酒場にて

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本編

 ブルーノはファミリアの溜まり場になっているバーの扉を開ける。時代遅れなスイングドアは、耳を塞ぎたくなるほどの音を鳴らすが、これこそスイングドアの味というものなのだろう。

 店の奥から聞こえてくるジャズバンドの演奏は、子供の時に聞いた母の子守歌のように、汚れ切った心をじんわりと温めてくれるような気がした。ジャズバンドのメンバーも最近やっと安定してきて、それなりに技術も向上してきているだろう。
 それこそ少し前まではベースの顔が気に入らないだの、ボーカルの顔がムカつくだの、サックスの音が五月蠅いだので、簡単に撃ち殺されていたものだった。
 本来安全であるはずのテリトリー内で、銃声を聞くことに飽き飽きしていたブルーノは、その小さな変化が嬉しい。そんなことを思いながらカウンターの席に座った。

 カウンターから離れたところにある小さなテーブルには、四人の男が座り、トランプを使ったかけ事を飽きずに永遠と続けている。自分の個性をふんだんに主張したスーツを身に纏い、臭い様々な煙草を咥える。
 彼らの頭の中には正当に勝つということは一切なく、どうやってイカサマをして、大金をせしめるかそれしかない。
 バレたらナイフで手を抉られることだってあるだろうに。

 こんなところにいるときだけ、スーツに染みついた硝煙の香りを酒と煙草の臭いで誤魔化し、現実から目を背けようとする。いや、背けたいと思っているのはブルーノだけか。



 バーでシェイカーを振るアンジェロに黒く塗られた小瓶を差し出す。アンジェロは小さく舌打ちをして、シェイカーを置き、小瓶を受け取った。
「ブルーノ……。お前の甘えはいつか兄弟を殺すぞ」
 酒焼けした声で、しかもその蓄えに蓄えたでっぱった腹の底から鳴り響くような声で、静かに重く言うアンジェロはいつも五月蠅い。
「クラーケンのロック」
 次はブルーノにはっきりと聞こえる様に大きく舌打ちをした。
「ただ恨みを買ってきただけで、お前は何もしてねえからな?」
 未だに説教を続けようとするアンジェロに対して、ブルーノも聞き流そうとするが、注文されたものを作ろうとせずに、悪態をつくのはムカつく。そこでブルーノは、目の前に置かれているシェイカーを思い切り壁へと投げつけ、アンジェロの胸倉を掴んだ。
「俺たちに土地を借りている身で何が趣味だ? この時代でありながら純粋な酒を流通させているここで、カクテルなんて誰が飲む。そこの酒棚だって、全て俺たちの収益で買ってるものだろうが。誰も飲まねえようなもん作って無駄にして、御託垂れる暇あったらさっさと! クラーケン! ロック!」

 その激昂の後、少しの静寂が流れる。

 ブルーノは不殺を誓った身で、周りからしたら腰抜けかもしれないが、その芸術的な戦闘技術で|幹部《カポ・レジーム》の座に登り詰めたのも事実だった。そんな男に凄まれたら、大の大人でも彼を恐れるのは確かだし、恥ずかしいことではない。
 アンジェロは、背を低くしたままブルーノの注文を出す前に、そそくさとシェイカーを取りにカウンターを出た。

 アンジェロは彼らのシマで店を出すことを許されている数少ない人物の一人であった。それがこの酒場であり、アンジェロが思考を凝らして付けた名前があったはずだが、酒場らしい酒場は、このレイニーブルーにこの場所以外なかったため、ファミリアの間では「酒場」という名で通っていた。
 しかもアンジェロはこの街に詳しいということもあり、みかじめ料を支払わない代わりに、仕事の発注や報告、仕事の選別、構成員への割り振りなどをバーマスターの傍ら請け負っていた。
 その中でブルーノが良く割り当てられるのは、敵対ファミリアの要人暗殺であった。立場で言えばブルーノは|若頭《アンダー・ボス》の下、|幹部《カポ・レジーム》のはずなのに最前線で暗殺を任されることは、本来おかしいことであるのだが、アンジェロに割り振りが任されていない直々の命だから仕方ない。

 ドンは臆病者だ。
 仕事の請負を全て|若頭《アンダー・ボス》に任せることで自らの身を隠し、敵対ファミリアからの攻撃を免れている。ドンの居場所はファミリアのごく限られた人間しか知らない。

 ファミリアとは仲間との絆を強く重んじる。そのため、自分がいなくてもお前たちはやって行けるだろう、と無責任にはき違えたことを言って、隠居しているということだった。ドンを慕っているファミリアはその言葉に士気を上げている様子だが、ブルーノはそれが綺麗事だということを知っている。
 ドンは知っているのだろう。ブルーノの腰に差されている、一発だけ装填された拳銃の弾丸の行方が自分であるということを。それを恐れたドンは|顧問《コンシリエーレ》のディエゴの助言の元、姿を現さない。

 そもそもブルーノを敵としてみなすこともできるのだろうが、生憎ファミリアの中にも派閥はあり、不殺の誓いを掲げる甘えのブルーノを支持している者は意外にも多かった。
 だがブルーノも彼らを扇動して、ドンと戦おうとは思わない

 ただブルーノは孤独に自らの目的を果たすのみ。

「あと何人だ?」
 不機嫌そうな面持ちのアンジェロに尋ねる。それを聞きながら、アンジェロは氷をアイスピックで砕き、綺麗な球を作っていく。
 アンジェロは酒を作るとき話さない。
 カクテルなんて子供騙しみたいな酒に手を出さなくても、アンジェロには洗練された腕があった。ジャズの音楽をバックに、氷とグラスが程よい高音を響かせた後、そこに軽快な音を立て、ラムをグラスに注いでいく。綺麗に削られた氷がラムの淡い褐色に浸ることで、まるでクリスタルのような輝きを見せる。薄暗い照明に照らされたラムはグラスの中でほのかに揺れる。
 差し出されたそれを指先で少しかきまぜた後、口に運んだ。

 クラーケン。ひいてはラムというのは大航海時代に海賊が飲んでいた酒として有名だ。それ故に、海賊に因んだ銘を付けられることの多いラムの中で、ブルーノは特にクラーケンを好んだ。
 47度という、比較的高い度数でありながら、香り高いサトウキビの甘い匂いはふと心を和ませる。しかし口にすれば、その香りとは打って変わって、ぴりりとスパイシーな味わいと、47度というアルコールの鋭い匂いが瞬く間に広がっていく。
 このギャップが、この街に合っているようでブルーノはこのラムを好んだ。

「情報の限り、相手の|幹部《カポ・レジーム》はあと四人。ボス、|若頭《アンダー・ボス》、|顧問《コンシリエーレ》を含めて七人か。幹部の昇格が行われるだろうが、基本的に力を有しているのはそのくらいだろう。あとそれに関して大きな仕事が入った。詳細は後で話すが仕掛けるみたいだ」
 アンジェロは苦い顔をしてブルーノの顔を見つめる。「仕掛ける」ということは、敵対ファミリアを攻撃する口実が出来たということ。
 今までブルーノは|幹部《カポ・レジーム》の暗殺による敵対ファミリーの内部崩壊を工作していた。相手はブルーノ達の仕業だということに気付いてはいるだろうが完全な証拠を手に入れていないため攻撃することはできていなかった。しかしそれについてはこちらも同じで、どこかで敵対ファミリアによる妨害工作が起きたとしても、明確な証拠がないため攻撃ができない。
 本来なら今すぐにでも潰してやりたいがそれをやれば、無数のファミリアが存在し、それぞれ睨み合いながら絶妙なバランスを維持しているこの街での下手な攻撃は一気に敵を増やすことになる。
 正当な理由の上での攻撃。協力はしても、同盟ではないファミリア間の体制では、その攻撃については誰も口出しすることはできない。結局信じることが出来るのはファミリアだけということ。
 そして仕掛けるということはその理由、口実、証拠を我がファミリアが掴んだということであった。

「長い間、俺たちの仕事を見て来たってのに、今更怖気づいたのか?」
 アンジェロは図星を突かれたような顔をして、俯く。
「いつか来るということはわかっていたがな。昨日話した友が、死んだという報せはいくら経験しても慣れない。それが今回何人……」
「その報せを無くすために動くんだろう。生憎俺たち|指達《ナンバーズ》はどのファミリアをとっても負けることはない。それこそそれについてはお前一番知ってるだろう?」
 ブルーノは氷が解けたことにより、アルコール度数が下がり、増えた酒を半分ほど胃に流し込んだ。この胃にアルコールが染みて行く感覚はいつになっても慣れないが、癖になってるのは確かだ。
 喉がじりじりと灼け、吐き出される息にアルコールを強く感じる。鼻から抜けるアルコールでむせそうになるが、それを何とか抑え込むと、身体に酒が馴染んでいく。
 そうすると、心臓のゆっくりとした脈拍がだんだんと強くなり、酔いを感じ始める。
――怖いか?――
 こんな世界で生きている限り、死というものはもしかしたら一年後の未来より身近なものかもしれない。ブルーノ自身、自分が死を恐れているかどうかはわからない。
 何より自らの目的を果たせずに、この世界から旅立たなければならないのは恐怖であったが、弾丸で撃ち抜かれ、血が抜けていくことを感じつつ、迫る強大な闇に包まれていくということは別に何とも思わなかった。
 少なくとも家族に囲まれて、見守られながら静かに息を引き取るなんて死に方は絶対にできないということは知っている。無残に拷問を受け、生きているのか死んでいるのかわからない狭間を漂うか、銃で撃たれ泥水に浸りながら死ぬか。
 安らかな死なんて最初からなかった。それはわかっていた。

次話


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  • 最終更新:2020-05-20 01:41:15

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