雷霆に吠える狼
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本編
|黒狼《ブラックウルフ》との初戦闘からもう三日が過ぎていた。
彼らが若いからかはわからないが、物事の吸収は早く、三日前に手古摺った|黒狼《ブラックウルフ》は既に全員でかかれば難なく倒せる敵となった。
リーシュの結界により、皆を守り、ナディアの雷|魔法強化《エンチャント》によって、黒雷を反射し、敵を痺れさせる。
そしてイギルとエルノによる斬撃によって敵を怯ませ、アルマの一閃により首を落とす。
戦闘がルーティンワークになれば、もう怖いものはない。
アルマたちは着々と敵を倒し、階層を下げていく。
そして一週間目の夜。|狼の迷宮《ダンジョンウルフ》迷宮区八階層。
アルマたちは未だ漠然と続く森の中にシェルターを作り、その疲れた体を休めていた。
アルマもイギルもこの時でさえ、|特殊技能《スキル》は使いっぱなしだ。
魔物が寄り付かないよう、火を焚き、それを囲みながら、今日の反省と明日の計画を練る。それが最近の日課になってきていた。
「俺の動きはどうだった?」
イギルが皆に尋ねる。
「まあ人の動きを真似るって以上、その真似る人物に強く影響を受けるんでしょう?」
リリアーノが聞いた。
「ああ」
「ふてぶてしいというか、鬱陶しいというか。アルマの|感覚複製《イマジンハック》はなんだか鼻につくのよね」
「おい、それは俺が鬱陶しいってことか?」
アルマがその言葉に少し声を荒げながら言うと、皆はくすくすと笑った。
「それならエルノの|感覚複製《イマジンハック》をずっと使ってたらいいだろう? 実用的じゃない剣舞をさ」
その言葉にエルノが反論する。
「でも現状皆の動きに合わせやすいのは僕の動きなわけじゃないか。実用的じゃない?」
それもそうだとリリアーノとイギルがアルマの顔を見つめるが、ナディアは違った。
「でもエルノ君が一番被弾率が高い気が……」
五人パーティの中では基本ツーマンセルと、スリーマンセル、若しくはツーマンセル二組とアルマ単独という編成で戦ってきた。その際既に息が合っているアルマとイギル、エルノとリリアーノはなるべくペアを組まずに編成を行っている。
そのためナディアは必然的にアルマ、イギル、エルノ、三人の比較が明らかであった。
その言葉に「うっ」と顔をしかめるエルノを見て、皆は笑わずにナディアの顔を見つめた。
「あ、いや……。ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに言う彼女の黒い髪の毛が小さく揺れる。
「いやなんだ。そういうこと言うんだって」
「ほんと。何もセラやロードの陰に隠れてばっかで、全然自分の意見言わないし」
『力はあるのに』
|紅魔眼《マジックセンス》によって各人の力量を測れているアルマと、直接試験で|剣獅子《サーベルレオ》に対面したリリアーノが声を揃えていった。
「え、いや……。でもセラちゃんがいないと何もできないのはほんとだから……」
本当に今にも消え入りそうな声で話すナディアだが、イギルはそのあまり聞いたことのない彼女の声に聞き惚れているようだ。
それはアルマもそうで、まるで小鳥のさえずりの様な綺麗な声でありながら、いつ聞こえなくなってしまうかわからない儚げな声は、気になる。
「俺は今までも皆が強くなるために、色々なことを教えてきた」
「……うん」
「王国軍という安泰な職に就けるとか、友達がそこを目指しているとか。ほとんどの奴らはそんな志で入ってきたはずだ。それなのに戦争に備えて、重荷を背負わされて嫌になるかもしれない。でもナディアはもっと自分の力に自信を持っていいと思う」
ナディアは恥ずかしいのか、悲しいのか火を見つめたまま顔を動かさない。長く結われていない黒髪が垂れ下がるために、表情は読めなかった。
「そうだよ。森に入ってきて|黒狼《ブラックウルフ》たちに囲まれて、|白狼《ホワイトウルフ》の電撃にやられた僕を助けてくれたじゃないか。ナディアとのツーマンセルは初めてだったけど、本当に戦いやすかった」
エルノの言葉にナディアは顔を上げる。薄ら顔には笑みが浮かんでいるように見える。
なんで俺の言葉には顔を上げねえのにとアルマは不満そうに、手元の薪を焚火に放り投げた。
「でも難しいところだな。ナディアは基本的に支援型の魔法使いだが、近接もできるし、やろうと思えばサリナみたいな殲滅型の魔法も扱えるわけだ。支援するべきところで出しゃばりすぎても仕方ない。だからある意味では今の性格でもうまくやってると思う。寧ろお前が一番俺たちのことをよく見てるんじゃないか?」
ナディアは皆の顔を見回した後、もう一度焚火を見つめる。皆からはごくりと固唾をのむような音が聞こえた気がする。
するとナディアはゆっくりと話し始める。
「アルマ君はちょっと無鉄砲……。強いから安心はできるけどチームワークではないかも……」
「ま、まじか……」
「イギル君は|変異《スイッチ》が分かりにくい……。複製先によって動きがすごい変わるから、突然変わられると支援がしにくい……」
「ご、ごめん」
「エルノ君は戦いをわかってないと思う……。私もわかってないけど……、血とかに濡れないように戦ってる気がする……」
「ばれてましたか……」
「リリィちゃんは近接戦闘できないのに前に出過ぎかな……。魔術師はアルマ君たち戦士に守ってもらわないとしっかりと力を出せないから、一歩引いた方がいいかも……」
「なっ……」
誰の目も見ずに、淡々と述べたナディアの分析は全員に的確に突き刺さったようだ。その言葉に何か反論できる者はおらず、各々何かもごもごと言っている。
「私は憶病で自信がない……。本当はもっと前に出れるし、色々できるのに、皆の邪魔になっちゃうんじゃないかって心配になる……」
そして最後、自分の悪いところを述べたナディアは「たくさん喋ってごめん」と呟いた。
驚きだった。アルマはもちろん皆のことを見ながら戦っていたが、一番前に立っている以上、見えないところがある。
出しゃばりのロードと、向こう見ずのセラがいるパーティにいただけあり、彼女は勇者御一行のバランサーだったのだとアルマは気付く。
その二人に、カップルのランスとサリナ、それに無口のガルムラス。向こうのパーティがふと心配になるアルマだったが、致し方ないと、皆の元へ意識を戻す。
「いや、ありがたい。とても参考になる。俺も見ているつもりだが、見えなくなるところがある。だからこれからも悪いところや直した方がいいところ見つけてくれるか?」
ナディアは顔を上げて、アルマを見た。その瞳にはちらちらと視界の端で燃える焚火が映って、確かな意思を灯しているように見える。
「皆がいいなら……」
「もちろんだぜ!」
イギル。
「よろしく頼むよ」
エルノ。
「話すならもっとはきはきと話しなさいよ! 次からは!」
リリアーノ。
その言葉にナディアは嬉しそうに「うん」と笑った。
目を覚ましたアルマたちはキャンプを片付け、今一度歩き始める。光の幻惑魔法によってどこまでも続くように見えるこの森も、ここまで来れば転移陣の場所がある程度把握できるようになってきていた。
明らかに転移陣の周囲にはほかの地点より魔物の数が多い。特に|黒狼《ブラックウルフ》の数が顕著に表れていた。
それをアルマの|紅魔眼《マジックセンス》によって検知し、彼らを一匹ずつ誘い出し、倒し、数を減らしていく。
そして十日目。来る|狼の迷宮《ダンジョンウルフ》最下層。
皆の目の前には|迷宮主《ダンジョンマスター》がいる部屋へと続く鋼鉄の扉がある。
荘厳な装飾に、狼の文様が描かれたそれはまるでここにはいない|迷宮主《ダンジョンマスター》が既に|圧力《プレッシャー》を放っているように思えた。
「この先に……」
リリアーノが声を漏らした。
「ああ。|迷宮主《ダンジョンマスター》がいる」
辺りをつけていたこともあり、昨夜のキャンプ地から数十分でここまで辿り着くことが出来た。
「十日目か……。向こうの班は今頃どうしてるかな?」
エルノは今までの冒険を改めてそう呟く。
「俺たちだってまだ終わったわけじゃないぞ」
「そうだね」
イギルは顔を叩き、気合いを入れたのち、気付け薬と魔力ポーションを一気のみする。
「準備はオッケーだ」
「私も大丈夫」
「うん……」
「僕も大丈夫だよ」
決意が固まった四人の顔を見たのち、アルマは確かに頷き、「しまっていこう」と鋼鉄の扉を開けた。
耳を塞ぎたくなるほど大きな音を鳴らしながら、その口を開けた扉はまるで怪物の口のようで、濁流の如き勢いで、満ち溢れる魔力による|圧力《プレッシャー》を流れ出させた。
その姿は未だ見えていないというのに、既に体中に鳥肌が立ち、背中を冷たい汗がツーッと伝う。
それはアルマだけでなく、他の皆も同じようで、強張った面持ちで扉の奥を見つめていた。
夢を見ていた朝のようにぼやけていた視界が、扉を潜ると一気に鮮明に映り始める。
森林とは打って変わってごつごつとした岩場であるが、途中から地面は切れており、その先は切り立った崖になっていた。
|迷宮《ダンジョン》の幻惑魔法はここまで精度が高いものなのかと、驚くアルマたちは、瞬間視界が白い閃光に包まれ、身構える。
ほぼその光と同時に轟音が鳴り響き、崖の先に立ち込めていた雲が本物であることに気付いた。
するとぽつぽつと雨が降り始め、それはすぐさま大雨と化し、アルマたちの身体を打ち始める。
「雨に風に雷……」
アルマがそう言った瞬間、どこからともなく現れた狼が空に向かって、高らかに遠吠えを上げた。
耳を劈くほどの大きさで放たれたそれは、意外にも凄まじいほどの|圧力《プレッシャー》が乗っているわけではない。しかしその遠吠えに反応したのか、瞬間、無数の雷鳴が鳴り響き、雨も相まって目も開けられないほどの風が吹き荒れる。
この嵐を操るのが|狼の迷宮《ダンジョンウルフ》の|迷宮主《ダンジョンマスター》、神すら食らう狼、|神喰狼《フェンリル》。
「|大嵐《スーパーセル》だ。構えろ! どこから雷撃が降ってくるかわから――」
そう言いかけた瞬間だった。突然目の前が白い布で包まれたように、白以外何も見えなくなる。それと同時に文字通り雷が身体を突き抜けるような衝撃を受け、全身の灼けるような痛みによって、地面に倒れ込んだ。
「アルマ!」
そう叫んだのが誰か、もうわからない。頭の芯がちりちりと焼けていくような感覚の中で、微かに仲間たちが自分を囲んでいるのが分かる。
誰かの手が背中に触れられると、心地よい温かみと共に、自らの身体がだんだんと、自身の元に取り戻されていく。
「助かった!」
そう言って魔力が操られるようになると、一気に自己再生で、修復し、飛び上がり、構えを取った。
「俺が避雷針になる! その間に体勢を立て直せ!」
アルマは左手に|黒狼《ブラックウルフ》の黒雷を纏わせることで、他の鳴り響く雷の避雷針となる。
立て続けに三度の閃光が迸った後に、アルマの左腕目掛けて、三本のいかずちが落ちた。
「ぐっ。くそみてえな魔力量しやがって!」
膨大な魔力量に苛まれ、アルマの身体に今までに感じたことのないような苦痛が走る。
「キリがない! イギル、エルノ! アルマのサポート! 私がここを結界で覆いつくす!」
本来手を付かなくても発現できるはずのリリアーノは、地面に手を付き、詠唱を始める。どくんと、脈打ったように見えたリリアーノの足元の地面から波及して、魔力が広がっていく。
自らの魔力を最大限に使って、この落雷を防ごうというのか。
それに気付いたナディアはリリアーノを|神喰狼《フェンリル》から守るように、|神喰狼《フェンリル》とリリアーノの間に立った。
瞬間、目が眩むほどの白い閃光が迸る。
「きゃあっ!」
雷の衝撃にリリアーノは声を上げる。もちろん直接攻撃を与えられたわけではない。しかし結界というのは周りから攻撃を食らえば食らうほど、自らの体内の魔力を消費させられる。
今の一撃がどれほどの消費を生み出したのか、他の皆にはわからない以上、早く片を付けなければ、リリアーノの魔力が枯渇し、また無尽蔵の稲妻に晒されることになる。
と、|神喰狼《フェンリル》に攻撃を仕掛けようとした時、立て続けに光が三回発せられた。
リリアーノの悲鳴と共に、結界の色が薄くなったのを確認したアルマは、既にリリアーノの魔力が枯渇してしまったことを察する。
「成す術なしか!?」
そう言った瞬間、今一度結界は色を取り戻し、また迸る雷光を防いだ。
「私のもどれだけ持つかわからないから早く!」
ナディアがリリアーノを支えながら、その手を地面についていた。
「イギル、エルノ! 行くぞ!」
「ああ!」
と高らかに返事をしたイギルとは違い、エルノは「二人に任せる!」と言って、ナディアたちの元へ走っていく。
「近接は二人で足りないが、結界の維持も二人じゃあ足りないか……」
「それなら俺らでやるしかねえよなぁ。アルマ」
「ああ。俺ら二人で――」
「|神喰狼《フェンリル》を喰らう!」
二人はほぼ同時に駆け出す。獲物は違えど、イギルの|感覚複製《イマジンハック》によって、まるで同じ人間が分裂して走っているかのような錯覚に陥る。
それに気付いた|神喰狼《フェンリル》は、大きく口を開けたかと思えば、そこから一筋の電撃が発現する。
アルマは一歩、イギルより前に出て、それを|魔喰《ソウルイーター》で吸収して見せる。その魔力によって一度強く鼓動が打たれたのを感じたアルマは、その魔力を利用し、最大限の|疾風迅雷《アクセルウインド》を放った。
「|大喰魔術《ビックマジック》壱型! |疾風迅雷《アクセルウインド》!」
まさに光の速さで|神喰狼《フェンリル》に肉薄したアルマは、|神喰狼《フェンリル》の首元目掛け一閃を放つ。
それを悠々と避ける|神喰狼《フェンリル》だが、これはただの布石。
死角から回り込んだイギルが|神喰狼《フェンリル》の脳天目掛け、大地斧を振り下ろす。そのまま頭部を地面に叩きつけた後に、大地斬を放つことで、地面を隆起させ、斧の刃と土の刃の両挟みにする。
声を上げる|神喰狼《フェンリル》だが、それは驚きから出たもので、ダメージはほとんど入っていないだろう。
「もっと上げてくぞ!」
「おう!」
アルマは刀剣に魔力を感応させることで、刀剣自体に魔物の魔力を流し込み、鎌鼬の強化を施す。
風属性の|魔法強化《エンチャント》は、速度上昇による連撃と切れ味の上昇。
分厚い毛皮と、その剛毛によって守られた肉を断つために、鎌鼬の|魔法強化《エンチャント》を施し、肉を露にする。
そこをすぐさまイギルと入れ替わり、そこへイギルが大地斧を叩きつける。次は確実に肉に刃が食い込んだ。
「よっしゃぁあ!」
そう声を上げたイギルは、強く刃を引くことで、その傷口を拓く。刹那、紫の血液が、噴き上げ辺りの地面が紫に染まるが、彼らは忘れている。
この|神喰狼《フェンリル》が操るのは雷だけではなく、雨、ひいては水すらも操る魔物だということを。
そしてイギルの背後に浮かび上がった|神喰狼《フェンリル》の鮮血は、一センチほどの大きさの球体へと変化し、凄まじい速さを以て、イギルを貫いた。
右肩を的確に穿ったその血液は、|神喰狼《フェンリル》からの魔力供給が切れたのか、イギルの中から噴き出したような血のようにその姿を散らし、地面に吸い込まれていく。
「イギル!」
「大丈夫だ!」
心配し、イギルの方を見たアルマだが、既にイギルの前から|神喰狼《フェンリル》の姿は消えている。
「なっ」
死角から迫り来る魔力の塊を感じ取ったアルマは、その間に刀剣を隔てることで、それを何とか防ごうとするが、その努力虚しく、刀剣は根元から折られると同時に、重大な圧力がアルマの右わき腹を襲った。
はっきりとバキンッと音を鳴らしたのは、刀剣だけではなく、あばらすらもおられたが故の音だろう。
|神喰狼《フェンリル》は赤く血の染まったその腕を地面につけ、強く空見上げ吠えた。
空気の流れが波動のように広がっていき、魔力による浸蝕を二人に行う。
一気に|神喰狼《フェンリル》に呑まれたアルマは、自己再生よりも先に、体内に魔力を巡らせることで、その麻痺とも言える浸蝕から脱し、イギルの頬を殴りつける。
その衝撃によって、我を取り戻したイギルは、今一度強く大地斧を握りしめ、構えを取ろうとするが、そんな猶予を与えるはずもなく、|神喰狼《フェンリル》は口から雷を放つ。
再度アルマがイギルの前に立ち、|魔喰《ソウルイーター》によってその電撃を防ぐ。
防ぐには防いだ。
しかしアルマのその雷撃によって体内で飽和した魔力が、自らの魔力解放率を底上げしていることに気付いていない。
一度大きな身震いと共に、頭部に狼の耳と尻尾が現れたアルマは、既にその解放率が六〇パーセントを超えていることに気付く。
六〇パーセントはアスレハや試験で襲来した魔人と戦った際に解放した割合であり、自らの身体を蝕む割合であった。
「ウゥオウガァアアアあああ!】
そう叫んだアルマの声には尋常ではないほどの闇の魔力が載っており、ナディアが別の結界を張らなければ、後方の三人は闇に呑まれていたことだろう。
それではそれを近くで受けてしまったイギルは――。
【グッゥ――。コれが独立魔力解放の力だッテ言うのカ!?」
自らの体内で強く脈打つ得体のしれないものに恐怖を覚えながらも、それはアルマが人を救うために使っていたあの術であるとすぐに理解する。
他人の魔力を自らの魔力で再現することによって、動きを複製する|感覚複製《イマジンハック》の性質上、アルマの魔力に強く中てられたイギルの魔力は、|感覚複製《イマジンハック》を通して、独立魔力解放を一時的に体現していた。
魔物の魔力を持つ|大喰者《ビックイーター》アルマと、他人の力を覗き見る|侵入者《ハッカー》イギルの二人だから成せる技。
|二匹の魔獣《ツインビースト》。
異様ともいえる筋肉の収縮によって撃ちだされる一歩は、弾丸の如く。巨大な得物をもろともせず|神喰狼《フェンリル》に肉薄したイギルは、鎌鼬の強化が施された大地斧を、|岩豚人《ロックトロール》の身体強化が載った腕で振り下ろす。
雷が如く落ちた大地斧を|神喰狼《フェンリル》は避け切ることが出来ずに、右腕に酷い裂傷を負った。
もちろんその痛みによって生み出された隙をアルマが見逃すはずもなく、足から生えた鎌鼬の刃によって左わき腹を蹴り、その引っ掛かりを起点に、自らの身体を翻し、もう一本の足で斬撃を伴う踵落としを繰り出した。
背骨を強く打たれた|神喰狼《フェンリル》は悲痛な叫びと共に、その四肢を脱力させ、地面に伏す。
だが、|迷宮主《ダンジョンマスター》たるものがこれほどで命尽きるわけがないと思っている二人は止めを刺すべく、一度引き、体勢を整えた後、最大の力を以て、肉薄する。
直後、|神喰狼《フェンリル》も最後の力を振り絞り、巨大な遠吠えを行うと、上空に渦巻いていた|大嵐《スーパーセル》から先ほどまでとは比べ物にならない巨大な槍のような落雷が巻き起こる。
それをリリアーノ、ナディア、エルノの三人の魔力を以て防ごうとするが、全員の魔力を吹き飛ばし、その雷は二人へ近づいていく。
アルマの手にはレーヴァティンが握られており、イギルの手にはその光の力が施された大地斧が握られている。
三つの光がほぼ同時に、この地の中心で衝突したとき、爆風と共に発せられた閃光と共に、三人の姿が見えなくなった。
アルマとイギルが目を覚ますと、そこは|迷宮主《ダンジョンマスター》の扉の前だった。
そこには既にキャンプが設営されており、ナディア、エルノ、リリアーノの三人が焚火を囲んでいる。
「あ、目が覚めたみたいね」
とリリアーノは手に持っていた枝を焚火の中に放り込みながら、アルマの元へ近づいていく。
そしてリリアーノはアルマの頬を叩いた。
エルノもナディアも、何よりアルマが一番驚き、リリアーノを見つめる。既に外的要因による痛覚を失っているアルマにとって、平手打ちは微塵もいたくないが、叩かれたという衝撃と、そのリリアーノの表情から、自分がまた何か迷惑をかけたということに気付く。
「独立魔力解放。咆哮に闇の魔力が乗ってることには気づいていた?」
「え、いや……。知らなかった」
「そう。ナディアが咄嗟に機転を利かせてシールドを張ってなければ、私たちもただでは済まなかった。知らなかったでは――」
「知らなかったでは済まないな……。ごめん」
アルマは気怠い身体を起こし、頭を下げた。
「いや、でもあれを使ってなきゃ皆|神喰狼《フェンリル》の雷にやられていた」
とエルノが助け舟を出すが、リリアーノは続ける。
「顔を上げて。イギルは多分今日はもう起き上がれない」
「なんで……」
「|感覚複製《イマジンハック》で、独立魔力解放を複製したみたいなの。身体が耐えきれなくて、そこら中の筋繊維がズタボロになってる。火事場の馬鹿力みたいなこと。恐らくこれから熱が出て、数日は起き上がることは出来ないと思う」
「独立魔力解放の複製……? あの動きはそういうことだったのか……」
「これもあなたがイギルに無理をさせた代償」
「そうか……」
「まだ……」
と言って、リリアーノはアルマの左腕の袖を捲り、アルマの左腕を見せた。そこには人と獣が混ざり合った歪な腕ではなく、肘から先、全てが獣へ変化した腕があった。
白い毛に覆われ、鋭利な指と爪を生やした左腕はもう醜いなどではなく、ただただ不自然に、人から獣の腕が生えているという異常事態だけを告げている。
「ここに|回復術《ヒール》をかけても治らなかった……。魔力解放、これからも使わなきゃダメなの?」
その言葉にアルマは気付かされた。
今迄は自分が彼らを気にかけ、彼らの命を守るために、自ら含め強くなろうとした。しかしそれは彼らにとっても一緒だ。暴走した際、手にかけなければならないからこそアルマという存在は彼らにとって不安定だ。
仲間たちもアルマの命を気にかけている。なんでそんな簡単なことに気付かなかったのか。
「そうか……」
「ねえ」
とリリアーノは、まるで人が変わったように、アルマの獣の腕を握りしめ、瞳には涙を浮かべている。
「だが、この力がないと俺は戦えないし、守れない……。だから何かもっと使い方を考えてみるよ」
リリアーノは求めていた答えとは違ったようで、少し俯いたが、やはり物事はしっかりわかっているらしく、静かに「うん」と呟いた。
アルマたちはそのまま一日そのキャンプで過ごした後に、|狼の迷宮《ダンジョンウルフ》脱出を目指した。
サイレンスを発現し、イギルをその背中に乗せ、少しずつ階層を上げていく。
アルマはサイレンスに魔力を供給し続けることで、サイレンスに常に|圧力《プレッシャー》を発現させ、他の魔物たちが近づいてくるのを抑制した。
帰りは帰りやすく設計されているのか、難なく階層を上げることが出来、洞窟の迷宮区も地図があるために迷うことなく変えることが出来た。
「やっと着いたね」
ともう文字通り汚らしい格好になってしまった皆の顔には流石に疲労の色が出ている。
早速執務室にいるであろうバロンの元へ行き、任務完了の報告を行うことにする。
この時点で十二日目。ランス達が先についている可能性も十分にあり得る。
「失礼します」
と、アルマが入った。イギルもこの時はふらつきながらではあるが、何とか自分の足で立ち上がり、整列した。
「|狼の迷宮《ダンジョンウルフ》の攻略完了しました」
と言って、アルマは人の頭部ほどの大きさの魔晶石をバロンの机の上に置いた。
「かぁ~そうか!」
悔しそうに言うバロンの横には、嬉しそうに笑うリーシュがいる。
「アルマたちが先でしたので、私の勝ちですね」
「まさか、賭けてたのか?」
一応厳かに入ったアルマたちは拍子抜けして、疲れ切った身体を重力に任せ、床に座り込んだ。
「がっはっは。すまんすまん! まあ楽にしていて構わないから、何があったか教えてもらっていいか?」
そう尋ねられたアルマたちは楽し気に、ここがこう大変だった、ここでこんなことがあったと、自分たちの冒険譚を嬉しそうに語った。
もちろん代償は大きかったが、彼らは未だ16歳であり、大人に認めてもらいたいという欲求は強い。
それを聞いたバロンはアルマを神妙な顔で見つめながら「大丈夫か?」と尋ねるが、アルマは「それよりイギルを診てやってくれ」と返した。
バロンは真剣に頷き、イギルを医務室へと運んで行った。
何より、二週間のペナルティがないということに喜んだ彼らは、ひとまず解散し自室へ戻ることにした。
アルマも一度自室へ戻り、ベッドに寝転がり、自らの獣の腕を見つめる。白い毛の生えた腕。鋭利な爪。獣の腕と称しながらもそれは完全に狼の腕ということではなく、まるでリアムの、獣人種|獣型《ビーストイド》のような腕であった。
半端者。成れ果て。魔物。モンスター。
様々な称号が浮かび、眠りにつこうとするが、一切眠気が来ない身体であったことを思い出す。
アルマが眠りにつけるのは、独立魔力解放によって身体の体力を本当に全て使い切った時だけ。なんだか皮肉な能力に嫌気がさしたアルマは、少しの荷物を手に、黒岩の砦を目指した。
次話
- 最終更新:2020-06-05 11:50:18