鎌鼬の肉で腹は満たされない。

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本編

「ん……」
 頭の奥がじんとするほどの青臭さを感じた彼は目を覚ました。ぼやけた視界は緑一食で覆われ、明らかに自分が森の中で倒れているということがわかる。
 手を付くと、草花を感じ、その先にじっとりとした湿った土の感触を覚える。若干痺れている手足に喝を入れ、立ち上がり、手についた土を払った彼は辺り一面が本当に鮮やかなほどの緑であるということを知った。
「次はこの森からスタートか」
 と言った瞬間に、次という言葉に違和感を覚える。次。前にも似たような状況があったかのようなその発言だが、今にしてみれば思い出せない。それこそそう口に発する前は覚えていた気がするのに。そんな形で、ふと腰に手を当ててみると、案の定ポーチが衣服を止めるベルトに括られており、そこには一枚の板が入っていた。
 板と言っても木ではなく、金属質のような、でも金属とは思えない程に軽くつるつるとした感触は心地良い。
「今はいつだ?」
 この状況において、いつなんてことはどうでもいいことだった。でもなんだかいつかを知らなければならない気がした時には、そう口に出して、なんで今の日付が知りたいのかわからない。

――狼暦三六年 四の月 七の日――
 彼が言うと、その板に表示された。探索者特典の便利アイテムと言わんばかりのそれは、また新たに別の表示を出して見せる。
――アルマ=レイヴン 放浪者――
「アルマ……俺の名前……?」
 そうだ、自分の名前はアルマだ。本当はもっと別の名前を持っていたはずだ。だがアルマ=レイヴンという名を聞いてから、その本当の名を思い出すことはできない。それどころか、そう思った次の瞬間には、その名前についての疑問すらも消え去っていた。
 なにか世界の思惑通りに記憶を改竄されていっているような感覚。だがそんな感覚はその世界の意志の通りに全て消え去っていく。この状態が当たり前に感じるように、いや疑いようのないように。

 そして当初持っていたはずの疑念が全てなくなった状態で、倒れていたところの後ろにあった小屋に足を踏み入れる。掘っ立て小屋とも言える簡素な小屋の中には一応生活ができる様な道具が一式揃っている。
 アルマはこの小屋が誰かのものという発想にはならず、誰かが自分のために用意した特典であると思い、部屋の中にあった椅子に腰を掛け、本棚に置いてあった本を取り、それを開いた。
 そこに描かれているのはこの大陸の歴史や、世界で扱われている魔法の仕組み。それこそ記憶の無いアルマにとって、それらはこの世界の指南書となるようなものばかりであった。それを一通り読んだアルマは、ぐーっと鳴った腹に気付き、食料を探しに台所へ出た。
 空っぽの棚、空っぽの壺。最低限だった。いや、食料は最低限のうちの一つだろうと愚痴を言いながら、アルマは武器棚であろうものの扉を開けた。
 そこには一つだけ。色鮮やかとは言い難い鈍色の流線型を描いた銀の短剣が置いてあった。

 記憶がない割に、行動がスムーズなのには理由があった。理由と言っても全て言葉にして説明できるわけではなく、このような状況が何度も、いや数十回とかではなく数回あった気がして、その時もこのような形で世界を知り、武器を取り、食料を獲り、力を蓄え、この世界で偉業を成す。
 確かにその記憶があるわけではない。薄っすらとそれこそ蜃気楼のように、夢のように、ふと別のことを考えれば消えてしまいそうなほどの軽さでアルマの心の中にそれは存在していた。
 だが、自分が何度もこの世界を旅しているという訳ではなく、前世の記憶と言おうか。自分が別の人間だった時の記憶がアルマの中には微かに残っていたのだ。だからそうしたいという欲とかではなく、そうしなければならない使命感のようなもので、それ自体に明確な根拠はなかった。

 銀の短剣。それは如何にも武器とは言い難いものであった。例えば刃が変に曲がりくねった儀式刀のような戦闘には不向きに感じる様な。なぜなら、銀の短剣は無骨な戦士が扱うものとしては美し過ぎたのだ。刃の完全に計算し尽くされたような鮮やかな曲線は、妖艶な踊り子を彷彿とさせる。また持ち手に施された装飾は、滑り止めとしてはやりすぎなくらいに細かく彫り込まれている。植物や炎や水を表しているかのような模様は、たかが短剣の柄に絵画を埋め込んだような、アンバランスな印象を受けた。
「まあ今はこれしかないしな」
 と、アルマは銀の短剣を手に取り、その横にあった革のベルトと短剣の鞘を腰につけた。そしてそのまま小屋の扉を開け、森へ出た。

 綺麗な湖の畔だ。起きた時は気付かなかったが、そこは目が痛くなるほどの緑を鮮明に反射させる水面が悠々と広がっていた。水がないのではと錯覚させるほどに透明度の高いその水は、森の青臭い風に乗って心地の良い水の香りを運んでくる。
 アルマは先ほど自らの名前を確認した――アイデンというらしい――板を起動し、自らの|特殊技能《スキル》を確認した。

 この世界に人に与えられている幻想の力は二つ。この世界の技術の中心にもなっており、呼吸と同様に当然の如く皆平等に与えられる力、魔術。この世界の空気中に常に存在する魔素と呼ばれる物質を体内でエネルギーへと変換し、幻想の力を撃ち出す。
 そして今アルマが確認している、一定条件を満たしたものに与えられる|特殊技能《スキル》が二つ目。魔術という学問的立ち位置に存在する力に対して、|特殊技能《スキル》というものはほとんどの研究が進んでいない力であった。
 魔力を使って使うものであったり、自分の置かれる状況に際して勝手に使われたりと、発動条件も不可解で、一切の法則性がない。

「|紅魔眼《マジックセンス》……」
 幸運なことに|特殊技能《スキル》についてはアイデンに全て使い方が明記されており、表示された|紅魔眼《マジックセンス》という文字をタップすると、その|特殊技能《スキル》についての概要が表示された。

――|紅魔眼《マジックセンス》――
 |固有特殊技能《ユニークスキル》。目に魔力を集中させることで、物質の視界を失う代わりに、魔力を可視化する。それと同時に聴覚を大幅に強化する

「固有か……」
 これも|特殊技能《スキル》が不可解な理由の一つだった。一定条件を満たせば獲得できる|特殊技能《スキル》に対して、|固有特殊技能《ユニークスキル》は少なくとも世界に一人しかその能力を獲得することはできないという。そしてその保持者が死ねば、また別の誰かへと移っていくらしい。

 |紅魔眼《マジックセンス》の使い方を確認したアルマは、身体に感じる魔力を目に集中させ、視界を変換する。
 その瞬間、世界は果てしない程の深淵へと変わり、だんだんと白い靄のような物の形で魔力が可視化されてきた。高く一本縦に伸びるあれは樹だろうか。湖の奥に点々と存在するあれは魚だろう。そんなことを考えながら魔力の視界で辺りを見回していると、背の低い靄の奥から薄っすらと赤い靄が現れる。
 赤と言えば危険信号と遺伝子レベルで刻み込まれているからか、アルマは瞬時にその視界を切り替え、物質の視界に戻した後、銀の短剣を引き抜き、赤い靄が見えた茂みの方を警戒する。
 そして時間にして数秒。その茂みから一匹の魔物が飛び出してきた。

 三十センチほどの体躯に黒い丸い眼、鋭くない三角形型の耳に茶色い毛並み。それがイタチであるということにはすぐわかるが、普通のイタチとは明らかに違うところがある。長く細い尻尾があるはずのところには黒く鋭利な刃物――鎌のようなものがついていた。
「鎌鼬!?」
 鎌鼬は明らかにアルマに対し、敵意を剥き出しにしており、攻撃に備えていることがわかる。生憎アルマは警戒し、武器も抜いているため不意を突かれるということはない。鎌鼬は大きな跳躍の後、地面を強く蹴飛ばし、アルマの顔の目の前まで飛び上がる。身体をうねらせて、鎌を大きく振るう。人間の首元が刃物に弱いということがわかっての攻撃。
 少なくともそれほどの知能がある鎌鼬の攻撃を何とか、銀の短剣で弾く。宙に浮いた状態で攻撃を弾かれた鎌鼬はあっけなく体勢を崩し、転ぶような形で着地する。
 アルマは地面に落ちた鎌鼬目掛け、その短剣を投げつけた。鮮やかな直線を描いた短剣は鎌鼬の頭蓋骨を砕き、地面に楔を打つような形で、その行動を停止させる。

「こいつ俺の首を狙ったのか……」
 そう言いながら、取り敢えず鎌鼬を砕いた短剣を引き抜き、着ていた雑な服の裾でその血を拭った。ちょうど近くに水辺があるため、鎌鼬の死体を拾い上げ、湖の元へ移動する。
 適当な岩の上で、鎌鼬の頭を落とし、その傷口を水にさらすような形で血抜きを行い、血が抜けきったところで、まず鎌鼬の鎌を取り外そうと、短剣が入り込めそうな場所を探す。すると少し突起のようなところがあるところに刃を入れると抵抗なく、尻尾たる鎌鼬の鎌を切り落とした。
 この鋭利な刃物は後々使い物になるだろうと思い、捨てずに足元へ置いておく。これで手を切る心配なく、鎌鼬を捌くことが出来るため、まず腹を切り裂き、内臓を取り除く。
 そこから先ほど切った尻尾の部分を切っ掛けにして、皮に切れ込みを入れていき、ガイドラインが出来たら勢いよくそれを引っ張る。すると簡単に鎌鼬の毛皮を剥ぐことが出来た。
 これで一応食える状態には出来たが、イタチという獣の大きさを考慮すると、一匹だと食料としては、心許ない。そのためアルマは森の探索がてら、他に食料となるようなものを探しに行くことにした。

 その準備として、まず家にあった麻袋を一つ手に持ち、解体した鎌鼬は湖の水溜まり部分にさらして置く。また適当なサイズの木の枝を取り、先端をナイフで削り、簡易な槍を二本製作した。また一本の先端に、銀の短剣を適当な植物の蔓で括りつける。
 これで|投擲槍《ジャベリン》と|長槍《スピア》の完成だ。



 ここの森の名は離れ森といった。離れと言われれば、必ず「離れ」と称されるが故の主な何かがある。この森の場合それは人間の領土に存在する最大の貿易都市パレルであった。しかし他種族との交易を行っていない人間にとって貿易という言葉は相応しくなく、人々の間でパレルは商業都市という名で通っていた。パレルと呼んだ方が効率的であるはずだが人々は商業都市と呼ぶことを好んだ。
 そしてこの森はその商業都市からの離れであった。魔物を倒し、その魔物の魔力が結晶化した魔晶石と呼ばれる換金素材や、賞金首の討伐を生業にしている冒険者のひよっこのひよっこが訓練に訪れるこの森には、鎌鼬や|小鬼《ゴブリン》といった初級の魔物で溢れていた。

 アルマが今歩いているのは鎌鼬より強力とされる|小鬼《ゴブリン》の出現率の方が多いとされる中層部分だ。しかし現状の装備が貧弱な槍二本のみ、防具無しという状態でわざわざ難易度が高いとされる中層で狩りをするつもりはないため、身を潜めながら表層とされる地点を目指す。
 それこそ一度鎌鼬は運よく一匹狩ることが出来ているため、彼らがどのような手段でこちらを殺すのかということはわかっている。所詮、魔法という力があるこの世界で畏れるべきは死のみ。一切の傷を負わず、獲物を取れるとは、アルマ自身思っていなかった。

 彼自身そんな割り切ったことを考えているのは、過去の記憶らしき何かが心の中――頭の中ではない――にあるからだろう。それこそ記憶障害により彼自身気付いていないが、アイデンで確認すればわかる。彼の年齢はたったの十一歳であった。鏡もない小屋、水に移る自分の顔も少し幼いと感じる程度であるのだろう。少なくともその過去の記憶らしき何かが影響していることによって、年齢に相応しくない考えに至っているのは確かだ。

「五匹か。怪我の感じを見てもそろそろ潮時かぁ」
 血抜きと内臓抜きのみを行ったために、紫色の――高濃度魔力によって変色した――血液によって汚れた麻袋を覗きながらアルマはそう呟いた。
 |投擲槍《ジャベリン》とした木の枝は既に折れ、|長槍《スピア》としていた枝も荷物を簡単に運ぶための材料として使われていた。日は既に傾き始め、緑の森は暗く茜色に染まっている。
 アルマはずりずりと疲れ果てた体で麻袋を引き摺りながら、帰路につく。魔力を可視化できる|紅魔眼《マジックセンス》によって、歩いてきた道に自らが付けた魔力痕を辿ることで、帰る道を導き出す。

 それこそこれは先ほど見つけた術であるのだが、自らの身体に宿る魔力を他者の身体に強く流し込むことによって、外的損傷は与えずに、その部分だけ自らの領域として変換することが可能だということが分かった。
 しかし鎌鼬や|小鬼《ゴブリン》などの動物の魔力流はまだ魔力を使いこなしていないアルマにとっては激流にも等しいため、その激流を止めるほどの|魔力《ダム》を即興で生成することは不可能であった。だから樹や土など、魔力の宿っていない無機物や、魔力流がゆっくりな生物に自らの魔力を押し付け、マーキングを行ったということだ。

 帰路を辿り、小屋まで半分くらい歩いたところだった。皿と皿を擦り合わせたような不快な音――鳴き声をアルマの耳が捉えた。微かにだった。次のマーキング地点を探すために|紅魔眼《マジックセンス》を発現した瞬間、遥か遠くでそんな音が聞こえた気がしたのだ。ちょうど今目の前にはマーキングをした樹がある。
 アルマはその樹に登り、麻袋を樹の太い枝の分け目に立てかけた後、マーキングの魔力量を増やし、この地点を目立つようにした。
 疲労より好奇心が勝ってしまったのだ。

 鎌鼬は文字であらわすならキューキューと甲高く、鎌さえなければ愛玩動物とされそうな可愛らしいとも言える鳴き声だった。ここは離れ森の表層と中層の境あたりだ。明らかに鎌鼬とは違うこの鳴き声の主は、まだ見たことのない|小鬼《ゴブリン》の声だろう。
 それに気付いたアルマの行動は早かった。鎌鼬は樹の上から奇襲を仕掛けてくることもあったが、|小鬼《ゴブリン》は基本的に地に足をついて活動をする魔物だと書物に書いてあった。だから木から木へ猿のように飛び移って、鳴き声の元へ移動して見せた。
 そんな奇芸とも言えることを行えてしまうのは、過去の何かの影響であろうが、それについてアルマが疑問を持つということはない。

 ――いた。

 アルマの視線の先には茶褐色の体皮を持ち、一メートルあるかないかくらいの身長を持った魔物|小鬼《ゴブリン》がいた。不愉快な鳴き声でなく彼らは群れで生活しており、それこそ適当ではあるが小さなテントのようなものがいくつも見受けられた。
 村と称される|小鬼《ゴブリン》の巣には、今目に入る限り三十はいる。アルマが今持っている装備では確実に殺されてしまうだろう。それに気付いたアルマは彼らに気付かれないようにゆっくりと先ほどマーキングした場所へと戻った。

 それから帰る道は単調で、小屋につくまで何か大きな問題が起きたりということは一切なかった。

 そして家に着くや否や減った腹の虫を治めるために、台所へ立つ。
「適当だけど、フライパンがあるのはありがたいな」
 と立てかけられているフライパンを手に取り、可燃石と称される微量の魔力を流すことで着火剤となる石に魔力を流し込み、種火を生み、それを薪へと移した。
「あっ、油がない」
 油が無いということに気付いたアルマは内臓を捨ててしまったことを後悔しながら、フライパンを退け、適当にあしらった串に鎌鼬の肉を突き刺し、直火で炙ることにした。
 最初こそはそこまでの香りは立たないが、脂が滴り始めるころには、小屋全体を覆い尽くすくらいの豊潤な肉の香りが漂っていた。
 今日手に入れた鎌鼬は六匹。台所の炉の煙が逃げていくところに三匹の肉を置いておき、取り敢えず適当にではあるが燻製ができないか試していた。そして今焼いているのは三匹。
「いただきます」
 と、言ってから焼けた一匹目に齧り付く。
 まあ腹が減っているから上手いことは上手い。しかし如何せん小動物であるために小骨は多いし、可食部は少ないしで満足感はあまり得られない。もし毎食お腹いっぱいにしたいのなら、何らかの方法で十数匹仕留められるようにならなければならないだろう。
 だが食事中に難しいことを考えても仕方ない。アルマは骨を丁寧に取り除きながら、鎌鼬の肉を頬張った。

 魔法大陸と呼ばれるこの世界での一日目はこうして幕を閉じた。

次話


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  • 最終更新:2020-04-16 15:19:20

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