くて、重くて。体重が二倍に膨れ上がったようなそんな感覚に陥った。
 外に出ると太陽がベニを照らしていた。

 太陽は笑っている。ジュソの死を。カブトの罪を。ベニの無力を。

 ベニはそれが悔しくて悔しくて仕方なかった。
 野次馬は赤髪の少年を見るとざわめき始める。先程までの威勢は無くなっていることに気付き、その代わり様に別人かと見まがう程。その変貌ぶりに驚き野次馬は再度道を開ける。

 その道の奥には一人の少女がいた。
「レナ……」
「ベニ!!」
 薄い青い髪をした少女、レナはベニに駆け寄り強くベニを抱きしめた。二人とも強く抱き合う。その力の強さは抱えていた二人の大きな不安を表していた。
「良かった、良かった。ベニぃ」
 レナのハグはベニの冷え切った心をゆっくりと温めて行く。レナが抱えていた不安、それは仲の良くしていたカブトとベニの二人がなにかの事件に巻き込まれたのではという不安。ベニが無事ということを確認したレナは一つの不安から解放され、ベニの頭を優しく撫でる。
「カブトがぁ、カブトがぁ!」
 姉のように思っているレナに抱きしめられたことでベニはその歳相応の反応を見せる。十二歳という小さな器にため込んだものを全て吐き出していく。レナはその間ずっとベニを抱きしめ頭を撫で続けた。
 自らが抱えるもう一つの不安を胸に秘めながら。



 レナはカブトのことが好きだった。
 レナはベニのことが好きだった。
 でも二人に対する好きは別の意味であり、ベニは弟としての好き、カブトは男として、恋人にしたいという意味の好き。

 それを知っていたベニは自分よりレナの方が辛いということはわかっていた。でもどうしてもレナの優しさが心地よくて、そこに縋ってしまった。カブトに男は滅多に人前で泣くもんじゃないと言われていたのに。
 レナも泣いていた。ベニを抱きしめながら、慰めながらレナも泣いていた。

 野次馬が多くいる中、二人で大声を出しながら泣いた。周りの大人たちは二人の様子を見ながらも声を掛けることは出来なかった。悲しみ方が異常だったからか、泣き方か異常だったからか、それはわからない。ただ近寄りがたい何かがそこから発されているような、そんな感覚に陥らせた。

 その中で先に泣き止んだのはベニだった。赤く泣きはらした目を擦りながら、鼻をすすりながらレナから離れる。
「泣いてるだけじゃだめだ。俺は真相を確かめたい」
 ベニはレナの崩れた前髪を整えながら、意思を、この不条理に逆らおうという意思を告げる。
「犯罪者に対しても面会は認められてる。俺はそこでカブトに会ってくるよ」

 ベニの確かな決意を持った顔はレナを強く鼓舞した。まだ、まだやれることがあるのでは。まだカブトが死ぬと決まったわけではないと。
 しかしレナは自らの力の無さを知っていた。ベニより年上だとしても、ベニの行動力や判断力には敵わないということを。だからレナは託す。
「ベニ。どうか、どうかカブトを救って!」
 自らより年下の少年にこんな大きな事を頼むということ、頼まざるを得ない自分の無力さが情けなくレナの目にはまた涙が溜まっていく。ベニはレナの目尻に手を添え、レナの涙を拭う。
 その言葉に対するベニの返事は、もちろん。
「任せろ!」
 ベニは頬を強く叩き、走り出した。

  • 最終更新:2019-04-25 17:31:23

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