第三章 機械との旅路

第三章 機械との旅路
『だから、二輪車型のを貸してくれればよかったのに……』
 カラスは若干息を切らしながら、そう愚痴を告げた。しかし愚痴を告げたと言っても灰に塗れたこの世界で直接口を開くことはせずに頭でその言葉を思っただけであった。
『言ったけどあれは僕の大事な家族みたいなもんなんだから、こんな野蛮な世界に連れて来られるわけないだろう?』
 カラスの頭の中の言葉に対し、オーが口を開かずに応えたのは、二人の右のこめかみのあたりにあるシール型の機械によってであった。一対であるこの機械は、二人が脳内で考えた言葉を送ると考えると、それを察知し、もう片方の機械へと送信する。そのことにより一種のテレパシーに似た電波通信ができるのであった。
 結果この灰に塗れた世界にて二人の言葉による攻防が終わることはなく、砂丘を越えるごとに、カラスはマチにいた二輪車型の掃除屋に乗ってくることが出来たらと愚痴を続け今に至る。

――所詮機械じゃないか――という言葉が頭をよぎったカラスはその言葉を出しかけて、咄嗟にそれを自分の底へ押し込めた。何度も自分のことを機械だの、人工物だのと告げるオーに対し、そんな浅はかな言葉を投げつけることがどうしてもできなかった。彼女は人工物であっても機械ではない。血は通っているし、手には温もりもある。何より自分とこれほどまでに朗らかに会話を続けているのだから、少なくとも機械ではないだろう。
『どうしたの、急に黙ってさ』
 考えているとオーが話しかけてくる。
『いや、それもそうだなと思ってさ。じゃあ適当に外で出回っている奴等を捕まえる分には問題ないんだよな?』
『それは全然オッケーだよ。寧ろ僕もそろそろ歩くのが疲れてきたしね』
 
 二人の目的地は世界樹であったのだが、まずは砦の村へと歩を進めていた。カラスは一応依頼を受け、マチへと辿り着いた。村長には全ては教えず、オーが付けている新たな駆動装置を見つけただけと伝えるつもりであった。
 オーには『律儀な男なんだな』とからかわれたが、自分の広まりすぎている名前と依頼の無断中止を考慮すると、これからも仕事をしていくうえで、この仕事を蔑ろにすることはできなかった。
 と、考えていると依頼内容の一つであった行方不明者の捜索をすっかり忘れていたことを思い出す。
『そうだ、マチの外の砂漠で人の死体とかなかったか? もしくは人がここにいたってことがわかるような痕跡みたいなの』
『あーあそこは普段凄い浄化装置に溢れてるからねえ。人が近づいたらすぐ殺されちゃうんじゃないかな』
『もし、そうだったとして、その殺された人たちはどこに行ったんだ?』
『今頃はもうちゃんと弔われてるんじゃないかなぁ』
『自分たちで殺したというのに弔うのか? 墓を掘ってか?』
『そうだよ、この人がちゃんとここで生きていたっていうことを残すために、墓を作り、そこに弔うんだ』
 カラスはオーがなにを言っているのかわからなかった。わざわざ弔うならばなぜ殺すのか。それはオーに聞いていいのだろうか。もし、それに対する答えを聞いて自分は納得して、このままオーと旅を続けることが出来るのだろうか。異様な不信感が凄まじい勢いでカラスの周りで渦巻き始める。
 ここはなぜか聞くべきではないと思ってしまった。だからカラスはいつもの通り、その場を茶化すように皮肉で『酷い矛盾だな』と笑いながら言った。その瞬間オーはスイッチがオフになった機械のように歩くのをやめ、言葉も発さなくなった。
『どうした?』
 カラスは自分が何か地雷を踏んでしまったのではないかと思い、尋ねるが返答はない。その後頭の中で、ではなく耳で「矛盾――」というオーの声が聞こえた気がした。
 それから堰を切った様にオーはひとりでに話始める。
「そうだよ、おかしいじゃないか。わざわざ弔う――敬っているんだったら何でその命を奪うんだよ。命を奪うなんて行為に敬意なんて一つもないじゃないか。矛盾してる、矛盾してるよ……」
 突然そう話し始めたオーの肩を揺さぶり、カラスはオーに呼びかける。すると今まで瞳孔が開ききっていたオーは意識を取り戻したように、その口を閉じる。
『すまない、動揺した。自分が今まで当たり前だと思っていたことが覆されるってのは気分の良いものじゃないな』
 自らを嘲笑うように吐き捨てたオーは、そのまま振り向き、歩き始める。
『両親たる世界システムに疑問でも抱いたか?』
『嫌な質問の仕方だな、カラス。僕にとって世界システムは絶対だし、この世界にとっても世界システムは絶対だ。僕の記憶が抜け落ちているせいで、世界システムの真意が掴めないだけだと思いたい――』
 寂しそうに呟くオーから、初めて世界システムへの想いを知れたカラスは、矛盾という言葉が良く効いたと思ったと同時に、オーの思想の動きを感じた。
 世界システムを絶対唯一だと思っていたオーに、世界システムの矛盾を提示することでこちら側へと懐柔できるかもしれない――。



 かなり歩いていただろう。砦の村を離れ、大砂丘をいくつも越え。物欲センサーと言おうか。掃除屋からの襲撃はあったものの一度たりとも二輪車型の掃除屋が二人の目の前に現れることはなかった。
 とぼとぼと歩き続けているが、それはただの疲労であり、この灰の砂漠で水や食料がなく死にかけているということはなかった。それも何か困れば全てオーが駆動装置によって手品のようにポッと出してくれるため、水にも食料にも困らなかった。
 もはや重さにしかならない水筒なんてものを捨ててしまってもいいのではないかと思う程に、オーとの旅は快適だった。

『今日はここで休もうか』
 オーが久しぶりにその口を開いた。辺りは既に暗くなりはじめ、夜の砂漠はいかんせん冷える。明日以降のコンディションを考えると今からキャンプを設営し始めるのが妥当であった。カラスが普段から扱っている丈夫な木材と麻布を組み合わせ、簡易テントを組み立て、テントの外には火を焚いた。猛獣なんて称される獣たちは死に絶えた今、身を守るための火は必要がなかったが、人にはまだ火が必要だった。
 もちろん料理をするうえでも必要不可欠だが、かつて自らの身を守ってくれていた火は今でも人々の心の中に支えとして絶えず煌々と燃え盛っていた。
 オーが出してくれるいくつかの食料を手鍋に入れ、焼き、煮込み、蒸かす。今日の夕飯は蒸かしたイモと、イモのスープ、乾燥肉のソテーだった。
『できたぞ』
 カラスが言うと、オーはまた話さずにテントから出てきて、自分の分の食事を貰い、テントの中に入っていった。カラスは器に移すのが面倒なため、それらが手鍋にある状態のままテントに入り、食事を摂る。
 少し前であればこの食事も多くの会話が行われていたものだろう。だがオーが矛盾を抱えたあの時から、オーの口数は圧倒的に減り、快適ではある者の楽しいものとは言えなかった。
 狭いテントの中で二人、会話が行われない冷えた空間に飽き飽きしたカラスは、少しの灰を諦めて外で食べることにする。夜は強い風が吹くが世界樹が花粉をまき散らす量は減る。結果的に人間は夜の方が動きやすいような世の中になっていた。

 ぱさぱさとして、ねっとりと口の中に纏わりつくイモをスープで流し込み、味のアクセントが欲しくなれば、肉のソテーを放り込む。淡泊でありながらもやはり食事と言うのは力を取り戻させる感覚を味わわせてくれる。
 ふと空を見上げると、灰の雲の切れ目が見えた気がした。今日は久々の星が見えるかもしれない。
 十分温まったため、カラスは焚火に辺りの灰を被せることで火を消し、テントに使わなかった麻布を広げ、その上に寝転び空を見上げた。
 曇天だ。灰によって創られし雲は日を陰らせ、植物を実らせなくなった。雲は人々から緑を奪い、日を奪い、月を奪い、星を奪い、天文学を奪った。
 そんな世の中でさえも、人々は星と月に神秘を感じ、この灰に塗れた空で夜、星や月を異性と見ることが出来れば結ばれるなんて言う迷信があった。
 テントの中にはオーがいる。少女であるオーに対し、恋愛的感情を抱くことはないだろう。しかしオーは微かにリッカと呼んだ女性に似ている気がする。
 カラス自身リッカのことを覚えているわけではなかったが、あのアルマの英雄伝をヨんでから薄っすらと世界システムに奪われたはずの記憶が戻りつつあった。その記憶にいるリッカはどこかオーに似ていた。
 しかしカラスはオーに対してそういう気持ちを抱くことはなかった。内面的に成熟しきっている彼女が少女の恰好をしているからどこか歯止めが利いているのか、彼女が機械だからかわからない。やはりカラスはリッカに似ているオーではなくリッカを求めているのだろう。

 雲の切れ目から星が覗く。久しぶりに見た宇宙の輝きは酷くカラスの心を打った。美しかった。ただ眩く光り、何光年も先から、何百年もかけて光を届ける孤独な彼らは儚く、美しく、綺麗にその姿を輝かせていた。
 この分厚い雲の上には星が輝く、満天の星空があるのだ。自分と彼らを阻んでいるのは目には見えても触ることが出来ない、自分自身に物理的影響を与えることが出来ないちっぽけな灰だけだ。まだ星空がある。それだけでカラスはまた明日生きることが出来る。

『星が見えているなら声を掛けてくれたらいいのに。この機械は数十メートル離れていても会話ができる代物なんだからさ』
 食事を終え、口元を拭いながらテントから出てきたオーは寝そべるカラスを覗き込みながらそう言った。
『矛盾の話(あれ)からなんだか元気が無いようだったから。そっとしておいた方が良いかなって』
『元気がなかったわけじゃないよ。所謂混乱(ショート)状態だっただけさ。だってさ、知識が間違えているって言われたようなもんなんだよ? カラスにわかりやすく言うなら教科書とか、それこそ記録とか、歴史とか。今まで当然だと思っていたそれが覆されたんだ。ただならない不安感だよ』
『お前でもそんな感情を抱くんだな』
 オーは呆れたように続ける。
『機械だからってことか? そりゃいくら冷静沈着を装っても、その根幹をブラされたら、こうもなるさ』
 ふと、オーの頬についている灰汚れが気になったカラスはそれを拭ってやりながら『女の子だもんな』と皮肉を言った。
 その言葉を聞いたオーは弾かれた様にそっぽを向き、『うるさいやい……』と小声で告げる。
火が消えていてよかった。若干の月明かり、星明かりだけで良かった。もし顔がはっきりと見えるほどの灯りがあったら、じんわりと頬が紅潮していることに気付かれてしまうかもしれなかったから。

 照れ隠しか、オーはわざわざその流れでこの時代の星空の逸話を持ち出した。
『知ってるかい? 男女で夜、灰雲の切れ目から星空を見ることが出来たら、その二人は結ばれるって言う絵空事をさ』
 カラスはオーの言葉に小さく笑いながら応える。
『知識って言っても人の中で流行っているそんな噂も知ってるんだな。やっぱり人間らしくてかわいいとこもあるんじゃないか』
『こんな時くらいはからかわなくたっても良いじゃないか』
 そう吐き捨てた後、オーは不機嫌そうに布の上に寝転がる。
『逸話の条件は揃っちゃったみたいだけど?』
 と意地悪にカラスはオーに尋ねる。
『もううるさいなあ。戦に向けての休息だよ! 星空を二人で見たからって何になるってんだよ。でもカラスもそう言うことに興味があるんだね?』
『興味と言うか、まあ好きな人だっていたし、今も思い出せないだけどいるんだよ。星空を見ながら少し思い出したんだけど、その人ってオーに少し似ていた気がするんだよね。だからあの時も間違えてさ』
『だからって、僕のことが好きになるわけじゃないんだろう?』
『そういう意味で言ったわけじゃないんだけどな。なんか思い当たる節はないかって。まあ男女で旅をしているわけだから考えないわけじゃないけど、オーはこれからもっと色んな人と会って、色んな人と恋をするんだと思うよ。俺はもうおじさんだ。どちらかというと保護者みたいな立ち位置かもな』
 というカラスの言葉をカラスに背を向けるような形で寝そべりながら聞いていたオーは不満げな顔で、目先の灰が崩れたのを見ていた。そして一度立ち上がり、カラスの近くでもう一度寝転がり、次はその手を取った。
『知識が崩れて不安だから、今僕は正気じゃない。不安で不安で不安なんだよ。カラスが保護者だというのなら――それでいい。僕をちゃんと見ていて……ね』
 大人だと思っていた少女の手は温かく小さく、でも確かな力があった。カラスはその手を静かに包み込み、『ああ』とだけ呟いた。
 雲の切れ目の星空に一筋の星が流れた。



『ああ! もう! もうこれ以上駆動装置を使ったら今日の道程はここで終了だよ!』
 オーは人型の丸鋸を寸でのところで避け、駆動装置によって身体強化された脚から繰り出される蹴りによって人型の胴体を粉砕する。
『その強化時間はどのくらいなんだよ! 俺より全然有用じゃないか!』
 カラスは散弾銃型擬似駆動銃をもう一度装填し、迫り来る人型に対して銃弾を放つ。放たれた弾丸は人型の頭部を破砕し、力無く地面に伏せさせる。
 その瞬間、こつんと力無い音が辺りに鳴り響く。
『あ、今切れたみたいだ』
 と頭を掻いているオーに呆れながらも、立て続けに装填を行い、オーが仕留めそこなった人型を粉砕する。
『まだだ、伏せてろ!』
 カラスは瞬時に周囲を取り囲む人型の数を把握し、戦略を立てる。いるのは六人。散弾銃に装填されている弾丸はあと四発。明らかに足りないが、まずはそれを使い切るしかない。
 襲い来る人型の丸鋸を左手で浅く持っていた銀の短剣で弾き、腹部を蹴飛ばし距離を取った後、エネルギー炉を狙い弾丸を放つ。装填を行い、後ろから迫り来る人型の腕を寸でのところで避け、もう一方から振り下ろされる丸鋸をスライディングで躱し、まず丸鋸を振り下ろしてきた人型を破壊する。
 獲物を捕らえ損ねた人型はぐるりと身体の向きを変え、カラスを追うが手を伸ばした瞬間その手に届いたのは散弾だ。あと三人、散弾銃の弾は一発。
 一度呼吸を整えた後、長銃型疑似駆動銃を使い、足元を薙ぎ払うことで迫り来る二人を転ばせる。綺麗に重なるように転んだ人型の胸部を踏みつけ、二人の頭部を同時に散弾で破砕する。
 カラスは倒すことが出来ないと察知した人型はオーを狙い走り始めるが、カラスはそれを許さない。
『ボルトアクションだからな。乱戦には向いてないんだよ。でも一匹仕留めるくらいなら簡単だぞ』
 アイアンサイトを覗き込み、人型の胸部に狙いを定めたカラスは引き金を引いた。勢いよく飛び出した弾丸は鮮やかな一直線を描き、空を切り、人型の胸部装甲を貫き、エネルギー炉を停止させた。
 カラスはそれで安心しきることはせず、次のためにと長銃型のボルトを引き、排夾、装填を行った。
『お見事』
 拍手をしながら歩いてくるオーを横目に、カラスは散弾銃型の再装填を行い、万全を期した。
『身体増強なんて言う遺術が未だに残っているとは思わなかったが、流石に次は突然効果切れの報告なんてことはやめてくれよ?』
 オーは若干申し訳なさそうにしながらも、反論をする。
『だいぶ歩いてからの戦闘だ。普段より申請の使える回数が少ないのはわかっていただろう? 僕だって十一体の浄化装置を倒したんだから少しくらいは褒めて欲しいもんだぜ? 保護者さん?』
 星空を見てからというものの、オーのカラスに対する皮肉にはこのように「保護者さん」という無駄な言葉がくっつくようになっていた。カラスの勝手な考えではあるが、ある程度の知識を得たうえで、その知識が揺らいだオーは今一番近くにいる確かな愛情を求めているのだろう。旅の初めよりも多く弱音を言うようになったうえ、このようなじゃれる様な皮肉が増えてきている。
『まあだから俺はあの町で疑似駆動銃を買っておいた方が良いのでは? って聞いたんだ。そこは自業自得だろう』
 カラスは三十数体の人型のガラクタを背に続ける。
『疑似駆動銃だって役に立つんだよ』
 オーはその言葉に笑いながら返す。
『本来チート級の能力を持っているはずの僕より三倍近くの戦闘能力を持っているって言うのはどういうことなのかな? 相手の動きを予測して動く体術に、近接武器があまり扱われない現代では考えられない程のナイフ捌き、それに巧みに扱う銃だって』
『初めて会った時自分で言っていたじゃないか。ものは経験なんだよ。オーとは違って俺には経験があるからな。戦闘では視覚だけじゃなくて、聴覚や嗅覚も使って戦闘状況を図るんだよ。微かに熱せられた金属臭がするから丸鋸が迫っているから、とかな?』
 そんなこと並みの人間では無理だと言わんばかりに首を振りながら、『君は狼か』とオーは呟いた。

『人型が二輪車型に乗って襲撃してくるとは思わなかったな』
 カラスは倒れている二輪車型の機構部分を弄りながらオーに話しかける。
『恐らく新型である人型は今実験段階なんだと思う。旧式の力を借りながらも、何体も無駄にしながらも最終的に最強の一体を作るためにね。結局全てにおいて浄化装置達は最後の一体、ラストのために使わされるデータ収集用に過ぎないんだよ』
 その言葉に驚いたカラスは、二輪車型を弄っていた工具をその場に落としてしまう。
『おい、そんな話聞いてないぞ。そうだとしたら戦わず逃げた方が手なんじゃないのか?』
『まあ逃げるのもいいかもしれないけど、結局はいつか追いつかれるよ。あいつらの体力は無尽蔵に等しいからね。だから最後はこいつらみたいにエネルギー炉を破壊するんじゃないか』
 と多く転がっている胸部に穴が空いた人型達をオーは指さした。
『最強のため、か。なんか世界システムは結局いつまでもやることは変わらないんだな……』
『ん? 悪い聞きそびれた』
『いや、いいよ。オー、調整が終わったから頼めるか?』
『あ、ああ』
 そう言うとオーは二輪車型の近くに跪き、機構部分に手を触れ、目を瞑る。カラスはあのマチで行われた戦闘のチュートリアルでオーがやって見せたエネルギー炉のみの転移を思い出していた。あれほど正確に部品のみを取り除くことが出来るとするならば、この掃除屋たちに搭載されている時限爆弾を取り除くことが出来るのではないかと。
 そしてオーがいくつかのカタカナ言葉を述べると、オーの手元は白く輝き始める。数秒もしないうちにその光は消え、オーは目を開いた。
『ちょっと見てみてくれるかい?』
『ああ。助かる』
 カラスが機構部分を確認し、本来弄ってしまえばその爆弾が作動してしまう回路を調整した後、数十メートル先へオーと共に逃げる。岩陰に隠れ、二輪車型を観察するが爆発する素振りはない。それはオーの爆弾除去が成功したことを告げていた。
『やったな! オー! 成功だぞ』
『やったね! カラス! これで砂丘を徒歩で越えないで済むよ』
 喜びながら二人は二輪車型の元へ歩み寄り、カラスは今一度少しの配線を弄った後エンジンをかけた。腹部を重く響かせる音を鳴らした二輪車型にカラスは跨り、オーの手を取り、後ろに乗せた後アクセルを捻らせる。
『腰に手を回して。頭は背中にくっつけておくのが良いかもな。あと大丈夫だと思うがペラペラしゃべろうとするなよ?』
『カラスは喋らずにも意思疎通できるというのに、いまだに僕が口を開こうとしているとでも言いたいのかい!? きゃっ!』
 突然走り出した二輪車型に驚きオーは可愛らしい声を上げる。
『はは、だから言ったじゃないか』
 カラスは笑いながら加速させていく。オーは大きなカラスの背中を小突きながら不満を漏らした。
 世界樹まであと八十七キロ。



 先ほどまで気持ちの良い音を鳴らして走行していた二輪車型は突如その駆動音を弱弱しく鳴らし、ましてやそのタイヤの回転すらも止めてしまった。世界樹まであとニ十キロほど残してのことだった。
 カラスは片足で支えた後、二輪車型から降りスタンドを立てる。
『ただのガス欠かな。流石にエネルギーを出してくれと言うのも忍びないしな』
 と背負っているオーの寝顔を見て微笑んだ後、二輪車型が灰除けになるような角度に布を敷き、とりあえずそこにオーを降ろした。
白みがかった空はかなり前から暗黒に沈み、夜を迎えている。がそれだけではない。
カラスは鞄からテントを張るための道具を取り出し、テントを組み立て始める。
南西の方角には世界樹の幹が見え、今頭上を覆いつつあるのはその巨大な世界樹の枝葉であり、それらはドームのように空を、世界を覆っていた。それと比べて砂漠たる灰はだんだんとその数を減らし、比較的歩きやすい地形になりつつあった。
かつてこの木上に国があったほどに大きな世界樹の幹の直径は千キロにも及ぶという。それだけの大木であれば世界を埋め尽くすほどの花粉を長い間吐き出し続けるのも頷けるだろう。しかし世界樹の麓は花粉たる灰に侵されておらず、清涼な空気が流れていた。
 そんな場所を人間が見逃すはずもなく、多くの人間がこの世界樹の麓を訪れた。しかしその多くはこの麓から戻ることはなかった。なぜか。ここは灰が降り積もっていない大地。唯一の植物繁栄が許された場所。直径千キロにも及ぶ世界樹の周囲に生い茂る森林。不帰の森だ。

 オーは眠っている。その寝顔は可愛らしく、それと同時にもう目を覚ましてくれないのではと、カラスは何の根拠もない不安を思う。そんなことを思い始めるくらいにはカラスの中でオーは掛け替えのない存在へ変わって行っていた。
 そのオーの身体をそっと抱き寄せ、テントの中へ共に入り、優しく彼女の身体を毛布の上に置いた。頭を少し上げ、髪を身体の下敷きにしない様に除け、顔に掛かった前髪を整える。
 くすぐったかったのか、眠りながらオーは額を掻いた。カラスも自分用に敷いておいた毛布の上に座り、手の届くところに二種の疑似駆動銃を置き、いつでも撃てるように調整し、眠りについた。

 がさごそとテントの中で動く物音に気付いたカラスは目を開いた。するとそこにはゆっくりとテントを這い出るオーの姿があり、気になったカラスは小さく声をかけた。
『どうした?』
 辺りはまだ暗いはずだった。
『あ、起きた? もう朝だよ』
『朝? まだ暗いじゃないか』
『太陽は東から昇る。今僕たちの近くには世界樹があるだろう? だからまだ暗いけど、もう八時くらいの時間だよ』
『ああ、そういうことか。もうだいぶ来たもんな。じゃあ準備するから適当なところで暇を潰しておいてくれ』
『わかったよ』
 そう言うとオーはテントから出ていく。カラスはオーが置いておいてくれた水筒で一口水を含み、若干濡らした布で顔を拭った後、荷物を背負い、銃を二丁手に取った後、カラスもテントから出た。
 外では既にオーが焚火に火を付け、食事の準備を始めていた。カラスが持参した小さなフライパンで調理をするオーの姿はもう見慣れたもので、彼女自身も料理をすることにだいぶ慣れたようだった。
『手慣れて来たじゃないか』
 と、鮮やかに返しを行うオーに告げる。フライパンの中にはいくつかの木の実と水で戻した干し肉が入れられている。まだ眠い目を擦りながらカラスは火をゆっくりと見つめている。
『だろう? まあ調理し終わっているものを申請することだってできるんだけど、カラスのお陰で料理をするって言う楽しさを知ったからね。最近はこれに嵌ってるんだよ』
 と、また鮮やかに返しを行って見せる。

 オーが先に持ち出した鞄の中から二つの器を取り出し、カラスはそれをオーに渡す。オーは流れるような動作でそこに朝食を盛りつけ、それをカラスに返した。水筒から少量の水を手に振りかけ、灰を拭った後、手でその木の実と干し肉を食らう。
 きらきらとした目で感想を求めるオーにカラスは笑顔で「美味しいよ」とだけ伝えた。
『なぁんだよ。いつもそれじゃんか。本を書いてたんだったらもっと心を動かすような表現ができないものかね?』
『はは、そんなことを言っても俺が書いたのは事実を表した本だからそんなにうまい表現とかは出来てないんだよ。それに結局感想とかは何か深く考えて喜ばせようと思った言葉より、率直に心に思ったことを口にした方が伝わるものだ』
『それは体よく誤魔化しているだけだろう?』
『さあ冷めちまうよ』
 カラスはさっさと朝ご飯を平らげ、テントの解体に移る。



 周囲にちらほらと枯れかけた植物が見え始めた。久々に見る雑草だった。まだ緑色とは言えないものの茶と緑が混ざったような植物たちは鮮やかだった。彼らはオーが眠っていたダイチにあった意図的に作られた植物ではなく、何百年も前から続くこの世界の系譜で未だにその命を存続させ続けている英雄達だった。

 これまでに湿り気の強い環境はあっただろうか。荒廃した世界は砂漠と言えど、それは灰であり、雲すらも灰であり、太陽を隠したそれは人類から日という暖を奪い去ってしまった。そのためこの世界は冬とはいかずとも、肌寒いような気候が続いていた。
 しかしそんな世界とは違い、この不帰の森は温かく、湿り気が強く、少なくとも二人の口から「暑い」という感想を出させるくらいの環境であった。
 かつて世界樹の上、上空一万メートル以上の地点で国を築き上げた人々がいたという。本来なら極寒である空で人々が国を作り生活をできたのは、世界樹の恩恵だと言われていた。世界の環境すらも変えてしまう世界樹の力によって、死しても尚この不帰の森は生かされているのだろう。

 ぬかるむ土、滑る苔、湿った石に、行く先を阻む茂み。ダイチとは違って整えられていない密林は二人の体力を見る見るうちに奪っていった。既にカラスもオーもコートを脱ぎ、じっとりとした服に不快感を覚えながら、その歩を進めていた。
「通りで苦しいと思った。この湿り気のせいでマスクの通気性が悪くなったみたいだ」
 とオーはマスクを外しながら声を出し言った。その声は久々に出したが故にところどころで裏返り、その言葉を発した後に喉を鳴らし、声の調子を整える。
『おい、外でマスクを外すなんて! 苦しくてもいいから早くそれをつけろ!』
 粗ぶった声で言うカラスに対し、オーは言う。
「なんで灰が浄化されないか。それは植物がないからだ。ここは生憎入ったら帰ることのできない不帰の森。帰り道はなくとも植物はいくらでもあるみたいだよ? それがどういう意味か、頭の良くて勘の鋭いカラスには簡単に理解できるよね?」
 そう言うオーを横目に、カラスは恐る恐るマスクを外し、唇を尖らせ、一瞬だけ外の空気を吸ってみる。本来ならば灰に塗れた空気によってその舌先にざらついた、丁度口の中に髪の毛が入ったような違和感を覚えるはずだった。しかしそれがない。
 次は鼻で浅く呼吸する。鼻で呼吸すればくしゃみ、むせるなどの弊害がでるはずだった。
「大丈夫……みたいだな」
「初めて掃除屋を間近で見た女みたいなリアクションだ」
「うるさいな。人が成長するには恐怖、経験、実践だ。だがこの世界では恐怖を覚える前に死に至る。神経質になるのも仕方ないだろ」
「よく考えてみろよ。僕が大丈夫なんだから大丈夫に決まってるだろ」
「まあ、そうか……。ついでだ少し休憩しようか」
 カラスは近くに落ちている枝木を集め、火を付けようとする。
「だめだ」
「何が?」
「湿っていて火を付けられそうにない」
「じゃあ僕が」
「いやここは悪名高い不帰の森だ。下手に体力を消耗してほしくない。多分これだけ多種多様な植物があれば松があるはずなんだ」
「マツ……。もしそんな植物があるとしたらこの遥か下、化石になって埋まってるだろうね?」
「どうかな? 辺りを見た限り、俺が見たことあるような植物ばかりなんだよ」
 と、目の前に垂れ下がるシダのような葉を鉈で切り落とし、道を拓く。地面から生えている大きな傘のような葉は恐らく芋が付ける葉であろうし、と辺りにはかつて見た絶滅してしまったはずの植物ばかりであった。
 そして地面に目を落としながら歩いていたところ、見つけた。卵のような形で鱗のようなものを持った植物の種。松かさだ。
「よし、見つけた」
「そういうこと。マツであれば油分を多く含んでいるから火がつけられるということね?」
「ああ、落ちた松かさはとても良い種火になるし、火さえつけられればやりようはいくらでもある」
「でもこんな暑いんだし、わざわざ火を付けなくても良くない?」
「いや、さっきから何かに見られている気配がする。しかも驚いたことに鳥が飛んでいた。ほら」
 と言ってカラスはオーの綺麗な髪の毛に付いた蜘蛛の巣のような物を取り除く。
「気付かなかったか? 恐らくこれは蜘蛛の巣だろう。虫がいるんだ。虫がいて、鳥がいて。ここまでの生物がいれば恐らく人を襲うくらいの獣だっているだろう。不帰の森ではちゃんとした食物連鎖のピラミッドが構成されているみたいなんだ」
「なら戦えばいいじゃないか?」
「オーは本当に楽観主義的だな。結局火を付けてれば奴等は寄ってこないんだから、火を付けてればいいんだよ」
「暑いじゃないか」
「火を付けてもあんま変わらないよ」
 ふんとオーは不機嫌そうにカラスの火熾しを見つめている。
「じゃあ辺りで食べられそうなものを見つけてきてくれよ」
「はいはーい」
 適当な返事の後、オーは近くの茂みへ歩いて行き、姿を消した。

 カラスは手に入れた松かさと、木の皮を剥ぎ作った着火剤を使って火熾しにかかる。最初に金属片と石を利用して行う火花式発火法を試す。バチンと音を鳴らし、若干の火花を散らすが着火剤に火は移らない。だが一回だけで出来るとはカラスも思っていない。もう一度強く石を打ち付け、火花を生み出す。すると火種に火花が落ちた。
 カラスは透かさず着火剤全体を両手で覆い、火種が消えないようにと処置した後、小口でゆっくりと酸素を送っていく。強すぎても弱すぎても火種は消えてしまう。絶妙な力加減で空気を送る。カラスの息が吹きつけられると火種は、かつてみた朝日のように鮮やかな橙の色を明るく発する。
 ちょっとずつ、ちょっとずつ。しかし空気を吹きかけるために、意気を吸い上げた瞬間、火種は弱弱しく消えて行ってしまった。
「くっそ。もう一回だ」
 着火剤に新たに木の皮の藁と松かさを足し、もう一度そこに火種を落とす。そして先ほどより空気を当てていない時間を減らすよう意識して、息を送り続ける。
 火が熾るのはいつだって突然だ。一定の温度を手に入れた火種が松かさに着火したのか、カラスの顔近くにあった火種はカラスを弾かれた様に驚かせる程度には強く火を発した。それの小さな火をカラスは集めてきた薪に移すため、まだ火が達していない部分を持ち、運ぶがどんどんと炎は着火剤を減らしながらも、大きくなっていく。
「あちっあちっ」
 と、熱さを我慢しながら組んでいた薪と着火剤にその火を移そうとするが、着火剤には移るものの薪に移ってくれない。
「まずいな。薪が湿ってるのか。火が移ってくれない」
 カラスは辺りを見回した後、自らの鞄から昨日まで寝泊まりに使っていたテント用の木材と布を取り出し、それを火へ放り投げてしまった。
 ちょうどその時だった。
「あー! 待って待って!」
 と、オーが手にいっぱい持っていた果物を落としながらこちらに駆けよってきて上着で火を叩き始める。
「馬鹿馬鹿! ここまで大きくした火を消すつもりか⁉」
「いや馬鹿はカラスの方だろう⁉ 明日からの寝床をどうするつもりだよ!」
「ここは森だろうが! テントの一つや二つ作るなんて簡単だ! それより火がない方が命取りなんだよ!」
「そうなの? それなら」
 手を止めたオーに再度カラスは慌てて駆け寄る。
「おい! 馬鹿馬鹿! 上着燃えてるって!」
 ちりちりとオーの上着の裾は燃え始めていた。それに驚いたオーはまたばたばたと上着を叩き始める、火の近くで。
「馬鹿! そんな火の近くで叩くな! 火が消えちまうだろ!」
「馬鹿って言うなよ馬鹿!」



 焚火の火が着き、オーの上着の火が消え、と火に於いて色々と落ち着くと二人は腹の底から笑い始める。
「なんだよぉ。なんだかんだ気に入ってた上着だってのに」
「知らねえよ。オーがせっかちなのがいけないんだろ?」
「そりゃ今までの自分の家がなくなったら驚くもんだろう?」
「だとしてもなんで? とか聞けばいいじゃないか」
「まあそうだけどさー」
 と不貞腐れた表情を浮かべたオーから、先程オーが落とした果実へカラスは視線を移した。
「そういえば、あれ。よくあんなに見つけられたな?」
「世界システムの情報からしても、これは食べても問題なさそうだ」
 カラスは世界システムに毒見機能なんて無駄っぽい機能もあったのか、と思うがそれを自分の中に飲み込んだ。それよりもカラスはオーの持ってきた果実の方に興味があった。
 丸みを帯びた赤い果実。「少し良いか」とカラスはそのうちの一つを取り上げ、赤い実を少し削ってみると、中から瑞々しい白い実が現れる。
「林檎か……?」
 オーも食べられると言っていたことだし、カラスはそのまま林檎に齧りついてみる。シャキッと音を鳴らし、口の中でほろほろと崩れるこの果実は確かに林檎であった。
「林檎だな……。やっぱりこの不帰の森は、記録で見た過去の植物によって構成されているようだ」
「過去ってどのくらいの過去だよ?」
「数千年、下手したら一万年も前かもしれない」
「やっぱり君はこの世界の人では知り得ない知識を得ているとしか思えないな」
 オーは林檎を手にしたまま、静かな眼差しでカラスにそう告げた。かつては自らの過去を知らせること自体がアドバンテージになると考えていたカラスであったが、長い間オート旅路を共にした結果、これから現れるであろう障害を考えるとここでさらに彼女との信頼関係を気付いているのも良いかもしれない。
「俺の話はキャンプを立ててから――安全を確保してからにしよう」
「そうだね……」

 カラスはオーに火の番と食事の調理を任せながら、軽快に細長い葉を持った植物を編んでいき、屋根の部品を着々と作り上げていく。
 よく撓る背の低い木のてっぺんを上手く結び合わせ、その樹と樹の間に先ほど作り上げた屋根の部品を作っていく。そして適当なシェルターが出来たところで、鞄の中に入れていたローブを上手く編み込み、ハンモックを二つ組み立てて見せる。
 虫や獣の恐れがあるジャングルでは地べたに眠るのはいささか危険であるため、木の上であったり、ハンモックであったりで眠るというのは常識的とも言える。
 しかしそれはジャングルがあった時代の話であり、それこそ今この世界ではこの不帰の森以外森という存在がある地域はないだろう。
 だからこそオーはカラスの知識に驚きを隠せない。
 そしてジャングルの中に出来上がったシェルターのハンモックに腰掛けカラスとオーは話し始める。


 その時だった。奥の茂みからがさがさと音が聞こえ、二人はその茂みに確かな何かの気配を感じ取った。カラスはすぐさま置いてあった荷物から二つの銃の内、散弾銃型の銃を構え、警戒する。
「どうする? もう強化を発現しておいた方が良いかい?」
 もし相手がこの不帰の森の名の元となった相手だとしたら、こんな銃で太刀打ちできるとは到底思えない。そう考えたカラスは静かに頷く。
 するとオーは小さな声で申請を行い、自らの身体に強化を施す。
 見た目に劇的な変化はないが薄っすらと肌が艶やかになるように見える。また瞳の奥がじんわりと輝き、熱い呼気が溢れ出ていることを見るに、身体が強化されているという印象を受ける。
 かつてのカラスもその恩恵を受けたことがあり、その実態は攻撃を行うと思った際に発される瞬時の脳の指令と同時に、筋力増強と骨格硬化が施されるというものであった。そのためスピードが上昇するといったわけではないが、強化が成された身体から放たれる一撃は凄まじいものであった。
 オーの強化完了を確認したカラスはその茂みに向かってゆっくりと距離を縮めていく。こんな世界では、無駄な発砲を防ぐためにトリガーから指を外したりなんてしない。もう一秒もしないで弾丸の火薬に火を灯し、視界に現れる敵を三秒もかからず殺してやるという意志の元、カラスはその正体を探る。
「人なら姿を現せ。今から三秒待つ。三秒して現れなければ容赦なくその茂みに弾丸を叩き込む」
 そしてカラスは心の中で三つ、一、二、三と数え、瞬間その引き金を引いた。
 ズドンと重い火薬の破裂音が森の中に響き渡り、木々に留まっていた鳥が音に驚いたため、鋭い鳴き声を発しながら飛び立っていく。
 その鳴き声から数秒もたたないうちに、カラスの目の前は叢から飛び出してきた何かによって覆われてしまう。それに驚きながらもカラスは横っ飛びを行い、何かの初撃を躱す。
「カラス!」
「大丈夫だ!」
 黒い皮膚に、鋭い牙と爪、長い尻尾の先は二又に割れており、カラスの頭の中にある数多くの獣とはどれも一致しない型であるため、この時代の新種であるとわかる。
 その目に映る特徴だけを取れば虎や獅子などの大型猫科動物に見えなくもないが、明らかに、その毛が一本も生えていない姿はハダカデバネズミのような見た目のインパクトを持っていた。

 しかし明らかに敵意を剥き出しにしているその獣に対し、何かしらの友好的行動をとれるはずもなく、容赦なくカラスは二発目の弾丸を放つ。
 弾丸に込められた無数の鉄球は拡散し、その獣に迫るが、その獣は軽々とその弾を避けてしまう。
「なっ。初速毎秒三〇〇メートルはある弾丸を避けるだと!?」
 驚き戸惑うカラスに獣も容赦なく飛びかかり、その爪を振るう。咄嗟に散弾銃を棒のように持ち、それでその攻撃を防ごうとしたが、あっさりと散弾銃はへし折られてしまった。
「くそっ! これからだってのに、大事な武器を!」
「カラス!」
 オーは勢いよく獣に向かって飛びかかり、凄まじい殴打を繰り出した。獣の横顔を捉えたそれは途轍もない風圧と共に獣を地面に叩き伏せるが、獣はもろともせずすぐ立ち上がり、オーにその鋭い爪を振りかざすが、カラスの放った弾丸により、左後頭部を撃ち抜かれる。
 紫色の血と脳髄をまき散らした獣はすぐに動かなくなる。
「気持ちの悪い見た目……」
 と、死体を足蹴にするオーに対し、カラスは大きな声で注意を促す。
「警戒しろ! まだ、来るぞ」
 音か臭いか、次なる敵の接近に気付いたカラスは長銃型疑似駆動銃の再装填を行い、その音がした方向へ、銃を構えた。
「一匹だけじゃない?」
「恐らくな。俺の知る限り大体の肉食獣ってのは群れで行動していたはずだ」
 カラスの頭の中には狼やライオン、ハイエナなどの動物たちが浮かんでいたが、熊や虎などは群れを作らない。ただ単純に二匹目以降の敵が現れそうな状況においてそんな言葉が口を出たようだった。

 そしてカラスの言葉通り、近くの茂みから三頭の獣が現れた。唸りながらカラスとオーの周りを歩いている獣たちに対し、二人は背を合わせながら警戒する。
 カラスは長銃を置き、腰に差していた短剣を引き抜く。オーはカラスが短剣を鞘から抜いた音と同時に、申請を行い、目の前の獣に風圧による攻撃を放つ。吹き飛ばされた獣はそのまま成す術無く、世界樹の根へと叩きつけられた。その獣は力無く地面に倒れ込み、息絶える。
「力を使い過ぎるな!」
「そんなこと言ってもしょうがないでしょ!?」
 そして次は他の申請を行い、業火によって二匹目の獣を焼き払った。カラスが手古摺った奴等を二匹も立て続けに倒してしまったオーは既に力尽きる寸前であり、そのまま地面に膝を付いてしまう。
「くそっ。だから言ったのに」
 息切れしているオーを横目にカラスはもう一匹の獣に飛びかかり、逆手に持った短剣を獣の首筋に突き刺した。
 それをきっかけとして身体を捻らせることで獣の上に飛び乗り、首周りのたるんだ皮を掴むことで自らを固定する。そして今一度短剣を引き抜き、突き刺す。何度も、何度も。
 激しい抵抗がありながらも、カラスは何とか耐え、短剣を何度も突き刺すがその激しい動きを止めることはない。しかしその時カラスの目の前に一筋の矢が飛んできて、獣の後頭部に突き刺さった。
 すると先ほどまで激しく動いていた獣はすぐさまぐったりと倒れ込んだ。
「な、なに!?」
「動くな!」
 カラスはオーが何か行動を起こす前に、制止させ、落ち着かせた。
「囲まれているみたいだ。お前はもう何もするなよ? 俺が何とかする」
「わかった……」
 カラスは周りの木々の上からあの獣を卒倒させたであろう矢を番え、弓を引き絞る者たちに囲まれているということに気付いていた。
 恐らく、それこそカラスへの制止を指示しているのであり、下手に動いたらあの矢で射抜かれてしまうだろう。
「手を挙げろ」

 森の中から聞こえてきた声に従い、カラスは手を挙げ、それを頭の上に載せた。それと同じことをするようにオーにも指示する。
 すると木の上から突如降りて来たかと思えば、潔くカラスたちの前にその姿を現した。
「貴様たち、何をしに来た?」
 黒い毛皮の腰布を身に纏い、髪の毛は複雑に結われ、体中に戦化粧を施している若い男はそう言った。
「俺たちはこの先の世界樹に用があって……」
「それは我らが領域であるこの神の森、そして空を支える柱、唯一ノ木が生き神だと知っての狼藉か?」
「いや、すまない。あんたらの土地だということも、あんたらにそう崇められているとも知らなかった」
 淡々と続けるカラスであるが、それは全て長年の経験から最良の一手を瞬時に見極めてのことだった。
「そうか、また旅人か」

 ――また……。ここが不帰の森と呼ばれるのはそういうことか――
「前例があるようだが」
 そう言った瞬間カラスの左耳すれすれを矢がかすめていった。
「お前が発言を許されるのは私の質問に答えるときだけだ」
「……」
 カラスは自らを狙った矢より、そんなことをされても動じなかったオーに安心した。もし今までのオーであったら、相手のこの行動に腹を立て、申請を行っていたかもしれない。
「交渉の余地は?」
「ない」
 その男が背を向けた瞬間、カラスは男に向かって銀の短剣を投げつけるが、それは簡単に男の鉈によって弾き飛ばされる。
 そしてカラスたちを狙い、無数の矢の雨が降り注ぐ。
 カラスはすぐさまオーの元へ駆け寄り、覆い被さる形でオーを守った。



「か、カラス……?」
 ゆっくりと目を開き、場の状況を確認したオーはその異様な景色に驚愕した。
「なんで時が? 僕は申請を行っていない」
「ああ。言ってなくて悪かったな」
 カラスたちに放たれたはずの矢は全てカラスたちに当たる寸前の状態で停止していた。
「あ、貴方は……人でありながら未だ唯一ノ木の恩恵を受けていると……?」
 男は驚き、そう尋ねる。カラスは額に浮かんだ脂汗を拭いながら、「まずこの状況の打開が先だ」と呟いた。
 時を止める魔法と言うのは、その止めた物体の時を止めるだけであって、運動を止めるという認識は間違いだ。時が止まったが故に運動が止まっただけであり、このまま時を進めたらそのまま無数の矢が二人に降り注ぐことになる。
 だからカラスはもう一度申請を行い、ここにある多くの矢一つ一つに、本来向いていた方向とは正反対の方向へ同じ力を作用させる。そうすれば、停止を解除した瞬間、矢はただそのまま下へと落ちる。
「久々の申請は体力を使うな……」
 男は、いや男達はカラスが申請を扱い、地に落ちた矢を見て、その手に持っていた武器を下げた。そして仲間であろう者に指示を促し、二つの小瓶を持ってこさせる。
「お二方。唯一ノ木の恩恵を受けし方々。私たちのご無礼をお許しください。これは活力促進剤。一種の栄養剤のようなものです。恩恵によって疲弊した身体を一時的にですが、行動可能にすることが出来ます」
 ただの小瓶であった。しかし今の流れを踏まえてしまえば、カラスはこの小瓶の中に入っている得体のしれない液体をそんな良薬だと認識することはできない。
「もう動けないんだ。その鉈で首を落とせばいいものの、その毒を飲んで殺した方が得なことがあるとでもいうのか?」
「いえ、我らの部族は長い間、貴方のような唯一ノ木の恩恵を受けている者を待ち続けていたのです。まずは我らの村で御持て成しを……」
 その言葉を疑っていたカラスを横目に、オーは静かな声音で告げる。
「少なくともこの人たちは嘘をついてないよ。この人たちはね」
 そんなウソ発見器のような機能があったのかとカラスはそれについていつものようにツッコミを入れようとするが、明らかにオーの目は冷ややかなものであった。
 カラスはすぐにその目が、オーに対し自らの能力を隠していたからだということに気付く。しかしそれこそこのことを話してしまえば自らの過去を含め、全てを話さなければならなくなる。いつかいなくなる人間のことを彼女の記憶に刻み込むわけにはいかない。
 今までの行動を鑑みればこれこそ矛盾しているが、そんな考えが、カラスが全てを明かすことを踏みとどまらせていた。
 しかしその判断がここに来て、世界樹の直前にまで来て二人の信頼関係を揺るがすこととなる。

 カラスとオーは険悪なムードのまま、部族の彼らに案内されながら世界樹の麓を目指した。

  • 最終更新:2020-03-21 08:52:28

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