第四章 世界樹

 不帰の森を部族の者たちと二人はただひたすらに歩いていた。気温が高く、どうしても暑さに耐えきれないため二人は当初の衣服とは比べ物にならない程の軽装になり、虫刺されのリスクが大きくなったが、それを男に勧められた通り、ヨモギらしき植物に火を付け、煙を焚くことで防いでいた。

「暑い!」
 オーが叫んだあと、首から下げていた水筒の口を開け、それに豪快に食いついた。大きく喉を鳴らしながら飲んでいる水はカラスが様々な方法で集めた水であった。もちろん寝る前であればオーに頼み、水を出してもらうのも良かったが、生憎この心強いパートナーは燃費が悪い。カラスはなるべくオーの力を使わずに行動したかった。
 水筒四本分近くの水を集めて見せたカラスに、オーは目を輝かせながらカラスに方法を尋ねたが、説明が面倒臭いカラスは、ろ過と雨と朝露がヒントだとだけ言って、上手く誤魔化して見せた。

「おいおい。そんな勢いよく飲んだらこれから先、飲み物無くなっちまうぞ?」
 二本あるうちの一本を飲み干してしまったオーは最後の一滴までなめ尽くした後、カラスの忠告を適当に聞き流す。
「はいはい。無くなったら出したらいいんだよ」
「だから何度も言ってるが、いざというときに……」
「うるさいな、わかってるよ」
 と、先ほどからオーはさながら反抗期の如く、カラスの言葉を面倒臭そうに受け流している。そんな会話を横目に部族の男は目の前の茂みを鉈で切り裂いた。



 あれから数時間、だんだんと異様に波打った巨大な植物が見えるようになってきていた。二人は言わずともそれが世界樹の端の端、根の先だということを理解していた。
 アーチのように地面からせり出しているものや、ジャングルの樹に巻き付いているもの。これだけの大きさの樹が生きるにはどれだけの栄養や水が必要なのだろうか。
 しかし世界樹の周囲に生態系が生まれているのも事実だし、数千年もの間、歴史を紡ぎ続けていたのも事実だ。
 黒々として、石のようなそれに興味本位でカラスは自らの鉈を振り下ろしてみるが、硬さこそ本当の石のようでこれ以上強く叩きつけていたら鉈が使い物にならなくなっていただろう。
「これが空を支えた大樹、世界樹か……」
「はい。ですがもう命が尽きかけている」
「まあそのせいで世界がこんな風になっちまってるんだからな」
「それもそうなんですが……」
「だがこれが根だということは、あとはこいつを辿っていくだけだなんだろう?」
「はい。もう少しで私たちの村です」

「もう、旅も終わるんだ……」
 カラスと男の話を聞いていたオーは静かに、誰にも聞かれないような小さい声でそう呟く。
 旅の終わりが近づく中、オーは度々寂しそうな表情をするようになってきていた。それがただ単純にこの刺激的な旅が終わることへの名残惜しさか、自らの生まれた意味について知ることへの恐怖か、ある程度の予想は立てられるが、カラスがそれについて知る由もない。

 それから数時間歩くと、世界樹の巨大な根が森を大きく侵食はじめ、それこそ自分が小さくなったのではと錯覚するような景色に変わってきた。そしてその石のように固いはずの根に深く刻まれた傷を発見した時、カラスはその傷に近づき、そっとそれに触れる。
「なんだ、この傷……」
 よく観察した後ゆっくりとその傷の上に指の腹を這わせた。その切断部分はまるで繊細な硝子や若い女の肌のように抵抗がなく、その傷をつけた者の存在の強大さを物語っている。
「これは先ほどの獣が縄張りを主張するためにつけるもの」
 部族の男はその傷に驚くカラスを宥めながらそう言う。しかしカラスは、いくら強力な筋肉を持ったあの獣だとしても、これほどまでに滑らかで鋭利な傷をつけることはできないとわかっていた。
「それはおかしいだろう。この斬撃痕は明らかな刃だとしてもできるかどうか。ましてや自然で生きる獣の爪でなんて」
「魔力の匂いによるマーキング」
 その言葉にカラスは耳を疑った。
「あの獣は魔法を使うとでもいうのか?」
「そうです。この森に生きる者たちは皆、唯一ノ木からの恩恵を未だに受けている。この世界の根幹に近い者たち。私たちは近世種と呼んでいます」
 世界樹が強く強くその鼓動を打っていた時代から変わらない身体を持ち続ける者たち。しかし世界樹が死んでいる今、世界樹からの恩恵を受けられるわけがない。この近世種にはもっと他に魔法を再現する術を手に入れているとカラスは気付いていながら、古い考えを持っている彼らにそれを伝えるべきではないと思い、その後ただ先導する男について行った。

 だいぶ歩いたが、やっと彼ら部族の村に辿り着くことが出来たカラスとオーは村の門らしき建造物の元で一息ついた。
 どのように加工したか知らないが、明らかに世界樹を利用した家が多く建てられていた。高床式と呼ばれるタイプで、暑い気温が故に壁は最低限のものしかなく、ほとんどプライバシーが守られていないような家ばかりであったが、彼らの服装の感じを見る限り、これが最適なのであろう。
 また屋根は多くの葉を編み込んだ茅葺式であり、家の中に入れば清々しい程の木々の香りが充満していた。
 そのうちのだいぶ大きな家へと案内され、二人は丁重に持て成された。ここの森で獲れたであろう果物を多く使ったサラダのようなものに、動物たちの肉をふんだんに使った料理。少なくともここまで豪華で瑞々しい食事はカラスにとって数年ぶりといえた。  
そしてその食事をしながら部族長であると名乗った先ほどの男に、オーの素性を明かさない程度の嘘をつきながら世界樹の元へ行きたいことを伝えた。
 部族の掟によって彼らは、ある地点から世界樹へ近づくことは許されていないが、そこまでは護衛を兼ねて案内をしてくれるらしい。
 男たちは少し休んでくださいと告げ、そのままカラスたちの元を後にした。

 話の途中からカラスは気付いていた、隣に座る少女のいらいらとした視線に。
「さあ二人だよ? 説明してもらおうか?」
 オーのその言葉は明らかにカラスが魔法を扱えるかについてだった。
「さあどこからはなすとしよう?」
「カラス、君はいつの時代の人間だ?」
「生年は二〇〇〇年」
「今の年は、カラスが生きていた時代の指標となる救世主の生誕から数えたら二万年とちょっとだ。一万八千年以上も昔の人間て言うことだね。世界システムを作り上げた者たちとほとんど同じ生年だよ」
「そうか、人類はあれから一万八千年も生き長らえたんだな。おかしいだろう? 俺がいた時代なんて年一くらいの頻度で人類滅亡説が唱えられていたんだ」
「そんなことはどうでもいいよ」
 重い声音だった。
「どうしてカラスが、過去の時代の人間だというのに申請が扱える?」
「俺が世界システムの庇護を受けた人間だからだ」
「それはおかしいだろう。だってじゃあカラスは私と同じように世界システムによって誕生させられたって言うのかい?」
「それは違うな。さっきも言ったが、俺の生年は二〇〇〇年。ちゃんと両親だっている。俺は一度死にかけた。二〇一五年のことだ。自然災害によってな」
「死にかけた……。それで?」
「世界システムの時空操作装置を利用して死にかけた人を治す。元の世界に戻らせる代わりに戦争の駒にして、富裕層の人間がその戦争でどちらの軍が勝つかを賭ける『神の遊戯』。その駒に選ばれたんだ」
 見ていなくとも知識があるオーはその非道な行いがされていたことを知っている。そしてその結果ある一人の駒によって世界が大きく改変され、その結果この滅びかけた世界があるということも。
「第何回の……?」
「六回だ」
「世界が改変された回の……」
 本来『神の遊戯』はその戦争で勝ち星を挙げた軍のエースを、元の世界に戻すというルールであるが、第六回の参加者の一人である悪人によって世界システムの操作権限を奪取されたが故にそのルールに大きな変更があった。
 それどころか世界自体が大きく改変されてしまったのだからルールもくそもなかった。
「じゃあ貴方は……」
 オーは目の色を変え、改めてカラスのことを見つめる。
その時オーは、カラスと出会った時ヨんだあの本、『英雄伝』。それもアルマの『英雄伝』を色濃く思い出していた。
 そう強く投影された映像はアルマという人物であったが、世界システムを奪取するほどの悪人を打倒するために、かつての生き残りが行った戦法は一人に数名の英雄の力を集約して戦わせるということだった。
 そしてアルマはその英雄の一人にすぎない。世界を元の世界に戻した人物、アルマの英雄伝だと認識していた英雄伝の主人公の名前は……。

――有馬 海莉――

「有馬海莉……。じゃあカラスっていうのは……」
 カラスは少し沈黙した後、また話し始める。
「その神の遊戯で仲を深めた女性がいた」
「リッカという人ね?」
「ああ、リッカはその時のごたごたのせいで、どこか遠くの時代に飛ばされてしまったみたいなんだ。世界改変を直した俺は世界システムに制限付きの時間移動の術を授かった。それを使って多くの時代を旅してリッカを探していた。その時に書いたのが旅行記。カラスは当時の俺のペンネームだよ。そして旅行記を出版した後、この世界に辿り着いてしまったわけだ」
 オーは少し考えた後、口を開く。
「そうか。いくら世界の英雄だとしてもカラスの身体は旧人類種。体内に世界システムへ行う申請と受理を使うためのエネルギー器官は備わっていない」
「ああ、その器官が無い者でも魔法を扱えた時代があったのは生命力あふれる世界樹の花粉が魔法の発現の助けを担っていたから。だが世界樹のない俺の時代には、世界樹へと突然変異する前の植物の花粉をエネルギーとして蓄えて利用したんだ。生憎エネルギーを感じ取るとかの技術は身についていたからね。でもその植物は世界樹ほど強いエネルギーを持っていなかった。だから俺がリッカを探しに飛べるのは数年に一度だ。そしてその世界樹の元となった植物もなく、世界樹も死んだこの世界で俺は魔法を使うことが出来ない」
「だから帰れない……。世界システムの元に辿り着く以外には……。いやでもそれならなぜさっき」
「一回分だ。帰るための」
「時間転移の申請には莫大なエネルギーが必要だ。そんなのを世界樹無しでなんて」
「移植されたんだよ、魔力嚢をさ。元の時代に帰る時に、いざってために。でも使っちまった。あの程度の矢を止めて、エネルギー方向を変換するなんてことは、簡単なことだったけどな」
 家へと吹き抜ける風が、簾を揺らし、音を鳴らしている。密林というのは意外と五月蠅い。遠くで獣の声が聞こえ、村の中だとしても近くの叢が揺れる音がする。
 だからこそ簾の揺れるの音に集中することで他の音から気を紛らわせる。過去を知ったオーは矛盾を自覚したあの時のように黙りこくってしまった。しかし今回は意外と早く口を開く。
「なんでだよ! なんで僕なんかのために!」
「お前のためでもあったが、あの時俺が使わなかったら俺も死んでただろう?」
「僕に申請を使わせたらよかったじゃないか!」
「申請は体力、所謂生体エネルギーを使用する。だから限界を超えた使用は死に直結する。知ってるだろう? 世界システムの場所はお前しか知らないんだから。あと言っただろう? ちゃんと自分を見ていてくれって。守るのは保護者として当然だ」
 涙を浮かべながらカラスを責め立てていたオーはその言葉に、口を噤んだ。つーっと彼女の柔らかな綺麗な頬を一筋の雫が垂れていく。
 そしてオーは静かに姿勢を崩していたカラスに覆い被さるような形で、カラスを抱きしめた。膝立ち気味に抱きしめていたオーはカラスの頭を抱え、静かに髪を撫でる。

 オーはカラスの自己犠牲に心を打たれたのだろう。だがそんな単純な話ではなかった。今までといっても数日しかなかった二人の絆は浅いだろうか、深いだろうか。
 会って数日の男を信頼しろなんて本来であればあり得ない話であるが、オーの中ではこのカラスという男が、信頼に足る男であり、彼のためであれば自分だって命を張れるとそう感じた。
「おい、苦しい」
 オーの胸に埋まる形になっているカラスがそう言うが、オーは「今はだめ。見せられる顔じゃない」と告げ、静かに彼女が落ち着くのを待った。

「私たちが行けるのはここまでです。お二人の無事を祈っております」
 部族長は二人にそう告げた。
 世界樹の根が太く、一本の高齢樹のような大きさなってきた辺りだった。根にはぽつぽつとたんぽぽの綿毛のようなものがくっついており、カラスはそれが死にかけた植物に寄生する菌類だということを知っていた。
「ここから先は死の森。菌類の瘴気に侵された大気によって森の外と同じような環境が広がっていますが、恩恵を受けたお二人であれば大丈夫でしょう」
そう言われた二人はマスクを着け、その瘴気に備える。その後、部族長にお礼を告げ、死の森へと足を踏み入れた。

『結局あの人たちはなんであんなにカラスを敬っていたわけ?』
 オーが尋ねる。
『死にゆく世界樹を救う一手、若しくは看取るものになって欲しいらしい。自分たちは恩恵を得ていないから幹へと近づくことは出来ない。それを許されていないからここは死の森になっていると』
『部族なだけあって、やっぱり考え方が論理的ではないみたいだね』
 オーは呆れたように言った。それこそ全ての知識が世界中の科学を司る世界システムから来ていると考えればそう感じるのも仕方ないだろう。
『あれも文化だ。彼らにとってそれが常識で、あれが当たり前なんだ。違う文化で生きる俺たちが口を出せる問題じゃない』
『そういうものなのかな』
『そういうものなんだよ』

 死の森は先ほどまでいた不帰の森とは違い、一切動物などの鳴き声がしなくなっていた。しかしそれとは別に世界樹に寄生し始めているキノコの数は多く多種に及んでいた。
 太いものから細いもの、大きいものから小さいもの、綿毛のようなものから想像通りのような形のものまで様々であったが、全て一貫して白い菌類であった。
 黒い世界樹の根と、それを覆い尽くす白い菌類。カラスたちの前に広がる光景は異様とも呼べる荘厳な景色であった。
 しかしここまで来れば世界樹の根も凄まじいほどに大きなものへと変化し、足元にある土は既に消え、大地すらも世界樹に埋め尽くされて来ている。幸運なことに、世界樹の根に寄生した菌類が土のような役目を果たしているため、足元がおぼつかないなんてことはなかった。
 生憎、死の森と呼ばれているだけあって、辺りに自らを襲おうとする獣がいることもなく、自らを包み込む空気以外、自分たちの安全を脅かす者はなかった。



『こいつか……』
 目の前に聳えるは黒い大樹――のはずであるのだが、直径数百キロにも及ぶ大樹の幹は幹ではなくただの巨大な壁だった。樹皮も手に刺さりそうなざらつきはなく、これも根のように石の如き硬さを持ち、その黒々とした表面を輝かせていた。
『ついたね……。知らないけど、僕はこの風景を知ってるよ。世界樹が呼んでるのかもしれない。こっちだよ』
 オーがそう言うので、カラスは淡々と歩き始めたオーの後ろを静かについて行く。恐らく帰巣本能と呼ばれる深層心理に焼き付いた家への道が、今オーを導いているのだろう。世界樹についたものの、世界システムがどこにあるかなんてことはカラスにわかるはずもなく、導かれているオーの後ろをついて行くしかない。
 辺りには未だ無数の菌類が蔓延っているが、もう見慣れたもので、景色を楽しむどころか、もう見飽きたなと感じてきていた。

 そして世界樹の麓へ辿り着き、その幹に沿って歩き続けて二、三時間。オーが立ち止り、辺りを見回す。
 彼らがいる辺りから少し離れたところに大きな根が複雑に交わっているところがあり、そこに近づくと、その根と根の間にはぽっかりと黒い穴が口を開けていた。
 獲物を待ち構えているようなそれは、果てしない闇を孕んでおり、ずっと見続けているとその闇に自らが吸い込まれてしまいそうなほどだった。
『オー、落ちると危ないから下がってろ』
 と忠告するが、オーはそれを聞かず、身を乗り出し、その穴の奥を覗く。
『いや、この先だよ、カラス。恐らく世界システムはこの先にある。世界樹の地中根の先に』
 明らかに何もなさそうな場所ではあるがそれこそオーを見つける前に彷徨っていた場所もあの何もなさそうな砂漠であった。それこそ印象として何もないと思わせられるということは何かを隠す場所としては充分にその使命を全うしているだろう。
『目指すは世界樹の虚か……』
 そう呟いたカラスに笑いかけながらオーが応える。
『ラストダンジョンにはもってこいじゃあないか』
『ラストか。そうだな、ラストになるといいんだがな』
 神の遊戯から、世界の修正のための繰り返し、リッカを探しての旅、オーとの旅路。凄まじい数に登る冒険はカラスにとって苦しいものでしかなかった。それこそ、所々を切り取れば刺激的で、感動的なものであったかもしれない。しかし振り返ってみれば全て世界システムを始めとした色々な人間の思惑の渦中で戦い続けるという選択肢しか持たなかったカラスはこんな世界でもまだ戦いの途中であった。
 暗闇の中を松明一つでゆっくりとゆっくりと降りていく。この穴の中すらも、いや暗い穴の中だからこそ菌類が凄まじく繁殖しており、足元は意外としっかりしている。しかしただの竪穴と違い、右も左も何があるかわからないような空間になっているこの穴の中では少なくとも恐怖を感じざるを得ない。

 それこそ天を突く大樹の根は、この世界の中心に届いていると考えてもおかしくはない。もしこの二つの入り組み、土を器用に配した根が世界の芯に到達しているとなるとこれから二人は膨大な距離を降りていくことになる。
 かつてカラスがいた世界ではこんな小説があったようだが、その登場人物のうち一人は無口でありながら淡々と任を熟す男で、主人公たる二人はその旅に必要な知識を嫌と言うほどに兼ね備えた学者だった。
 今ここにいるのは戦闘狂いと魔法少女。この状況にカラスは呆れて笑いが出るほどだった。
 笑みを浮かべつつも、どこまで続くかわからない竪穴を落ちるわけにもいかないため、足取りはしっかりと、ゆっくりその竪穴を降りて行く。

 しっかりとした地面らしき平面に足をついたのはそれから数時間経った後であった。そこというか底に辿り着くまで、何度か休める場所を見つけ、座り休憩し、また降りるということを繰り返していた。
『地底……? なんでかわからないけど、ここまで菌類の胞子は飛んできていないようだね』
 また先にオーがマスクを外し、辺りを見回している。カラスはそれにひやひやとしながら、マスクを外した。
「地上より空気が澄んでいるみたいだな。なんだろう、不思議な感覚だ」
「そうだね。取り敢えず、辺りを照らしてみる?」
 カラスは持っていた発煙筒と照明弾を使い、辺りを照らした。すると一瞬で辺りがハッキリと輝き、その全貌を表した。
 二人の背後にぶら下がっている巨大な世界樹の根の先以外は全くと言っていい程、カラスが初めてオーを見つけたマチが出現する直前の空間にそっくりであった。
 虚無さえ感じられる空洞は莫大な広さを持っており、天井は遥か高くまでに伸び、空洞の反対側は目が霞む様に見ることが出来ない。
「広いね……」
「広いな……。お前を見つけたあの場所にそっくりだ」
「マチのことかい? でもマチにはこんなに巨大な空間は広がってないよ?」
「いやマチを見る前に、俺はこんな空間を目にしたんだよ。でも瞬きをした一瞬であのマチが目の前に現れちまった。それこそ俺は疲れか何かで見間違いをしたのかとその時は思ったが、この景色を見たらハッキリとわかる。初めて俺がマチに訪れた時、そこには何もなかった」
 ふむと呟いて、オーは顎に手を添えながら何か考えるような素振りをしている。その状態のままカラスの周りをうろうろとした後、そういうことかと何かに気付いたように言った。
「本拠地はあってる。ここに世界システムはいたはずなんだ」
「また先行してる。もっと何も知らない俺にわかりやすく教えてくれないか?」
「そうだよね。そうだ。だからここに世界システムはいたんだよ。マチと一緒にさ。世界システムは一度その権限を奪取されてる。だからいろんなところにスペアの居住区を作ったんだ。もしこんな辺境だとしても、また誰かに侵入されて世界が改変されるなんてことがないようにさ」
「でもなんで移動したんだ? あんな砂漠に」
 そしてオーは気付いたように、言葉を続けた。
「カラスがそこに辿り着いたからだよ。世界の英雄が候補地に近づいたからもう一度巡り合うために、わざわざその力を利用したんだ。でも僕にはその移動したという事実のインストールがされてなかったから、当然のように、あのマチは自らを育てるものだという認識でカラスを世界樹へと導いてしまった。ここにはもう世界システムはないって言うのに」
 オーは申し訳なさそうに、視線を落としながら言った。もちろんここまでの旅は大変なものだった。それこそやっと終わってくれるのかと期待を抱いた。しかし。
 生まれて間もないこの大人びた悲し気な少女を前に、期待を裏切られた心苦しさより、単純に心の底から湧いてくる温かな感情を口にせざるを得なかった。
「まだ旅は続けられるみたいだな……」
 優しい口調で紡がれたその言葉にオーははっとカラスの顔を見るが、そこにはその言葉と同じような優し気な笑みがあった。
 こみ上げてくる思いを抑えながらオーは「皮肉はそんな笑顔で言うもんじゃないよ」と呟いた。



 カラスとオーは取り敢えずと、あの部族の元に戻るために、歩いてきた道を戻る。カラスの昔からの癖で、道中辿った道に目印を残していたため、帰路を見つけるのはとても簡単であった。
 世界樹の根を登り、虚から出た後、巨大な幹を横目に見ながら、菌類に侵された死の森を抜け、部族がいた地帯に辿り着いた。
「なんだよこれ……」
 その森の光景を見たオーはそんな気の抜けた声を吐き出した。目の前に広がるのは――焼け爛れた樹木に、地に虚しく突き刺さった矢、ここで戦闘が起きたことが明らかにわかる血だまり――注視するには醜過ぎる争いの残痕だった。
「俺たちを追ってきたか?」
 そう言ったカラスの視線の先には、まだ甲高い音を鳴らしながら腕の丸鋸を回転させている人型の掃除屋がいた。
「こんなところでいちいち戦ってたらきりないぞ!」
 そう叫びながら長銃を構えたカラスに合わせ、オーも戦闘態勢に入るが、その直後、カラスの背中に向かって黒い獣が飛びかかってくる。右肩をその鋭い牙に抉られつつカラスはそのまま地面に組み伏せられる。腕を食い千切ろうと頭を振る黒い獣に向かって、残存している魔力嚢からこの状況を打破できる魔術を申請する。
 黒い獣の腹部に拳大のクレーターのようなものが浮かび上がり、そのまま後方へ激しく吹き飛ばされた。圧縮させた空気を凄まじい勢いで放つブラストと称される魔法だった。
 そしてどろりと肩口から流れ出る血液を、傷口を抑えながら止め、もう一度申請を行いその傷を修復する。
 ブラストは世界改変が行われ、魔法による戦争が頻発していた時代に創られた魔法であるために、何かしらの科学や発展に貢献するものではないが、傷を治したヒールはそれこそ、この世で長く息づいている魔法といえた。
 それはかつてカラスがいた時代の手術を自動化した者であり、ボロボロになった組織を一度分解、そして再構成しなおす魔法であった。そのために失った血は戻らない。
 またこの二つの魔法によって残り少なかったカラスの魔力は尽きることになる。
「もう俺は魔法を使えないぞ……」
 と危機を感じる二人の周りにはぞろぞろと部族を襲ったであろう掃除屋たちがゆっくりと集結しつつあった。それどころか黒い獣も起き上がり、二人をどう餌にしてやろうかと狙っている。
「もう僕がやるよ⁉」
 叫んだオーをカラスは制止させ、指示を与える。
「オーはあの黒い獣を従魔化しろ!」
「じゅうまか……? 動物使役の申請か! 任せて!」
 動物使役。言葉通りの魔法であり、魔力の根源たる人々の生命エネルギーを直接動物に流し込むことによって一時的にその動物を自らと一体化させ、思い通りに操作、使役する技術だ。

 カラスの指示を受け入れたオーは黒い獣と対峙する。まず動物使役の申請を行うには、その動物に触れている状況でなければならない。定石として動物を拘束、または麻痺させる申請を放つ必要があるため、オーはその申請を行い、発現した麻酔矢を黒い獣へ放つ。それこそ科学の集大成であるオーのイメージによって発現した麻酔矢は、注射器に麻酔薬が入っているものだが、イメージを変えることで毒々しい色をした光り輝くエネルギー体を放つことも可能だった。
 結果的にその麻酔矢は黒い獣に命中し、一時的な麻痺状態に陥らせることに成功する。

新たな指示をしたカラスは無数の掃除屋の前に立つ。敵は二輪型三機と人型二機、球体型が四機。持っている武器は長銃型の疑似駆動銃と銀の短剣、駆動装置のみ。散弾銃型は破壊されてしまった今、一発ごとに装填を行わなければならない長銃を使っている暇はない。
 ここでカラスは数日ぶりに駆動装置を手に取った。先ほどの黒い獣の攻撃によって血を失っている以上、最大五発のこの銃を、まだ旅の道程が残っているとわかった今、何発も使うわけにはいかなかった。
 だがこの状況、命を落とすか命を使うか。カラスは命を使いに使ってきた男だった。小さな溜め息をついた後、駆動装置の機構部分から伸びた管の針を動脈に突き刺す。ツーっと赤黒い血が駆動装置の中に流れていき、駆動装置の中心が赤とも黄色とも言えないような色に輝き始める。
 カラスの戦闘態勢に気付いた掃除屋たちは各々の武器を露出させ、カラスへ接近する。最初は球体型であった。
 球体型の攻撃方法は基本的に体当たり。だからこそ対処は簡単だ。
「駆動装置、起動」『認証、確認』
 機械音声が流れた直後、カラスはもう一度声を発する。
「弾式変更。散弾〈スプレッド〉」『弾式変更、確認』
 トリガーを引くと、目を覆いたくなる程、閃光と共に細かな真っ赤な弾丸が打ち出され、迫っていた四機の球体型は皆全て装甲を融解させ、その熱は内部をも破壊し、カラスの背後で動きを停止させた。
 次から迫り来るのは二輪車型だが、長らくこの時代の戦闘を行ってきたカラスにとって一定のプログラムを組み込まれた機械の攻撃なんてものを避けることは、赤子の手を捻るより簡単なことであった。
 凄まじい勢いで接近する二輪車型の最初の攻撃は球体型の体当たり。そして外した場合、ターゲットの背後で急転回し、銃撃を行ってくる。だからその二輪車型の体当たりをローリングによって躱し、もう一度言葉を発する。
「弾式変更。追尾〈ホーミング〉」『弾式変更、確認』
 その音声の直後トリガーを引くと、だんだんと内部の光が強く鳴った後、三回の衝撃がカラスの腕に走る。三つの赤い弾丸が飛び出すと、そのままカラスの目の前で急旋回し、カラスの背後から走り寄る二輪型三機を貫いた。
 トリガー一回で一発分。血を流している以上、後もう一発かと思ったカラスだがこの瞬間、吐き気を催す程の倦怠感に襲われ、その場に膝をつく。
 まだ二機の人型が残っているが、もう一度駆動装置を使えば、気絶してしまうかもしれない。だが武器はこれだけではない。カラスは丸鋸を振り上げた人型の胸部に一発。長銃型疑似駆動銃の弾丸を撃ちこんだ。
 それによって一機の人型を倒すことに成功するが、もう一機はもう倒せそうにはなかった。
「頭から噛み砕いてやりな!」
 そう辺りに響き渡った少女の声は力強い。しかし目の前に現れたのは想像の可憐な少女ではなく、黒い獣である。
「従魔化に成功したか……」
 黒い獣が人型の頭に齧り付き、凄まじい音を立ててその金属の骨格をボロボロに噛み砕いて見せた。
「……。俺はさっき一瞬でもこいつに噛まれたのか……」
「幸運なのか、判断の早さが早いのか。まあどっちにしても今日は生き延びたでしょ?」
 と手を伸ばすオーの手を掴み、カラスも黒い獣の背に跨った。そして二人は不帰の森脱出を目指す。



 背後から聞こえるのはエンジンの駆動音だった。いやそれだけではない。草木を踏みにじる音や、腐木をなぎ倒すような音も聞こえてくる。ましてや上空を何かが飛んでいるようなそんなプロペラのような音すらも聞こえてきていた。
 そんな中、二人は黒い獣に乗り、不帰の森を駆けていた。獣だからこそ走ることの出来る道、バイクではすぐに横滑りを起こし、クラッシュしてしまいそうなところですらこの獣の脚力を以てすれば、簡単に乗り越えて行くことが可能だった。カラスはしっかりと脚で自らの体を固定し、進行方向とは正反対の方を向き、スコープを覗いていた。
「オー三秒でいい!」
「おっけい!」
 カラスがそう伝えた瞬間、獣は今までの不規則な道とは違う、安定した平坦の道を走り始める。その直後、空気圧によって射出された弾丸が追手の二輪型の機能を停止させる。
「弾がなくなりつつある! ここからは近接戦闘だな……。お前に申請を多く使わせたくはないが死ぬわけにはいかない。俺が指示したらすぐに指示した申請を俺に付与しろ!」
「え、いやどういう⁉」
 そう言った刹那、カラスは獣の腰の上に立ち、そのままその腰を地面と見立て、跳躍を行った。向かう先には飛んだ先にいるのは、転がっていた岩を利用して、接近しようとした球体型であった。
「硬化を!」
 カラスに言われた通りオーは獣を操作しながら、カラスに対し硬化を付与した。そしてカラスは球型目掛け、飛び蹴りを放つ。
 硬化というのは文字通り体を硬化させるわけではなく、皮膚の表面に一回の衝撃に耐えることが出来る膜のようなものを生成する魔法だった。しかし衝撃を受け、耐えただけでは使い手が危機から脱したとは言い難い。そのためその膜がなくなった瞬間、その衝撃を与えたものを一定の距離、吹き飛ばすという効果が付与されていた。
 それをわずかな空気抵抗しか受けない空中で行えば、球体型を吹き飛ばしながらも、自らの体は反作用によって一定時間浮遊する。そして華麗な体捌きによってカラスは獣の上へとその身を戻す。
「おいおい、そんな曲芸師みたいな技を……」
「構わず走れ!」
 もちろんカラスがなけなしのオーの力を球体型一機のために使うはずもなく、その吹き飛ばされた球体型は後方を走っていた人型を巻き込み、爆発する。その爆発によって辺りに撒き散らされる金属片は、二輪型のタイヤを破裂させ、一発の攻撃で三機の掃除屋を排除してしまった。

 掃除屋とのチェイスは一時間ほどすれば終わっていた。終わっていたというより、追跡してきていた掃除屋たちをカラスが殲滅してしまったがために、終わらざるを得なかった。そして気付いた時には肌にちりちりと何かが当たるような感覚を覚えたところで、黒い獣がぐったりと地面に足をついてしまった。
「辺りに灰が舞い始めたみたいだな。マスクを着けよう」
 その言葉にマスクを着け、オーは応える。
『そうだね。ここまでありがとう』
 そう言いつつ黒い獣の頭を撫でたオーは、獣を来た道へ走らせ、ある程度離れたところでリンクを切断した。
『よし、ここからはまた徒歩での旅が始まるね』
『ああ、そうだな。百キロちょい、徒歩だ』
 ふぅとため息をついたオーは出発進行と言わんばかりに、前を指差し歩き始めた。しかし安全に歩き始めたのも束の間、灰の砂漠の先からエンジンの駆動音が微かに聞こえ始めた。
『弾もほとんどないし、オーの体力も限界が近い……よな?』
『またさっきみたいな量が来られたらまずいね』
 今この世界でエンジンを扱っているのは掃除屋のみだろう。そう考えればカラスたちを追ってきた掃除屋だと考えるのは妥当だった。しかしこのじり貧な状況でこれ以上の戦闘は確実に命の危険を伴う。だからこそカラスはここでオーを逃がすという手段を取る。
『お前が生き残れば、俺が生き残る余地が生まれる。お前は今すぐに逃げろ』
 その言葉は嘘だった。どれだけこの可憐な少女と旅をしようとも、カラス自身死地を求めていることに変わりはない。この状況でこそ、オーを救うという形で自らの命を散らせるというのなら本望だ、とカラスは考え、生き残る余地と言いながら掃除屋からの攻撃を一身に受け、死ぬつもりだった。
 だが少女はそれに気付いている。カラスがそう告げた直後、肩に鈍い痛みが走った。別に目で見ていなくとも、その痛みがオーの殴打によるものだとわかる。カラスがその殴打に対し、反論する前にオーは重く静かな声音で告げる。
「いつまでも過去に囚われて、死を求めるのを辞めろ。ここで死ぬなんて全然かっこよくないぞ。もっと汚くても醜くても生きて見せろよ」
 幼き少女の言葉はあらゆる理不尽を被ってきたカラスに対して、あまりにも無責任だった。しかし幼い少女であるからこそ無責任が許されるのか、カラスはその言葉に言い返すということが出来なかった。そう、もしこの言葉が大人などから告げられたものである場合、カラスはいつもの淡々とした声音と皮肉で反論し、その言葉を重く受け止めることはなかっただろう。
 オーが、見守ると決めた彼女の言葉であるからこそ、カラスはオーと共に戦うことを心に決めた。

 しかしそんなシリアスな空気の中、カラスたちの目の前に現れたエンジンの駆動恩を均していた主は、ただの人であった。
 マスク越しに「おーい」と情けない声を出して、近づいてくる。
『バギー……。こんなものがまだ人の手の中にあるなんてな』
 と、あっけない結末にカラスは小さく笑みを零した。それにつられ、オーも可愛く笑った。
「よかった。あんたたちが丁度不帰の森から出てきたところで」
 目にしていたゴーグルを外した男の顔を見て、カラスは思い出す。このバギーに乗っていた男は、先日任務を受けた砦の村にいた村長の側近であった。
「どうしたんだ。こんな目立つものを使っているってことはそれなりの理由があるってことだよな?」
「ああ、昨日あたりだ。いきなり掃除屋たちの活動が活発化して、様々な村を襲い始めたんだ。俺たちの村にも多くの掃除屋たちが迫ってきている。多くの人達があんたを、武器《アルマ》を求めてるんだ!」
 その言葉にオーはにやりと笑い、カラスの肩を小突いた。
「だってさ、時代最強の傭兵さん?」
「それがお前を守ることに繋がるなら、なんだってしてやるさ……」
 そして最強の傭兵と、科学の結晶は男が運転してきたバギーへと乗り込んだ。

  • 最終更新:2019-05-17 14:46:35

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